3
「・・・ちなみに、今は何の絵を描いてるんですか?」
「今?今はねぇ・・・。あぁそうだ、見るかい?」
「えっ」
いやそこまではしなくていい、そう言おうとしたがキャンパスをこちらへ向けたノーラ姫の笑顔に一瞬、言葉を失う。
反射的に逸らした目を描きかけの絵へ移す。
色はまだ無い。完全に線画状態の絵には化け物なんていなかった。しっとりと、正確に力強く引かれた線達が描いているのは。
「・・・俺ですかね、それ」
「そうだよ!ふっふっふ、1年ぶりぐらいの力作になりそうな予感がするよねっ!いやぁ、とってもエキサイティングだよ!!」
鼻息荒くそう言った姫君は今日部屋へ入った時からずっと持続しているハイなテンションのままだ。
暫し茫然として言葉を失う。掛ける言葉なんて持ち合わせていなかったし、何よりどういう反応をすれば正解なのかライアンにはわからなかった。
「人物画は、描かない、って言ってやせんでしたっけ?」
「言ったかな、そんな事」
「言った、確かに」
「だったらその時の私はトチ狂っていたんだよ。基本的に描く物は選ばない主義なんだ!君にそう言った私はさぞかし荒んでいたのだろうね!」
彼女が似たような事を口走ったのは1週間以上前の話だ。だとしたら、この1週間で彼女を変える何かがあったのだろう。充実した生活を送れていたのならば、ライアンとしても満足だ。
「人物画・・・あまり気は進まなかったんだ、最初は。けれど、君を描くのなら、また久しぶりに人を描いていいかな、って。そう思ったんだよ!」
「俺の前で筆握ってるのを見たことねぇんですけど」
「見たそのままを写し取るのが模写。いつも君はこんな感じだよ」
「マジすか」
鏡など久しく見ていないが、こんな活き活きとした顔をしていただろうか、自分は。自分自身に問答してみるが、もちろん答えなど出るわけがなかった。というか、奴隷生活を始めてから確実に表情筋は退化しているに違い無い。
「――よかったんですか、俺なんか描いて。もっと他に、あんたに描いて貰いたい人間はいるだろうに」
例えば実の娘に化け物として描かれた王様、例えば実の妹に化け物として描かれた姉君。或いは彼女と関わりのある全ての王族に貴族。才能が無いわけじゃない。むしろノーラ姫は絵を描く事以外に天職があるとも思えなかった。
彼女に王族特有の人を惹き付ける魅力がある事は認めよう。けれど、それを利用して他者を思い通りに動かす才能は、末の姫君には一切無いように思える。興味の埒外だからか。
そう獣の奴隷が思っている事も知らず、気付かず、ノーラ姫は微笑む。
「勘違いしちゃ駄目だよ。ライアンと私は友達じゃないか。だから描きたいと思ったんだよ」
それに、と無邪気な笑みを浮かべた姫君はあっさりと言った。
「今はこの絵以外の絵にまるで興味が持てないね。依頼されたってお断りだ。だって、興味が無いのだから」