3話 学者達の乗る船

08.ビジネス本の宝庫


 だが、それにしたって廊下まで凍える程の寒さが滲み出ているだなんて欠陥工事も良いところである。現代日本ならとっくに訴えられているレベルだ。
 それはクライドも感じたのか、ほんの一瞬だけグスタフの説明に眉根を寄せる。しかし、これまた一瞬でいつも通りの好青年顔に戻った。

「食料保存の為、ですよね? 海に浮かぶ船、そこでの食糧保存法が気になります。もしよろしければ、中を見せて頂いても良いですか?」
「悪いな、冷凍庫にはコックしか入れねぇんだよ。どうしてもってんなら、コック長と相談してくれや。とはいえ、その、言い方は悪いが風土病やら何やらを持ち込まれても困るからよ、多分無理だ」
「……それもそうですね、厚手がましい事を、すいません」

 饒舌に断られたせいで逆に違和感を覚える。イオ自身が持つ、グスタフという男性のイメージは物事をストレートに発言する海の男だ。ベラベラと小細工を並び立てるのは、どこか「らしく」ない。

 が、それを考えた所で冷凍庫を検めさせてくれる訳でもないので、一旦はグスタフについての思考を止める。他人の人格なぞ、他人に分かる訳も無い。不毛だった。

 そして彼の言った通り、冷凍庫から遠ざかれば寒さは消え、通常の気温に戻る。あの冷凍庫、どれだけ大きいのだろうか。大手スーパーの食品用冷凍庫くらいのサイズはあるのかもしれない。
 そうだとしたら、この船には大きすぎる冷凍庫だと思わざるを得ないが。彼等は商人でもあるとの事だったし、何ヶ月も海の上を漂う事などないだろう。航海はあくまで移動手段の話であり、それそのものが目的ではないのだから。

「書庫、ですか」
「あ……」

 クライドのグスタフへ向けた言葉、そしてイオの肩をそっと叩くという一気に2人の意識を引き戻す行動で、現実へと意識が引き戻される。ハッとして同僚の顔を見上げれば、彼の視線はこちらへ向けられていた。
 案内役が書庫の明かりを弄っているのを良い事に、小声で訊ねてくる。

「どうかしましたか? ボーッとしているようですが」
「あ、いや、ちょっと考え事……」
「あの冷凍庫は確かに気になりますが、現状では調べようがありませんね。必要に駆られれば強行する他無さそうですが……。今はあの場所を無理矢理調べる時ではないでしょう」
「ただの冷凍庫だしね。工事に大失敗しているのは大変気になるけれども」

 イオ達の会話は明かりを灯したグスタフが戻って来た事によって終了した。薄暗かった書庫のような場所は魔法か何かの明かりに照らされ、その全容がはっきりと見える。

「ここはうちの書庫だ! 俺は使わない小難しい資料だとか、帳簿とか、珍しい本とかが置いてあるぜ」
「書き物の類いは全てここにしまっているという事ですね」
「おうよ! うちのリーダーが出版した本とかもあるな。まあ、借りたいモンがあれば、この後に会ううちのリーダーに言ってみてくれや」

 つってもお伽噺なんかが書かれた本は無いがな、とグスタフが笑う。
 どうやらビジネスに特化された書庫らしい。ビジネス本の宝庫という訳だ。ならば、確かに読まないかもしれない。クライドはどうだろうか、あまり商魂たくましいようには見えないが。
 ところでよ、とグスタフが首を傾げる。

「初めてクリタ島に停泊を申し込んだ時もそうだったが、お前さん等のアニマル系種族ってのはあまり本を読まないのか? いや、急に失礼な事を聞いて悪いが」
「そうですね。俺の親戚筋はあまり読まない者が多いでしょう。ただ、個体差があるので読む人は読む、という感じですね。それが少数派である事は認めますが」
「はーん、じゃあそっちさん達にとってみりゃ、うちの船は大した宝も乗っていない、ただの学者船って事か。こりゃ、今回の調査はもっと難航するんだろうな……。ああ、海が恋しいぜ」
「野生動物は警戒心が強いですから。諦めて切り上げる、というのも一つの手でしょう」
「手厳しいね、はは!」

 2人の会話を聞きつつ、イオはその辺にあった本の1冊を手に取っていた。
 別に本の内容に興味があった訳ではない。興味があったのは、背表紙に書かれた文字を『読める』という事についてだ。全く見覚えの無い言語であるにも関わらず、まるで母国語のようにすらすらと読めてしまう。これもメテスィープスの加護か何かだろうか。

 本を勝手に手に取っているという事実に気付いたのか、クライドが少しだけ驚いたように声を掛けてきた。

「イオさん? その本に興味があるんですか?」
「あ、いや、何となく……」
「読みてぇなら、そっちの机に座って読んでいいんだぜ。親御さん達が心配する前にちゃんと帰れよ!」
「い、いや、本っていう形状に興味があっただけです」

 ――まるで本を知らない子供みたいな返答になった!
 ロボ族というのがどの程度文明の発達した種族なのか知らないが、流石に勝手が過ぎるだろうか。バリバリ著作とかしてる文化系統だったらどうしよう、打ち首ものだ。

 が、どうやら適当に吹いた言葉は「へー、そうなんだ」程度の反応しか抱けないものだったようだ。自身は学者ではないグスタフはただただ微笑ましそうな顔をしている。どうやら誤魔化しは成功したらしい。