第3話

08.


 各々適当に買ったおにぎりだのパンだのを食べる。信じられない事にこの光景が繰り広げられているのは敵地のど真ん中だ。

「そういえば、お前、昔は誰かと旅してたのか?」

 不意にクライドがリディアへそう尋ねた。小鳥がパンを啄むようにゆっくりと昼食を摂っていた彼女は「はい」、と物寂しげに頷く。何か悲劇的な出来事でも起こっていそうだが後の祭りである。

「同族の幼馴染みとギルドに所属してたんです。まあ、旅のついでにお小遣いも稼いじゃおうって言い出したの、その人なんですけどね」
「同族って――」
「ああ、彼は4つ足獣の方ですよ」

 と言う事はクライドと同じ境遇、というわけではなさそうだ。
 遠い思い出に想いを馳せるように。リディアは淡々と、しかしどこか感傷的に語る。

「実は3年前に捨てられちゃいまして。『飛べない鳥なんてただのゴミじゃーん』、って言ってました。……怒っ!」
「く、クズ……!まったく、性根を叩き直してやりたいな」
「獣のくせにあの人、かなり貧弱なんでアリシアさんみたいに強い女性から鍛えられたら過労死してしまうかもしれないですね」

 何て奴だ。幼馴染みというからにはそれなりに長い付き合いだっただろうに、まあ、皇国のせいでもあるので一概に『あの人』が悪いわけではないのだろうが。しかし、それにしたって足手まとい、少しばかり弱体化した幼馴染みを切り捨てなければならない程に貧窮した状態だったのか。
 どんな生活を送っていたのだろうか、リディアは。ふと気になってそちらを見るも、本人は何故か黙々と食事を摂っているワルギリアを眺めていた。

「――何だよ」

 業を煮やしたワルギリアが半眼で尋ねる。友人はそもそも顔を見られるのをあまり好ましく思っていない節があるので当然と言えば当然だ。
 うーん、と少しばかり不思議そうに首を傾げたリディアが呟く。それは限りなく独り言に近かった。

「やっぱり、相棒にちょっとだけ似ている気がします。ワルギリアさん」

 ふん、とワルギリアは鼻を鳴らした。その顔には人の悪い、強いていうならば悪戯っぽく、ただし悪戯するにしては邪悪過ぎる気もする――そんな笑みだった。

「お前がそう思うのならそうなんじゃない?」

 ***

 それはまったく突然だった。
 ざわざわ、と周囲の木々が揺れたかと思えば一斉に飛び立つ小さな鳥たち。まるで災害の前触れみたいだ、とクライドが呟いた。

「うう、とっても嫌な感じがします……」

 やや顔色を悪くしたリディアが腕を擦る。寒い時にする仕草のようだが、当然現在の気温は寒いとは言えないものだ。しかし、人と獣の中間地点に立つ彼女の勘だ。当たらないはずがなかった。
 第六感だとか虫の報せだとか。そういった類のそれをまるで信じていなさそうなワルギリアその人が険しい顔で言い放つ。

「準備をしろ!来るぞ」
「来るって、何が――」

 黒い大きな影が今立っているこの場所に差した。太陽を遮るものなど何も無い場所だ。通り雨にでも降られるのか、と一瞬だけ見当違いの事を思い描いてアリシアは上空を見上げる。見上げて――絶句した。
 恐らく全員が全員、そんな顔をしていたのだと思う。正直、あの討伐依頼を見た時は大きな鳥類の魔物の事を指しているのだと思っていたのだ。
 凶悪。ギラついた牙を覗かせる赤黒い頭に、そこから伸びた細い首は太い胴へと連なっている。堅そうな鱗が日光を反射して硝子細工のように輝いていた。胴から伸びる尾の先は滑らかに補足なっている。十字を切るように胴から生えた薄い膜のような翼は蝙蝠のような形をしていた。

「ど、ドラゴン種!?本当に?いや、そもそも何故こんな場所に……」

 問い掛けに答える者はいない。友人――『彼女』なら或いは、と思ったがそのワルギリア本人は目を眇めて突如現れたその魔物を見上げるのみだった。
 ドラゴン種とは――イル=グレイスが書いたとされる『魔物大全』によると人里離れた秘境にその縄張りを持つらしい。人間は特殊な条件下でしか秘境には至れないし、ドラゴン種もまた余程の事が無い限り人間の前へ姿を現しはしない。人の認識感にドラゴンの存在があるのはドラゴン出現事件がここ15年の間に3回以上起きているからだ。なお、その15年よりも前にはまだ「大きな鳥と見間違えたのだろう」、という認識が一般的だった。
 お伽話、ロマン、幻想――
 物語の中だけの存在であったそれが、今目の前に鎮座している。それは酷く非現実的で本当に起こっている事なのかすら疑わしい。
 目と目が合う。背筋が粟立つような感覚を覚えて、知らずのうちに一歩下がった。
 優雅に空中を旋回していたそれが吠える。地鳴りのような轟音に息を呑んだ。

「おい……おい、降りて来る気か!?」

 長い首を動かし恐らくは地を見たドラゴンの身体が、傾く。
 一瞬の停滞。その後、落ちるように滑るようにそれが降りて来る。不躾にジロジロと眺め、あまつさえ武器を持ち、自らを討伐すると息巻いていた人間を粛正するべく。
 ずん、と鈍い音と共に両脚が地面から浮いたように錯覚する。
 凄まじい物量。近くで見れば見る程に大きい。海の中で鯨に遭遇したらこんな気分なのだろうか。
 下りて来た赤っぽいドラゴン。自分達との距離は――およそ40メートル。まだ遠いが、それでも巨大に見えるのだからもっと大きいのだろう。あの巨大なツノウサギと同じか、それ以上に。

「おかしなもんだぜ、俺達はいつの間に秘境へ迷い混んだんだ?ギャハハハハ!」
「わ、笑い事じゃないですよぅ!あばばばば、か、身体が動かないです……」

 いつも通り何かを悟ったか或いは何かを諦めたようにワルギリアが一つ頷く。彼女はその唇に悪戯っぽい笑みを浮かべてこう問うた。

「で、どうするよ。アリシア」

 どうする、と問い掛けられて一瞬だけ思考が止まる。依頼の魔物は間違い無くこいつだ。成る程確かに新種と疑いたくなるような様相なのだが、出来るならば新種ではなくドラゴン種と明記して欲しかった。
 グルルル、と呻るドラゴンが一歩、また一歩と間合いを詰めて来る。動かない人間を物珍しそうに見つめているので案外置物か何かだと思われているのかもしれない。

「チッ、逃げるか?」
「でもでも、たぶんこれが依頼の――」

 顔を青くしているリディアの伺うような視線、クライドの早く逃げようぜと言わんばかりの双眸。
 それを視界に入れたアリシアはその一瞬後に決断を下した。

「迎え撃つぞ!こんな生き物、野放しにはしておけない!」
「うえぇ!?正気かよ、こんなん……」
「文句を言うな!相手は空を飛ぶんだ、お前の飛び道具が無ければ始まらないんだぞ!」

 気弱なクライドを叱咤する。これだから体育会系は、などと呟いているが聞かなかった事にした。それどころではない。
 一番怯えていたリディアは指示を聞くと同時、魔物から大きく距離を取った。後衛なので当然だ。代わり、それまで事の成り行きを面白そうに観察していたワルギリアが前衛へ。やはり参戦するつもりのようだ。