2話:自由と安全の二択

08.器の中身


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 夢を視ている気がする。

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 それなりに豪奢な造りをした執務室には、その部屋が似合いすぎる部屋の主、オルグレンと、そして正反対に全く似合わない男のイングヴァルが残されていた。先程まで居たクラウスは暗い面持ちをしながらも壱花の元へと連絡事項を持っていく事にしたらしく、退室してしまった。

 それで結局の所は、と隊長・イングヴァルは口を開く。

「あの小娘は人の器に卸された神の力なのか、或いは器だけが人間のそれで中身もまた神であるのか。クラウスには言わずにおいたが、重要な問題ではないか? なあ、そうだろう?」
「その考えに至っておきながら、何故、部下にそれを教えてやらなかった?」
「アレは見ての通り、気の弱い質でな。余計な事を言って変に気負わせるのも可哀相ではないか」

 そういうものか、と呟いたオルグレンは淀みのない手付きで机の上を片していく。ただし、脳内では今し方イングヴァルが提唱した仮説について考えを巡らせているようだ。ややあって、団長は自らの意見を述べる。

「――正直な所、何とも言えない。最初は私も人間の娘で相違ないと思っていたが、考えは変わった。考え無しの言動であれば、私から言えるのは危機感を抱けという注意だけだが、面白がってそのような行動を取っているのであればとても17、18歳の人間の判断とは言えないだろう」
「話が長いわ。つまり?」
「要注意。いつ牙を剥くか分からないイレギュラー」

 そうであろうな、とうんうん頷くイングヴァルはそこで思い至ったかのように大きな手を打った。思いの外響いた音を掻き消す勢いで上司に尋ねる。

「そういえば、何故、壱花の面倒はクラウスに押し付けた?」
「人聞きの悪い事を言うな。私は彼が適任だと思ったから、壱花の面倒を見るよう命じた、それだけだ」
「そうか? 中身が人間の小娘でなければ、間違い無くクラウスの手には余るだろうが」
「中身が人の子であるのならば、クラウスとは歳が近い。それに、態度が態度であるだけに頼りのない印象を受けるが、彼は優秀だ」
「それは知っているがな。儂としては可愛い部下にもしもの事があっては困るというもの。考え無しの行動であるのならば改めて貰いたかったまでの話よ」
「そうか。しかし、トラブルさえ起きなければこれを機に後輩が増える事となる。彼も自信を付けられるかもしれない」

 オルグレンの言葉をイングヴァルは鼻で嗤った。一瞬だけ静まった室内、外に視線を向けた団長はぽつりと言葉を溢した。

「陽が沈むな」
「仕事か、団長殿?」
「そんなところだ。留守は頼んだ――まあ、陽が昇る前には戻るが」

 すっかりと片付いた机を置き去りに、オルグレンは高そうなコートを羽織る。それを眺めていたイングヴァルは戻ると言ってあっさりと執務室を後にした。

 ***

 桐生壱花に今後の連絡をすべく、第一級保護区を訪れていたクラウスはげんなりとした溜息を吐いた。

「……壱花ちゃん、君って結構神経が図太いんだね」
「いや、別にそういう感じじゃ。急に眠気が襲ってきて」

 今し方、人生を左右するような一連の物事が起きていたにも関わらず、保護区の自室へ先に戻っていた壱花は無防備にも昼寝をしていた。鍵すら掛かっておらず戦慄したのは記憶に新しい。
 ちなみに、何故鍵を掛けていなかったのか訊ねた所、鍵の掛け方が分からなかったとの事。つまり、ここ2日間はずっとドアを開け放したままだったのか。とはいえ、流石にそこまで馬鹿ではないらしく、一度閉め方を教えれば自在に鍵を使いこなすようにはなったが。

 とにかく、当初の目的であった今後の予定を簡単に伝える。伝える、とは言ってもこの1週間、何をするのか端的に伝えただけだが。
 それを聞いた壱花は、今まで昼寝していたのが嘘だったかのようにハッキリとした顔で頷いた。

「頑張ります!」
「ああうん、そう……」

 ――これは、本当に僕が面倒を見て良いんだろうか……。
 謎のやる気に満ちた壱花を前に、頭を抱えたくなる。そんな衝動を抑え、ただ深い溜息を吐き出した。

「じゃあ、僕は戻るから。夕食は誰かが運んで来ると思うけれど、くれぐれも鍵はちゃんと閉めるんだよ……。明日から、よろしくね」
「はーい、よろしくお願いします」
「うん、そう。じゃあ、おやすみ」

 手を振って壱花と別れる。更に肺から溜息を吐き出そうとしたクラウスの息はしかし、瞬間的にピタリと止まった。

「おう、用事は終わったか?」

 ニヤニヤと嗤う上司――イングヴァルが何故か部屋の前に立っていたのだ。他に誰も居ないと思い込んでいただけに、驚きで心臓が止まる思いをしてしまった。

「ど、どうしたんですか……」
「いやいや、お前の個人的な仕事はなかなか無いであろう? 励ましに来てやったぞ、この儂がな!」
「僕が彼女に教えられる事なんて、何もありませんよ」
「そう言うな。オルグレンはそのまま仲間に引き込む気だぞ、つまりお前の後輩になるという事だ」
「だから何なんですか……」

 意味不明に高笑いしたイングヴァルに背中をバシバシと叩かれる。気の良い上司、そんな彼に対しこれ以上の不満を溢すのは情けないし無意味だ。
 なので、「あの子って中身もカミサマなんじゃないですか」、という疑問は呑み込む。肯定されたら立ち直れそうにない。