3話 学者達の乗る船

12.ラパンのおつかい


 再度双眼鏡を覗き込んだディグレがうんうん、と合点が行ったように頷く。

「顔とかよく見えねぇが、2人組だし間違いねぇだろ」
「早計じゃないか? その部外者と思わしき2人組だという証拠は無いだろう」

 叔父の言葉にリュコスは苦笑している。この2人は大体いつもこんな感じだ。ディグレが突拍子も無い事を言い、それをリュコスが冷静に諫める。釣り合いが取れた組み合わせだろう。
 しかし、ここで蔑ろにされているラパンは面白く無いので無理矢理口を挟んだ。姪が居るというのに男2人で盛り上がるのはどうなのか。

「2人組って何? ディグレおじさんがこの間虐めてた人達?」
「人聞きが悪すぎるだろ。別に虐めてねぇよ!」

 というか、と言いながらディグレは双眼鏡をリュコスに返した。

「お前、流石にそろそろ集落に戻れよ。パンテラに文句言われんだろ、俺が」
「だから、最近のお母さんはちょっと忙しいみたいなんだって……」
「ああ、ああ、はいはい。見て分かるだろ、俺等も現在進行形で忙しいわ。ガキの子守なんか出来る状態じゃねぇんだよ。そろそろマジで帰ってろって」

 ――これ以上は本当に怒られそう。
 ラパンは父親に似て空気を読むのがそれなりに得意だった。苛立ち始めているディグレに気付き、仕方無いと溜息を吐く。本気で怒らせるのは本意ではない。

「分かったよ、戻る。おじさん達も覗きは程々にね」
「ディグレ、ラパンちゃんを送って行かなくていいのか?」
「集落なんてすぐそこだろ。アイツはそんなに柔な奴じゃねぇよ」

 全くである。片親とは言え、ガトの血を引く者だ。まさかそこら辺の猛獣にやられるはずもない。リュコスに丁寧に礼を言ったラパンはその場を後にした。

 ***

 ガトの集落に戻ってきたラパンがまずした事は、ディグレの兄であり彼女にとっては叔父にも当たる人物――族長・リオンの自宅を訪問する事だった。
 というのも、リオン宅にはまだ幼い、ラパンの従兄弟にあたるカトルスがいる。最近リオン宅は色々と起こっていて不穏な空気が漂っているので、空き時間を見つけては暇そうにしているカトルスと遊んであげているのだ。

 真っ直ぐにリオンの自宅へ向かったラパンは常日頃からそうするように、天幕へ向かって声を張り上げた。

「リオンおじさん、いる?」

 ガタガタ、と天幕の奥の方から誰かの慌ただしい足音。どうやらいつも通り、リオンは自宅で奥さんのミトと過ごしていたらしい。程なくして叔父が姿を現す。

「よぉ、ラパン! どうした、こんな時間に!」
「こんな時間って、おじさん、まだ真昼ですけど」
「え? あそっか。まあ何でもいいや。カトルスと遊びに来てくれたんだろ?」

 確信に近い声音でそう言ったリオンはしかし、少し困ったように曖昧な笑みを浮かべながら首を横に振った。

「折角来てくれたのに悪ぃが――」
「リオン、ラパンちゃんが来たの?」

 涼やかな女性の声に、自然とラパンの背筋は伸びた。これは間違いなく、奥様のミトの声だ。しかし、彼女は現在心に大きな傷を負っている。自分のような小娘の誤った発言により、彼女の弱くなった心を更に傷付けてしまわないか心配だった。
 ドギマギしていると普段なら外に顔も出さず、申し訳無さそうに無理して笑っている彼女――ミトが本当に珍しい事に、天幕を潜って外まで出て来た。

 顔色は驚く程に悪い。とても健康的とは言えない、真っ白な顔に息を呑む。そのまま死んでしまいそうで恐かった。ただでさえ、彼女はただの人間なのだ。自分達よりずっとか弱く、脆弱な存在。腕なんて引っ張っただけで取れてしまいそうだ。
 いつもそうするように無理がありありと分かる笑みを浮かべたミトは、リオンが告げようとしていた言葉の続きを紡いだ。

「いつも有り難う、ラパンちゃん。けれどごめんね、カトルスなら今日はリド達に預けているの」
「え、あ、そうなんですか」
「ええ。リドの所の子供とカトルス、同じくらいの歳でしょ? たまには遊ばせてくるからゆっくり休みなさいって。だから、折角来てくれたのにごめんね」
「い、いえ。良いんです。そうだ、私、カトルスくんの様子を見て来ます。そろそろお迎えに行かなきゃいけない時間ですよ、ね?」
「いつも悪いわね。それじゃあ、お願いしようかしら。まだ遊んでいるようなら、置いて帰って来て構わないわ」
「あっ、はい、お任せ下さい」

 それじゃあ、と小さく手を振ったミトがまた天幕の奥へと戻って行く。それを非常に心配そうな面持ちで見送るリオン。やがて、完全に彼女が奥へ消えてから、叔父はそっと呟いた。

「ラパン、ミトはああ言ってたけどよ、もうそろそろ迎えに行こうと思ってたんだ。悪ぃけど、カトルスは連れて帰って来てくれねぇか? リドがうちに来たら、また長話してミトが疲れちまう」
「分かりました」
「じゃ、頼んだぞ」

 返事をしてリオンと別れる。さて、リドという人物はミトの双子の姉に当たる人物。現在はロボ族の集落で族長・ヴォルフと家庭を築いている。つまり、このままの足でロボ族の集落まで向かわなければならない。
 今日はディグレに声を掛ける暇は無さそうだ。そう結論づけたラパンは、任務を真っ当するべくガト集落を後にした。