1話 転生キャンセル

08.覚えのない感情


 それじゃあ、後はよろしく。そう言った女神はスッと消えて行った。途端、視界が色鮮やかに戻って行き思わず瞬きを繰り返す。止まっていた時間がまるで動き出したかのようだが、実際硬直していたのは自分の方らしい。

「……? イオさん? どうかしましたか?」
「いっ、いや、ちょっと立ち眩みが……」
「体調が悪いんですか? 無理しなくても全然良いですよ。その内、時間が空いた時にでもお相手いただければ」
「いやいやいや! お気遣い不要で! 低血圧で脳が酸欠状態になっただけだし!」
「ずっと立っていたのに!?」

 クライドの言い分は尤もだったが、ゴリ押しで受け流す。とにかく、メテスィープスの言った事が本当なら即日解雇の現実から逃げられるかもしれない。解雇なんてされた日にはどうなるか分かったものではないし、とにかく生き残らなければ。
 決意を固くし、クライドと向き合う。取り敢えず棒きれ同然の双剣はそれっぽく握り押した。とはいえ、今まで持った事のある刃物など料理用の包丁だけだが。

 仕切り直す空気を感じ取ったのか、構えを解いていたクライドが緩く構える。もう構えているだけでめっちゃ強そう。逃げたい。
 が、今の自分には女神から教えて貰った戦闘方法がある。そう簡単に返り討ちにされて堪るか。

 ――しかし、どうやら行動を始めるのがあまりにも遅かったようだ。
 こちらが覚悟を決めているその間にクライドは待ちくたびれたらしい。斜め上の解釈をしたような言葉が鼓膜を叩く。

「掛かって来ない――まさかイオさん、カウンタータイプなんですかね。だったら先に俺が仕掛けた方が親切か」
「は?」

 ちょっと頭の可笑しい言葉が聞こえてきた。思わず素で聞き返すも、一文字だけで発された疑問符は彼に届かない。
 木剣を下段から振り上げるようにしてクライドが襲いかかってきた。何てこったい、どうすりゃいいんだ。

「ぎゃああ!? あっぶね、あぶね!!」

 慌てて真横に回避する。意外にも軽いフットワークに自分で驚きながら、転がるようにして木剣の一撃を奇跡的に躱す。これが火事場の馬鹿力というやつか。まさか、帰宅部エースを張っていたぐうたら女子高生に過ぎない自分に、こんな底力があったとは。人間の可能性とは無限大である。
 急に人道はずれた行為に及んだクライドは少しばかり好戦的な笑みを浮かべているのが見て取れた。いや、どういう意味だその笑顔。

「ド素人、と言っていましたがそこそこ戦えそうですね! さあ、仕掛けてきて下さい。遠慮しなくとも、俺は頑丈なんで多少の事では怪我をしたりはしませんから!」
「そういう問題じゃないんだよなあ……」

 しかし、如何に物騒且つ本気のチャンバラとはいえやられっぱなしではいけない。やられたらやり返す。
 何故か暴力的な思考に脳を支配されつつ、軽やかに起き上がったイオは自分の手足ではないかのように軽やかに地面を蹴る。そのまま、持っていた双剣の片方をクライド目掛けて振るった。
 それは軽い音を立てて、盾に阻まれる。男女の力の違い、加えてロボ族混血とかいう血統書付の彼はあっさりイオを盾で押し返した。

 ふわり、身体が地面から離れる。木の板で人を押しただけで吹っ飛ばせるなんて、どんな腕力しているんだ。
 あまりの浮遊感への恐怖に歯を食いしばっていた為、クレームは言葉にはならなかった。代わりに脳内であらん限りの罵倒をするも、当然イオを投げ飛ばした張本人には届かない。

「ぐ、う……っ!! あれ?」

 背中から地面に打ち付けられる。そう思った瞬間、無意識的にイオは身体を反転。きっちりと両足を使って地面に着地した。

「すいません、軽かったもので、つい」
「つい、じゃない! 危うく大怪我するところだったでしょ!?」
「華麗に着地していましたけどね」

 クライドの軽すぎる謝罪に、口から文句が飛び出す。しかし、クライドは怪我一つしていないこちらの格好を見て「そんなに怒る事か?」と言うような顔をしていた。怒る事だし、こんなの普通だったら背骨からボッキリと逝ってる可能性もある。

「……そっちがそのつもりなら」

 少しばかり怪我の危険性というものについて真剣に考えてもらうべく、イオは右手の平をクライドへ向けた。
 そう。先程メテスィープスに教わった転生特典の異能力を使ってみる事にしたのだ。さっき、あの謎の時間で彼女に肩を触れられた瞬間から使い方は分かっている。これはそう、手足を動かすのと同じ事。つまり理屈は説明致しかねる。

 思い描いたイメージ通りに、グラビティの力でクライドを押す。人とぶつかったくらいの衝撃を与えたが、彼は眉根を寄せるだけでびくともしなかった。

「ん? 衝撃……イオさん、変わった力を持っているみたいですね」
「えっ、結構強い力で押したのに……」
「俺は頑丈ですから。遠慮せず、全力でタックルしてくるぐらい思い切りやってくれても良いですよ。ただ――もう今、その動作を見たので次は避けますけど」

 言外に同じ事をしようとしているなら、次は受けてやらないぞとそう言われてしまった。何故だろう、模擬戦が始まってからこっち、少しだけ自分の反骨精神が強くなっているように感じる。やられたからやり返す、だなんて。今まであまり考えた事も無かったのに。何をムキになっているのだろうか。