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そっと抜き足差し足といった体で松葉くんの真横を通り抜ける。何の問題も無く、素通りし、素通りして――
すれ違った私はホッと息を吐いた。
しかし、次の瞬間にはその足を止める事になる。
「――おい、何かいるのか?」
鋭い、聞いた事もないような低く警戒心と敵愾心を孕んだ声が鼓膜を叩く。それは確かに松葉くんの声だったけれど、まったく知らない声色だった。やはり、彼は真性のツンデレである。他者を脅そうと思えば、こんな声だって出せるのだから。
息を潜め、彼が諦めるのを待つ。
気配に気付いたのか、或いは別の何かという要因があったのか――
いずれにせよ、今ここで走ったり逃げ出したりしたら、確実に確信の元、彼に見つかってしまうと思った。
「おい、知ってるぜ。魔道士が使う、姿を隠す魔法だろ?ネタは割れてんだよ、出て来い」
懐に手を突っ込んだかと思うと、松葉くんはその手にナイフを持っていた。月の光を反射し、鈍色に光るそれは触れれば怪我じゃ済まないと思わせるような鋭利さだ。
背筋が冷えていく。
松葉くんは自称、頭が良いタイプらしいので魔道士が使う魔法についても深い知識があったのだろう。どうするか、姿を晒してしまおうか。知らぬ振りをしてもう、走り去ってしまおうか――
一瞬考え、そして私は観念したように自身へ掛けていた全ての魔法を解いた。
途端、松葉くんが驚きに目を見開く。
「ドルチェ?何やってんだよ、こんな時間に・・・兄貴は?」
それは微かな疑いを内包した声音だった。
「今日は別々。仕事があるから、ずっと明かり付けてなきゃいけない、って追い出された」
「あぁ・・・事件、解決してねぇもんな」
「そうなんだよ」
少し悩ましげに眉根を寄せた松葉くんははぁ、と肺に溜まっていた刺々しい息を吐き出した。
「お前も、こんな時間に出歩いてんじゃねぇよ。2回ともアリバイがあったお前を疑ってる爺連中も沢山いるんだぜ」
「ごめんね」
寝付けずに――と、言おうとして止めた。余計に怪しまれる気しかしない。ので、一先ず話題を変えてみる。
「で?松葉くんは、なんでこんな所に?」
「あー・・・」
決まり悪そうに頭を掻き、松葉くんはそっぽを向きながら呟いた。
「色々考えてたら目が冴えたんだよ。隣の部屋の姉貴はうるせぇし」
「えぇっと、それは、何で?」
「知らねぇよ。なんか、オッサンのすすり泣く声とかたまに聞こえてくるぜ」
それは、あまり知りたくない。というか知ったら色々終わってしまいそうだった。一体、歳頃の紫苑ちゃんは自室で何をしているのか・・・。
――それより、松葉くんは早急にお姉様に苦情を言うべきだと思う。
隣の部屋が紫苑ちゃんじゃなくて良かった。と、私はこっそり胸をなで下ろす。
「おら、あんたはなんでいるんだよ。俺でも誰かに説明出来るように説明しろよ」
「何だか難しい注文だね、それ。私は・・・ちょっと、外へ出ようと思って」
「はぁ?なんで。危ねぇって知ってんだろ。お前みたいにひ弱そうな奴、すぐ殺されるぞ」
魔女にか弱いという彼の神経を疑うが、魔女なんて存在を完全に理解している人間がいるとは思わないので突っ込まないでおく。
それよりも――知られた以上、彼にも協力してもらうとしよう。1人より2人の方が、いいに決まってる。
「なかなか解決しない事件の現場を見たいなって思ったんだよ。どう、松葉くん。一緒に来ない?眠れないなら丁度良い散歩になるかもしれないよ」
「その睡眠運動の為に永眠するつもりはねぇよ。けど・・・うーん、お前、どうせ俺が止めても抜け出して行くんだろ、街に。なら、着いて行こうかな」
「え、ホント?」
正直、そんなあっさり着いて来てくれるとは思っていなかった。というか、最悪、他言無用という約束を取り付けられればいいとすら思っていたのだから。
「かっ、勘違いしてんじゃねーよ!兄貴にこれ以上、面倒事掛けさせたくねーだけだ!正室がいなくなったなんて知ったら、胃に穴空くかもしれねぇだろ!!」
あれ。松葉くん、お兄さんにはデレデレなんだ。いや、いいんだけどさ。