1.





 暫くすると、足音が聞こえてきた。もちろん、回りの人間達には聞こえていないのだろうが。
 ――高いヒールの靴音と、革靴の音。仕事を言い渡しに来た兵士じゃない。
 いち早くそれに気付いたライアンは盛大に顔をしかめる。そんな上等な靴を履いている人間はこの建物の中では限られる。

「お、仕事かね?」
「いいや、違ぇな。これは――」

 隣に座っていた男が首を傾げた刹那。ノックも何も無く、唐突にボロ小屋の戸が開け放たれた。
 同時、香水のキツい匂いと清浄な空気に肺が満たされる。久しぶりに吸う、外の空気を纏って現れたのは小屋の惨状を見て顔をしかめる男女だった。

「相変わらず臭いわね・・・」
「仕方が無い。ゴミ溜めなんだからさ。ほら、それよりもさっさと用事を済ませてしまおう」
「ふん・・・。まぁ、いいわ。こんな小屋、綺麗にしたってたかが知れているものね」

 第一王子、ハロルド=アクランドと第二王女、ドリーン=アクランド。兄妹である彼等は小屋を一瞥して、首を振った。

「そこの獣は駄目だよ。勝手に持ち出すとお父様がお怒りになる」
「要らないわ。あんなゴツい奴。あぁ、選ぶのも面倒ね」

 事情を一切話さないまま――奴隷相手に話す必要は無いと言わんばかりに、小屋へ訪れた二人は話し始める。それを、しんとした空気のままで、張り詰めた空気を放ち聞いているのは奴隷の方だ。
 ――気ままな二人の王族。現れた彼等によって、自分の命運は別れるかもしれない。今この場で、彼等がその奴隷の顔が気に入らないから処分しろとでも言えば、それは即ち死刑宣告だ。
 やがて、話が終了したのか、王女の方が声を張り上げる。

「奴隷を辞めたい奴、一人出て来なさい」

 ――これはいけないヤツだ。
 瞬時にそれを理解したライアンはその提案から目を背ける。月に一度ぐらいの割合で、こうやって奴隷を何人か連れ出す王族がいるが、帰って来た者はいない。もちろん、奴隷を辞められる訳もない。
 奴隷相手に真実を語らなければならないなど、吐き気がする。
 いつだったか、現れた国王はそう吐き捨てた。つまりは、そういうことだ。彼等は、道具相手に平気で嘘を吐く。真実など語らない。
 それに薄々気付いているのか、お前が行けお前が行け、と内輪揉めのように視線が交錯する。誰しも、自分から行きたいと名乗り出る者などいないのだ。

「俺・・・俺が、行くよ・・・。本当に辞められるんだよな・・・?」

 そう言ったのは、先程まで空元気のように振る舞っていた――つまりは、ライアンの隣に座っていた男だ。目は虚ろ、口元は歪に歪んで笑っているのか泣いているのかよく分からない、有り体に言うのならば実に醜い表情だった。
 もちろん、王女様は盛大に顔をしかめる。ぼそっ、と「汚いわね」と呟いたのをライアンは聞き逃さなかった。

「・・・おい」

 不意にそんな言葉が喉を突いて出た。男がゆるり、と振り返る。

「・・・いや、何でもねぇよ。達者でやれ」

 ――が、咄嗟に出た言葉は男を送り出す為のものだった。本当は何を言おうとしたのか、それは思い出せない。が、とにかく送り出す言葉ではなかっただろう。