3.





 演奏者だけが視える、ほぼ不可視の黒い弦。能力が他にバレない限り、目に写らないのだから必殺の威力を持つそれだったがクレアには通用しなかった。まるで能力のネタが分かっているかのように素早く周囲を確認、どことなく弦が少ない位置から的確に攻めてくる。
 ――やはり、どこかで会った事がある。しかも、その時に仕留め損なった。
 その時の自分がいったい何を考えていたのかも最早分からないが、実に愚かな行為だったと舌打ちしたい気分である。
 何か急いでいたのだろうか。逃げた獲物を見逃していい程に。
 ここ最近でそんな状況に追い込まれたのはただの一度しかない。そこまで思考が追い付いたところで、クレアの足もまたディラスを間合いに入れる位置まで追い付いていた。
 だからこそ自然に口を突いてその言葉が出た。元来、思った事はすぐ言葉にしてしまう性質を持ち合わせていたのだ。

「――やっとお前の事を思い出した。かなり朧気ではあるが」

 ピタリ、とクレアの足が止まる。それは「やっと思い出してくれたのね」、だのという微笑ましい感情からではない。刺し殺さんばかりの視線はそのままだからだ。
 無言の彼女へ確認するかのように言葉を紡ぐ。とくに時間稼ぎをしているつもりも、或いは何か別の思惑があったわけでもない。ただ、原因解明。それはクレアも同じなのだろう、敢えて動こうとはしない。

「ヴィンディレス邸で会ったんだったな。僕があの子を捜している時に。急いでいた事だけは、よく覚えている」
「そこまで分かっているなら、何故あたしがこうしてお前の前に立っているのかも分かるでしょう?」
「仇討ちのようだな。僕が殺した彼がお前の言う『ブラッド』、という人物だったのか?」
「違うわ。まあ――思い出した事に関しては、評価するけれど。もっと一杯殺しているでしょう、《ジェスター》」
「言った通りだ。お前と出会う前の事については保証しかねるが、出会ったあの時点で僕の素行はかなり改善されている。その後の事に関しては《宴》の連中とは何の因縁も無いはずだ」
「信じられないわね。忘れているんじゃない?だって、レールの上に転がった小石を退けた事をいちいち覚えているような人間じゃないでしょ」

 話にならないな、と呆れたようにディラスは首を振って肩を竦めた。すでにクレアの中で『仲間殺し』の犯人は《ジェスター》だと決められているのだ。それを今更、彼自身の言葉で弁解する事など不可能だろう。
 それに――早く帰らなければ。あの子が、真白が、変な勘を働かせて起きてくるかもしれない。

「お前と話している意味がもう分からないな。僕の言う事が信じられないのならば、それで構わない。それは逆も同じ事だからだ」
「そうね・・・そうだったね。意味なんて最初から無かったんだから」

 脳内を戦闘モードに切り替える。正直、苦しい状況だった。フルートの音は絶えず響き続けている。《ローレライ》が荷担している事だけは想定外だったのだ。
 弓を握り直したところでクレアが突進してきた。頬、腕、足――様々な部位を斬り裂かれながらもそれを意に介さず突進してくるさまはいっそ脅威だ。
 一瞬だけ視界がぶれたと思った同時、気付けば必死の形相の彼女が手を伸ばせば届く距離にいた。さっきより、ずっと速い。随分息も上がっているし、無理をしているのは一目瞭然だが、それでも速くなっている。

「――ッ!」

 避けられない。こんな目前であんな刀を振り回されたら、間違い無く首と胴が泣き別れする。皮肉にも、自分の殺害方法で他人に殺されるとは。

「あ!」

 不意に目を見開いたクレアが一瞬だけ動きを止めた。その一瞬でディラスは彼女の間合いから外れる。そこで何かにぶつかった。しかし、それに構っている暇は――

「ディラス」
「・・・何、だと・・・」

 聞き覚えのある澄んだソプラノの声。視線だけ動かして振り返ればぶつかった時に転んだのか、ゆっくりと起き上がる相棒の姿があった。