09.取り扱い注意
カッとなった心を鎮め、クライドに向き直る。こんな馬鹿な事は止めてしまおう。怪我をするのは自分だ。
が、その話を切り出す前に、クライドが襲いかかってきた。完璧なフォーム、これどうやって回避するのか、と思考が完全に停止する。
「……っ!」
「躱しますね!」
停止した思考を置き去りに、身体が勝手に彼の攻撃を真横に転げて回避した。脊髄反射というか、脳と身体が別々に動いている。嬉しそうにしている暴力野郎は、イオの気持ちとは裏腹に楽しげだ。
しかも、避けてそれで終わりではなかった。
イオが転がって行った先へと、一拍置いてクライドが追撃を仕掛けて来る。すぐに向かって来なかったあたり、かなり手を抜いてくれているのは分かるが問題はそこじゃない。
脳より先に身体が動く。素早く立ち上がり――ここで、膝からグキッ、という何かが致命的に破壊されたような音が響く。当然聞こえていたのは自分自身だけで、クライドにその音が届くはずもない。
バランスを崩し、しかしそれでも身体の方は優秀だった。木剣で殴り掛って来た彼の攻撃を左手で受ける。薄いガラスが割れるような、パキンという音が今度は聞こえた。目の前でパラパラと薄いガラスのようなものが砕け散り、大気中へと溶けていく。
これは多分、メテスィープスが言っていた能力の一つ『防壁』とやらだろう――
「すっ、すいません!! ええっ、これ、大丈夫……じゃ、ないですよね!?」
「え?」
急に慌て始めたクライドの声で我に返る。何が起きたのか分からず、彼の顔を見返すと真っ青な顔をしたその人は言葉にならない言葉を発しながら一点を指さした。
指を指された方向を振り返る。
「ぎゃっ!?」
思わず悲鳴を上げて、目を逸らす。それは日常生活ではほぼ確実に見られない光景だった。同時、クライドの顔の青さにも納得する。
「わ、わ、わ……私の、腕が!」
袖だけ残し、クライドの木剣を庇った右腕がすっぱり無くなっていた。痛みは全く感じないが、鈍い衝撃のような違和感はある。
平行して変な音が聞こえた左膝も動かない事に気付いた。完全に膝の筋肉がイカレているかのように、プラリと足がぶら下がっている状態。
凄惨な光景を思わず涙目で見つめていると、クライドが慌てたように腕を拾いに行った。それが冷静な判断での行動なのか、焦って適当な行動に出たのかは不明瞭である。
壊れ物を扱うようにイオの腕をそうっと拾い上げたクライドが戻ってきた。
「すいません、俺の責任だ……。まさかこんなに脆いなんて、思わなくて……」
「うっうっ、私の腕……」
「とにかくクロノス様に相談してみましょう」
沈痛な面持ちのクライドに後押しされ、立ち上がろうとしたが左膝は壊れているので動かない。
「クライド、何か膝も動かないよぅ……」
「ええ? 膝? な、何て脆いんだ、テクスチャ……。仕方無い、不敬ですがクロノス様をここに呼びますね。動かさない方が良さそうだ」
「うん……」
「本当、俺のワガママに付き合わせてしまってすいません」
「もういいよ、何か痛くないし。ちょっと落ち着いてきた」
痛みは本当に無い。同時に、何となくすぐに腕も足も元通りになるという漠然とした確信が沸き上がる。いやだって、よくよく考えたらメテスィープスの所にいた時はヘドロ状態から復帰出来たのだ。今回も多分おそらくきっと、大丈夫だろう。
そうこうしている内に、空中庭園の主を呼び終えたのかクライドが隣にどっかりと腰を下ろす。
「えーっと、気を紛らわす為に何か話しでもしますか?」
「そうしよう。考えたら恐くなってくるし」
クライドの申し訳無さそうな顔に頷きを返す。割と良い人なのだが、切り替えが速すぎやしないか、彼。
「少々お伺いしたい事があるのですが、イオさん、俺が来る前に誰かと話しをしていませんでしたか?」
「え? ……いや、してないよ。気のせいじゃないかな」
女神様とお話していました、などと口が裂けても言えないので適当に誤魔化す。それに、メテスィープス鳥はクライドが来る前に飛んで行ったはずだ。つまり、彼はあの鳥の存在を知らない。しらを切るのは簡単だろう。
「そうですか? まあ、貴方がそう言うなら……」
――凄い、全然納得してなさそう!
疑いを前面に押し出したクライドが、更に面倒臭い事を聞いてくる。話を変えて欲しいとは思ったが、別の方向で疲れる話題はNGだ。
「その、テクスチャでしたっけ? 本当に神子だからという理由で貼って貰ったんですか? 何だか凄く雑に見えますけど……」
「いや私もよく分かんないんだよね。気付いたらこんな事になっててさ」
「確かに、そうですよね。貴方も俺やクロノス様に巻き込まれた被害者と同じだ」
メテスィープスに貼って貰ったテクスチャだが、この辺の機微はまるで分からない。口止めされている理由もよく分からないし、分からない事しかない。