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そのままどうしていいか分からず、目が合ったまま数秒思考が停止する。というのも、ノーラ姫はにこにこと笑顔のまま、ずーっとこちらを見ているのだ。このまま背を向けて帰るというのも不躾な気がする。
あくまで顔の向きは固定したまま、視線だけを右往左往させる。物理的に強い者であったのならば、睨み返すのだが、相手は少女である。それも、王族。そんな事をしたら真実、首が飛びかねない。
弱々しい者に対する耐性が皆無だったライアンは焦りに焦る。誰か声でも掛けてくれと心中で念じてみるも、仲間からの視線は感じるが誰もが見て見ぬ振りの気配。
――どうしろってんだよ!
普段使わない脳がフル回転して、回路が焼き切れそうだ。完全に自分のキャパシティを越えている事象。
そんな中、不意に視界に飛び込んで来たのは、姫君がほっぽり出して地面に放置していたスケッチブックだ。ページが何枚か切り取られ、地面に散らばっている。
絵の具ではなく、色鉛筆で塗られた絵だった。全て。優しいタッチの風景画だったり、道端に咲いていたであろう花の絵だったり。模写、とでも言えばいいのだろうか。絵の知識などそれこそ持ち合わせていないから何とも言えないが。
そして、バラバラの物を描いているのに、一つの共通点を見出した。
――人物画が、一枚たりとも無い。
まだページにくっついている紙にも、散らばっている絵にも、人を描いたものは一枚だって無かった。その中には畑の様子を描いたであろう絵もあるのに、不思議と人は陰すら描かれていない。
――とてもきれいな絵なのに。
完全に描いた本人であるノーラ姫の事など忘れ、絵を見入る。ライアンは一つの事しか出来ないタイプだった。
「ねぇ」
「!?」
はっと我に返る。話し掛けてきたのは、見間違うはずもなくノーラ姫だった。双眸を好奇の色に染めて。
「お兄さん、逞しい身体してるね」
「・・・は・・・?」
唐突に言われた一言。聞き間違いかと思ったが、少女の視線をたどってみればそれが間違いでない事を悟った。何を言っているんだこいつは。思ったが口に出来ない。
何と答えたものか、と口を開けたり閉じたりしていればまたも唐突にノーラ姫は立ち上がった。
「あの人達、お兄さんの事呼んでるみたいだよ。そろそろ休憩も終わりみたいだね」
「え・・・!?」
振り返る。今まで気付かなかったが、それは確か奴隷仲間で必死にライアンを呼んでいた。言う通り、休憩は終了らしい。
再び姫君の方を向く。
――彼女はすでに、いなかった。