3話 学者達の乗る船

01.同僚との休暇


 前回のお仕事終了後、次は穏やかに船の調査、などと聞いていたが結果的に言えば今日1日はお休みとなった。
 というのもイオの目下の悩みである脆すぎるテクスチャ問題に際し、クロノスが呼んだテクスチャ職人とやらがやって来たらしいからだ。今日はテクスチャの貼り直しと、貼り直したテクスチャに馴染む為、お休みと相成った訳である。

 そんなイオは与えられた自室で、呼び出されるのを今か今かと待ち侘びていた。いつ頃お呼びが掛かるのか一切不明なので、外を散策する事もままならない。何となく空いた時間と言うのはいつの世も持て余すものである。
 それにこの世界に関する知識もあやふやなので、下手な行動を取って色々と問い詰められるのも避けたかった。あまり考えたくはないが、メテスィープスの方はどうなっているのだろうか。あれ以来、一切の連絡が無い。まさか忘れられている訳ではないだろうな。

 グルグルと問題が脳内を渦巻いていると、不意にドアをノックする音が響いた。驚いて顔を上げると、外から聞き慣れた声が響く。

「クライドです。イオさん、起きていますか?」
「あー、起きてる起きてる。どうかしたの?」

 言いながらドアを開け放つと、いつも通り好青年、爽やかな笑みを浮かべた同僚が立っていた。彼はこちらを見るなり、少しだけ苦笑する。

「いえ、暇を持て余しているんじゃないかと思って。様子を見に来ました」
「よく分かったね……」
「まあ、俺もここへ来たばかりの頃は、どうしていいのか分からずにボンヤリ過ごしていましたからね」
「そうなんだ。あ、そうだ、ここトランプとか無いの? ババ抜きしようよ、七並べでもいいよ」
「トランプ? それがなんであるのか知りませんけど……」

 トランプの話を軽く受け流したクライドが、その手で外を指し示す。

「どうせですから、イオさんが持っている不思議な能力を伸ばす特訓をする、というのはどうでしょうか? 勿論、あなたが望むのなら模擬戦をしても構いません。ディグレさんに手も足も出なかったのは、正直あまりよろしくないので一緒に身体を鍛えませんか?」

 非常にスポーツマンシップ溢れる提案だ。
 しかし、ここでゴロゴロと暇な時間を過ごすよりずっと有意義な時間かもしれない。何せ、クライドが言う事は一から十まで正論である。

 そこではた、と思考を止める。
 かつての自分は模擬戦やら特訓やらと聞いて僅かにでも「やってもいいかな」などという思考回路に至っただろうか。今は何故か身体を鍛えるというエクササイズ精神に溢れているが、かつてのイオからは想像出来ない発想だ。

「――まあ、寝転んでいるよりよさそうかな!」

 浮かんだ不安にも似た心境を打ち払い、ベッドから飛び起きる。クライドがホッとしたように安堵の表情を浮かべた。

「あ、でもクライド。私は確か、今日はテクスチャの貼り直しがあるって聞いているけど」
「大丈夫ですよ。庭園内部にいれば、どこに居てもクロノス様が把握していますから。時間がくれば呼んで貰えるかと」
「そうなんだ。なら、外を散歩したりすれば良かったな」
「知らなかったんですね。俺も、教えておけばよかったです」

 廊下へ出ると、クライドが不意に訊ねて来る。それは世間話のようでもあり、純粋な好奇心が綯い交ぜになったような疑問でもあった。

「あの、気を悪くしてしまったら申し訳無いんですけど、イオさんの被っているフードの下ってどうなっているんですか?」
「え? どうっていうのは?」
「いえ、喋り方からして、女性……なんでしょうか?」

 ――そこから分かってないのか!
 言われてみれば、自分は顔の無い顔を隠す為にフードを被っているのだった。声がどういう風に彼に聞こえているのか分からないが、声帯も人間時代のそれとは異なっている可能性だってある。性別も理解出来ていない所からすると、もっと他にも疑問に思っている事がたくさんあるだろう。よくも性別すら曖昧な相手にフレンドリーに接してくれたものだ。
 心中でクライドの偉大さを讃えつつ、問いに答える。

「確かに、私は生物学上は女性って事になるかな。ただまあ、前にも言ったけど両親は誰なのか分からないから、種族? っていうのもよく分からないけれどね」
「そうでしたね。……両親不在、というのは少しばかり悲しいものですが」

 悲しいも何も、出会ってすらいないので何の感慨も抱けないのが実情だ。ただ、自分が生まれてくるのを辞退したので母親予定の女性が無事だった。それだけの事である。そこには「まあ仕方無いよね」、以外の感想など抱けない。
 悶々と考えていると、クライドが美青年に相応しい陰のある笑みを浮かべる。

「イオさんの性格がしっかりしているのは驚きですけど、貴方のような人が俺の同僚で良かったと思っていますよ」
「今までのお仕事の中でそう感じる場面あった!?」
「うーん、そういう事ではなくて、貴方のどう見たって普通の癖の無い性格はある種、貴重なのかもしれないという事です」

 特徴が無いと言いたいのだろうか。ニュアンスからして悪口ではなさそうなので、聞き流す事にした。