第3話

09.


 人間達が動き出したのが刺激になったらしい。再び高く遠く咆吼したドラゴンのかぎ爪がギラリと光る。余裕綽々で人間を睥睨する様はまさに捕食者のそれだ。

「ワルギリア、負傷者が出るかもしれない!下がっていろ!」
「結構。そんな大事にはならないぞ、たぶんな」
「はぁ?」

 ニヤニヤと意地悪く嗤うワルギリアに気後れは無い。油断も当然ないが、ドラゴンを見て素直に怯えている自分達を取り巻く空気とは根本が違うようだ。
 自身の胸の辺りを叩いた友人は薄く笑う。

「まぁ、見てろって。大した事ないだろうさ。予想よりはな」
「どういう――」

 言葉の意味を問い質すより早く、ワルギリアが一直線にドラゴンへの疾走を開始した。

「待て!迂闊に近付くな!」

 当然止めたがワルギリアの足は止まらない。舌打ちしたクライドが発砲する音が間近で聞こえたがそんなものに構っている暇は無いと友人の背を追う。
 ごうっ、と吼えたドラゴンが口をパクリと開ける。口内は見えなかった。目が潰れる程に眩しい光が漏れ出る――

「ちょ、バカ共戻って来い!それって噂に聞くブレスだろ!?」

 ぎょっとしたようなクライドの声が鼓膜を叩くももう遅い。止まる事も引き返す事も出来ないまま、足がそんなに速くないワルギリアに追い付いてその肩に手を掛ける。どうにか彼女だけでも投げ飛ばして引き下げる事が出来れば共倒れは防げるはずだ。
 ふわり熱い風が頬を撫でる。
 赤い体躯のそれは見た目に違わず火の属性を操るらしい。
 遠くでパキンという何かが噛み合うような金属同士を結合させたような音が響いた。

「わ、ワルギリア!君だけでも下がれ」
「いやいい。必要ない。こんな火炎放射器、防げないはずがないだろ」

 火炎放射器も人間が使う道具としては上位互換の部類に入るのだが。反論らしい反論は口に出来なかった。ワルギリアを引き下げるという判断を迷ったその瞬間に川の本流に突っ込んだかのような大量の火炎が吐き出される。
 そのタイミングピッタリにワルギリアが片手――フランベルジェを持った手を掲げた。真っ直ぐ、ドラゴンの口にピタリと。
 リディアの悲鳴のような叫び声が聞こえた。

「結界?君はヒーラーなんじゃなかったのか……?」
「馬鹿。ヒーラーは本来人命救助が最優先だ。結界くらい誰でも扱えるし、必要になれば能力アップの魔法も使える。これだから騎士職は。ヒーラーが本当にヒーラーだけやってたら死人がホイホイ出るだろ」
「う、すまん。確かに、戦場で結界も張らず治療に入るのはあれだな。危険だな」

 分かればいい、と鼻を鳴らした友人は掲げていた手を降ろした。勿論、火傷一つしていない。しかし、ドラゴン種のブレスとは結界の一枚で防げるようなものなのだろうか。
 恐る恐る――情けない事にヒーラーの背からドラゴンの様子を伺う。呻っているそれは確かに圧があるような気がするが、果たしてそれは本当に威圧感だろうか。自分達が勝手に恐れ戦いているだけではないだろうか。少なくとも一拍置いた今、目の前の魔物から差ほどの恐れは感じない。

「わーっ!良かった、無事だったんですね!もう私、てっきり二人して焼き鳥になっちゃったのかと……あ!鳥は私でした!」

 煩い、非常に。
 呆れて下らない事を言うな、とリディアを叱咤しようとしたが再びワルギリアが行動を開始したのでやはりそれは言葉にならなかった。

「ちょっと待て!どうして君はそう、無鉄砲に突っ込むんだ!危ないだろう!?」
「そんな事言ってたらいつまで経っても宿に帰れないだろ」

 言いながらワルギリアが得物を振るう。狙いは蝙蝠の羽。吼えたドラゴンが数歩下がった為にそれは羽の薄い部分を縦に引き裂いたのみだった。それにしても、飛んでばかりで足が不自由なのか。立ち上がったばかりの赤子の動きみたいだったのだが。
 あまり恐怖を感じなくなり、飛ばれても困ると反対側の羽を落とす作業へ入る。
 しかしここまで来ると遠くから見ていた後衛組も事のおかしさに気付いてくる頃合いだ。案の定、困惑した表情のクライドは銃口をドラゴンの眉間に合わせているし、リディアは首を傾げながらも詠唱に移っている。ただし彼女の首にはエーデルトラウトが下がっており、彼が指示を出している可能性も少なからずあるだろう。
 羽を斬り落とそうとしている事にドラゴン自身も気付いたのか暴れ始めた。巨大な尻尾を振るい、駄々っ子のようにジタバタと動く。ドラゴンと言えど所詮は魔物という事か。

「無理すんな、ワルギリア!ちょっと下がれ、俺がやる!」

 ハッと我に返る。とりあえず左側の羽を落としたが、ワルギリアの方はやや苦戦しているようだった。というか、息が上がってきている。ここに来るまで様々なクッションを挟んでいるので疲れているのはある意味当然かもしれない。
 立て続けに発砲音。しかしそれはあまり意味がある行為だとは思えない。広げた布に点を入れているだけの作業だ、こんなもの。

「お任せください!クライドさんは胴の方を狙って行くスタイルでお願いしますよぅ」
「お、おう。確かに俺がいくら羽攻撃しても無意味だったぜ……」

 代わってリディアが不可視、風の刃を放つ。最早ワルギリアはクライド達の茶番を一歩離れた所からぼんやりと眺めている状況だ。何だ、確かに体格があるのでそれなりに苦労させられるが思っていた程強くない。
 鎌鼬のようなそれがドラゴンの反対側の羽を斬り落とした。もうこれでただの巨大な蜥蜴である。

「ワルギリア、戻って来いよ!もうあとは畳むだけだろ、ギャハハハ!」

 リディアの腰辺りからラジオがそう言う。素直に従った友人は優雅に踵を返した。そのままリディアの隣へ並ぶ。前衛が後衛から高みの見物を決め込むようだ。
 暴れていたドラゴンは疲れたのかその動きを鈍くしている。

「クライド!トドメを刺してくる、援護を頼んだ!」
「おーう。にしたって手応えなさ過ぎだろ。危ね、報酬パーにするところだったぜ」

 再びブレスを吐こうとした口。その真下の首筋目掛けて刺突。柔らかな感触と共にようやっとドラゴンが倒れた。