3.





 部屋の中へ踏み入ってすぐ。絵の具の臭いが鼻についた。それも、ちょっとやそっとのそれじゃない。強烈な、何十本物チューブを一片に絞ったまま放置して数時間経った後のような。
 ぎょっとして足を止める。
 その部屋はまさに『作業部屋』だったからだ。
 所狭しと置かれたキャンパス、積み上げられた空っぽの絵の具、使い古された筆。倒れた椅子に絵の具がはみ出した事を如実に語る机の汚れ。窓は数ヵ所開けられているが、そんなものは意味を成していない。
 足の踏み場も無い作業部屋、もとい工房の中。ぽつんと物に埋もれるように鎮座していたのは――ノーラ=アクランド。相変わらずの屈託無い笑みを浮かべ、部屋をじろじろと眺めるライアンを観察していた。ぶらぶらと揺らす足は地面に着いていない。椅子が高すぎるせいだ。

「やぁ」
「――どうも」

 旧知の友と出会ったような気安い感じでひらりとノーラ姫が片手を挙げる。釣られて同じように返してしまいそうになったが、自重。

「急に呼んでごめんね?君と話をしてみたかったんだ。どうせ、姉様とかお父様とかの言いつけた仕事をするぐらいだったら、こうしてゆっくりしていた方がいいとも思っていたけど」
「・・・そうなんですか」
「あぁ!そうなんだ!」

 がたっ、とあまり上品ではない音を立ててノーラが立ち上がった。やはりショートドレスを着ていたがそれは絵の具で見事に汚れている。

「一目見た時から、君は私にとってのインスピレーションの塊だと思っていたよ。だって君はとっても個性的だからね」

 嬉々としてそう言う姫君を前にライアンは完全に沈黙した。何と言葉を返せばいいのか分からない。機嫌を損ねる事は無いだろうと直感的に思えるが、下手すると一瞬で興味から外されそうだという事だけは解った。
 悩みに悩んだ末、大男は肩を竦める。その様はまるで小さな動物のようだ。

「あー・・・姫様は、随分と王族っぽくないですね」

 ――何を言っているんだ俺は。
 すぐに自分の失言に気付いたものの、取り消しは不可能だ。心中で自らの愚かさに舌打ちしつつ、姫様の様子を伺う――

「あはっ!それ、よく言われるよ!姉様とか兄様からね」

 意に反して、末の姫はけらけらと心底可笑しそうに笑っていた。