2話:自由と安全の二択

07.決断するのが異様に早い奴


 一連の出来事を最初から最後までバッチリ目撃していたはずの団長殿の反応は実に薄いものだった。カリカリとペーパーに何かを書き込んだ後、淡々と言葉を紡ぐ。

「戦闘技術は持っていないな」
「いや、これはそういう問題じゃないだろう」

 難しい顔で顎に手を当てている隊長殿がポツリと呟く。そんな彼は小首を傾げているようだった。

「とはいえ、誰かが面倒を見ていれば大きな戦力にはなるだろう」
「そうか……? 危険だと思うがな、儂は」
「魔法より発動の早い攻撃は重宝する。何より、彼女は後方に置く。物理攻撃に晒される事は無いはずだ。誰かが失敗しなければ」

 なおも眉根を寄せているイングヴァルだったが、それ以上オルグレンに噛み付く事は無かった。団長殿の端整な顔が壱花へと向けられる。
 クラウスが何故か一歩下がった。僕は関わりたく無いんです、と言わんばかりである。

「壱花、以上の諸々を鑑みて私から君に提案出来る事が二つある」
「あ、はい」
「一つ、保護区で多少不便だが安全の保証された生活を送る事。君は戦闘技術を持たない。珍しい存在である以上、少しでも目を離せば危険に巻き込まれかねないので一人では外出も出来ないだろう。
 そしてもう一つ、戦頭部に入って多少は融通の利く生活を送る事。そうだな、君が我々の仲間になるのであれば優秀なメンバーの誰かが傍に着いていてくれるだろう。保護区に居るよりずっと自由は利く。ただし、我々の仕事には危険が伴う事を理解してくれ」

 ――さあ、どちらを選ぶ?
 言外にそう聞かれているようで返事に窮した。正直、後者の方が面白そうではある。所詮は夢、ゲームで遊んでいるような感覚だ。人は何の為にゲームをするのか、本を読むのか。
 答えは単純で、現実の自分では味わえない世界を味わう為。そこに危険は伴わないので与えられる刺激は強ければ強い程に楽しいし、逆にストーリー中に何も起こらなければ退屈だ。
 であれば、視ている夢を楽しいものに出来るか否かはこの答え一つに懸かっている。当然、後者を取ろう。

「あの――」
「急に決めろと言うのも酷な話だったな」

 考え込んでいたせいか、決め倦ねていると判断されたらしい。蚊の鳴くような壱花の声はあっさりと遮られた。オルグレンは相変わらず淡々と言葉を紡ぐ。

「そうだな、折衷案を出そう。一ヶ月で君を我々の仲間に出来る程度に仕立て、そこから仕事を体験してみるのはどうだ? 君が過酷だと思うのであれば下りればいいし、続けたいと思うのならば残留すればいい。そうだな、最初の1週間でクラウスに必要最低限の技術を叩き込ませ、残りの3週間で任地に行ってみる、という日程でいいだろう。当然、研修中の給料は払おう」
「あっはい。分かりました」
「あとは……は? いや、やるという事か?」
「え? はい。やります」

 一瞬の間。
 何なんだ一体。あなたがやるのかやらないのかを聞いて来たのではないのか。不気味な沈黙に閉口していると、オルグレンは重々しい息を吐き出した。

「いや、そうか……。私が言うのも何だが、もっと考えて自身の処遇は決めた方が良いぞ」

 ――コイツ面倒臭えええええ!!
 唐突に親のような発言をしてきて苦笑する事しか出来なかった。

「まあいい。アナベラ、一先ず今日は解散だ。彼女を部屋へ」
「了解! さあ、行くわよ。壱花」

 ***

 壱花がアナベラに連れられて去って行った後、残っているよう命じられたクラウスは恐々と団長様の次なる発言を待っていた。
 オルグレン・ハンプソン――上司の上司とかいう位置付けの彼は、クラウスにとって恐怖の対象でしかない。複雑な思考回路、常に何かを試されているような空気、勤勉さ。どれをとっても苦手要素しかない。

「そう怯えるなよ、クラウス。お前はいつもそうだな!」
「上司と同室にされれば、誰だって緊張しますよ……」

 直属の上司であるイングヴァルに声を掛けられたが、毎日顔を付き合わせている彼に話し掛けられる事すら緊張する。それを見た隊長殿はケタケタと楽しげに笑っているが。顔を引き攣らせたクラウスは、そっと胃の辺りを押さえた。
 何事かを書き込み終わったオルグレンがバインダーにペンを挟める音が、嫌に室内に響き渡った。その音で我に返る。
 おずおずと視線を上げれば、上司と目が合った。

「さて、君の任務だが。先程も言った通り、壱花の教育を頼む。随分とぼんやりした性格のようだ、気に掛けてやってくれ。ストレスで体調を崩されては堪らない」
「ほ、本当に僕があの子の面倒を見てもいいんですか……? アナベラさんとかに任せればいいんじゃ……」

 ――自信は欠片も無い。
 壱花とは歳こそ離れてはいないようだったが、多分あれは理解の範疇を超えた生き物だ。もう一人、彼女と似た境遇の男が居るが、彼とも折り合いが悪かった。彼女等の言う言葉は時折理解出来ないのだ。

「心配するな、クラウス。お前ならば出来るさ」
「はぁ……」

 イングヴァルが呑気にそう言うが、ハッキリ言って全く信用は無い。何故なら我等が隊長殿は何でも出来る出来ると言う性格だからだ。
 しかし、ここで仕事の押し付け合いを制すようにオルグレンが朗々とした声で威圧的に言った。

「悪いが、別の誰かに命じるつもりは無い。彼女の面倒はクラウス、君が見るんだ」
「何でそう、頑なに僕なんですか……」
「他の仲間と違って、君は気遣いが出来る。私は彼女から畏怖の目を向けられているし、アナベラとは歳が離れすぎているだろう。気軽に相談出来る相手ではない。君に対しては壱花もある程度気を赦しているようだ」
「それって舐められているんじゃ……」
「では、頼んだ」
「……はい、了解です」

 団長命令を断れる訳が無いので、項垂れたクラウスは半ば自棄に頷いた。しかも、明日からの大まかな日程が書かれたメモまで渡される。完全に1対1の個人研修の体をなしているようだ。
 隣でクツクツと嗤うイングヴァルを尻目に、クラウスはもう一度深い溜息を吐いた。