2話:自由と安全の二択

02.お偉いさんとの会話


 ***

「今から、団長の執務室に行くから……」

 朝食終了後、心なしかゲンナリとした顔でクラウスがそう言った。最初から高くは無かったテンションが更に落ち込んでいるのを見て、若干の緊張感を覚える。しかし、同行して来たアナベラはケタケタと笑うだけだった。
 訳知りらしい彼女に、事情を尋ねてみる。団長と言うだけあってきっと偉いのだろう、粗相が無いように振る舞わなければ。

「団長ってどんな人なんですか?」
「どうも何も無いわね。クラリス財団はかなりざっくり分けて3つの部門に分かれているのだけれど、その中の戦闘専門部で一番偉い人物ってところかしら。あたし達にとって上司である事は勿論、あらゆる所に顔が利く御仁ね」
「うーん、ちょっと想像出来ません」

 残念な事に、高校に組織階級というものは存在しない。なのでアナベラに説明されても、何となく凄く偉い人という印象しか無かった。とはいえ、『偉い人』と話をする機会は無いので少しばかり不安だ。
 ――つっても、夢なんだけどね。
 何が悲しくて眠っている間にまで緊張を味わわなければならないのか。理不尽な怒りさえ覚え始めていた。

「団長はともかく、イングヴァル――隊長の事はあまり気に掛ける必要は無いわ。無礼なんて、気にするような繊細な性格じゃないもの」
「アナベラさん、余計な事を吹き込まないで下さい……。壱花ちゃん、流石にあまりにも失礼な事をしたら、隊長は怒ると思うから鵜呑みにしないでおくれよ」
「いやあの、俄然恐ろしくなって来たんですけど」

 フォローする気があるのか無いのか。困惑していると、一つの部屋に行き当たった。先程からたくさんの部屋の前を通過したが、ここだけは周囲に部屋が一つも無い。かなり広いスペースである事が伺える。
 例えるならば、校長室のような。どことなく奥行きがあって、孤立していて、そして近付き難い雰囲気。

 更に不安を色濃くしたような酷い顔色のクラウスがアナベラを伺う。

「アナベラさん……」
「あらクラウス、貴方が呼ばれたんでしょう? 先輩にばかり頼っていないで、自分で報告すべきよ。ねぇ、壱花?」
「えっ、いや、さあ……」

 校長室を前にまごつく気持ちは、理解出来る。頑張れ、とクラウスに心の中だけでエールを送った。多分届いていないと思う。
 眉間に深い皺を寄せた彼は一度だけ深呼吸すると、酷くゆっくりドアをノックした。中から低い男声の応答が聞こえる。びくりと肩を揺らしたクラウスが、動悸を押さえるかのように胸を押さえながら用件を述べた。

「第一部隊所属、クラウス・ラインダースです」
「入ってくれ」

 中に居る人物はクラウスを待っていたのだろう。やや食い気味に返事があった。というか、ドアの前で問答をしているのが伝わっていたのだと思う。
 震える手でドアを開けたクラウスが、先に中へ入るようにと背を押す。その勢いのまま、執務室の中に入った壱花はそのまま緊張で硬直した。思っていた以上にずっしりと重い空気感。無礼な事を口走ったら大変な事になってしまうのではないか、という漠然とした不安が襲い掛かって来る。

 息を殺しながらも、執務室に居た2人組をチラと観察した。
 片方は部屋の中心にある大机、それに備え付けられた大きな椅子に鎮座している。間違い無く執務室の主、団長とやらだろう。撫で着けた金髪に碧眼。上品でありながら、かなり大柄の男性で威圧感が凄まじい。主に眼孔が鋭利過ぎて息をするのも億劫になってくる程だ。

 もう片方も男性。同じ人間の間で見た事の無い色彩を持っている。まず目を惹くのが長い赤毛で、一つに束ねている。人としてあり得ない琥珀色の双眸。ただし、前者の人物よりずっとフランクな空気感を纏っていると言えるだろう。
 開け放した窓の窓枠に危なっかしく座っている。

 執務室の内部は理路整然としていて、非常に整っていた。唯一、団長さんの机上だけが置いたままの書類が積んであったりと少しばかり散らかっている。

 緊張感を煽るような空気に言葉を失っていると、こちらをジッと見てくる団長と目が合った。青い双眸は数秒程こちらを観察した後、言葉を紡ぐ。

「君が桐生壱花か?」
「あ、はい……」
「私はオルグレン・ハンプソン。未熟ではあるが、財団戦闘専門部の団長を務めている。君とは顔を合わせる機会もあるだろう、よろしく頼む」

 ――こっ、これは……私も自己紹介しなきゃいけないの……?
 しかし向こうは自分の事を知っている体だった。ならば、このまま次の言葉を待つのが正解なのだろうか。恐る恐る今し方名乗ったオルグレンの顔色を伺う。彼はやはりじぃっとこっちを見ているだけだった。
 今度はクラウスの指示を仰ごうと顔を覗き込んでみる。目を逸らされた。頼りにならない。

 沈黙の時間が続き過ぎたせいだろうか。オルグレンが更に言葉を並べた。

「君の事を知りたい。肩の力を抜いて、少し私にも話して聞かせてくれないだろうか」
「ひえっ……!? え、えっと……桐生壱花です。えーっと、うーん、高校に通っていて、来年卒業予定です、はい。それで、それで……、……すいません、ちょっと思い付かないんです」
「……そうか。君は『大学生』ではないのか?」
「え? ああいや、まだ大学には。進学校なので、多分行くことになるとは……思いますけど……」

 ――あれ。大学とか知ってるって事は、普通に地球のどこかっていう設定の夢なのか?
 不意に掠めた疑問。まあ、夢なので多少の矛盾があっても全くおかしくは無いのだが、そうではなく鎌掛けられているような気味の悪さがあったのだ。
 疑問が顔に出ていたのだろうか。紙にペンを走らせながらオルグレンが心中での疑問にさらりと答えた。

「君に似た境遇の男性がいる。彼は自分の事を『来年から社会人の大学生だ』と言っていたよ。これまでの情報と照らし併せて、高校を卒業すると大学に行けるわけだな?」
「は、はい」
「そうか。貴重な情報を有り難う」

 そう言ったオルグレンは僅かに目を細めた。こちらから話を聞かせなくても、知りたい情報を手に入れる手腕を持っているらしい。