第3話

07.


「わぁ!魔物です!!」

 モヤモヤするような、曇った硝子を見ているようなそんな気分だった。だったのだが、不意に上げられたリディアの声で現実へ引き戻される。
 意味深な言葉を吐くだけ吐いた友人はすでにいつも通りの涼しい顔に戻っていて今更このモヤモヤを問うのもお門違いな気がしてならなかった。というか、魔物の処理が先だろう。最早その問いをかける機会は一生訪れない気がする。
 頭を振ってその思いを一旦忘れる事にした。とにかく降り掛かる火の粉を払わねばならない。

「クライド、魔物から離れろ!お前の持ち場は後衛だろう!」
「分かってるって!」

 クライドと共にリディアも距離を取る。腕力が強い獣型と違って、鳥型は魔法を操る。故に後衛だ。簡単な方程式。
 表れた魔物は大きな蜥蜴にも似たそれだった。ただ背中に大きな棘が有り、尾の先も凶悪な三つ叉の刃物のような様相を成している。大きさは蜥蜴などという可愛いサイズではなく、立ち上がれば人の背丈程もある巨大さだった。
 更にもう1匹。こちらは少しばかり体躯の小さな狼、或いは野犬のような魔物だ。真っ黒い毛に覆われている。目は赤く、覗く牙は思わず身震いしてしまう程に鋭い。

「速そうな魔物だな、気を付けた方が良い」

 他人事にようにワルギリアがそう言った。信じられない事に、彼女は珍しく自らの得物を持ち参加表明をしている。リディアの件を流した事といい今日の彼女は少しばかり機嫌が良いようだ。
 彼女が自らの意志で戦闘に参加する。それを止める――止められる理由もあるはずがなく、アリシアはそれを見なかった事にして姿勢を低くする魔物と向かい合う。グルルルル、と呻り声を上げる魔物に少しばかりの違和感を覚えた。

「――私の勘違いかもしれないが、何だか……焦っているように見えるな」
「俺もそう見えるよ」

 攻撃的且つ後方を気にしているような態度。
 何か後ろから差し迫ってでもいるのだろうか。

「あの!取り敢えずこの魔物を倒してしまいましょう!危ないですし・・・」

 考え事は一時中断せざるをえなくなった。焦っていような何であろうが相手は言葉の通じない獣のような存在だ。話し合いで戦闘を回避出来るなど絶対にあり得ない。
 戦闘の開始はクライドによる銃の発砲音だった。彼は迷うことなく足の遅そうな巨大蜥蜴を狙い澄ますと間髪を入れず引き金を引く。乾いた音と共に鮮血が飛沫――

「……おい、クライド。この距離だぞ。外さないだろう、普通」

 何事も無かったようにもぞもぞと動いている蜥蜴を見て思わず呟いた。クライドは非常に苦々しい顔をしており、溜息を吐きながら野犬のような魔物に銃口を向ける。

「いや、当たりはしたが、何か弾かれた」
「だから銃などアテに出来ないんだ。やはり剣技こそ至高」
「そうかいそうかい。じゃあその至高の剣技とやらでさっさとあのノロ助を倒してくれよ。俺はあっちを相手にするから――」

 バサバサ、と耳元で何か大きな鳥が羽ばたいたかのような風が巻き起こった。
 言うまでも無くリディアだし、大きな鳥というのも存外間違いではない。両腕をはためかせた彼女の周囲に風の渦が発生する。クティノスの特殊魔法が発動したらしい。
 それは今まさに飛び掛からんとしていた犬の魔物を押し戻し、詰められかけていた間合いを取り戻す。なお、鈍足であるらしい蜥蜴には大したダメージを出せていないようだ。頑丈なやつである。

「本当にあのトカゲちゃんの方は剣士の方にお願いするしかないみたいです。あ、でもワルギリアさんも剣士みたいだし――」
「ワルギリアはヒーラーだぜ、リディア。あまり頼りにしない方がいいな」
「えぇ!?」

 驚いた顔でワルギリアを凝視するリディアに、彼女は「何か文句でも」、と顔をしかめた。そりゃあ手に物騒な刃物を持った人間が実は本職ヒーラーだなんて誰も思わない事だろう。アリシアでさえその目で見るまで信じられなかった事案だ。
 何故か慌ててリディアがワルギリアの隣に戻っていった。

「何のつもりだ?」
「だってヒーラーなんですよね。だったら一人にしておくわけには……」
「お前が連携って言葉を知ってた事に、私は驚きを隠せないな」

 ずっと一人で旅をして来たわけじゃありませんから、とリディアは少し寂しげに笑った。そんな彼女を知ってか知らずか、ワルギリアが持っていたラジオを彼女に押し付ける。

「お前、後衛なんだろ。トラウトを持ってろ。壊すなよ」
「あっはい」

 そうしてヒーラーは身を翻し、手にした剣の切っ先を蜥蜴の魔物へと向けた。
 果敢にも剣先を蜥蜴の魔物に突き立てたワルギリア。しかし、次の瞬間にはその場から飛び退きアリシアの隣に並んだ。

「――どうした、ワルギリア?」
「悪い。普通に鱗が堅すぎて通らない。お前に任せる」

 あっけらかんと言ってのけたワルギリアがぐぐっ、と伸びをする。油断しきっているように見えるが、彼女が油断によって足下を掬われた事は一度だって無い。生来からそういうタチなのだろう。

「おいおい、私に任せると言ってもな……。そもそも刃物で対抗しようというのが間違いなんじゃないのか?」
「えーっと、じゃあ私の出番ですかね?」
「む。そうか、鳥は魔法使いなんだったな。ううん、行けるか?」

 少々不安ではあるものの、ゲスト参戦であるリディアに問い掛けてみる。彼女は「任せてください」、と拳を握りしめた。世話になっているという自覚はあるらしい。
 やる気満々で詠唱を始めるリディア。術式使いではなく、呪文使いのようだ。
 それを一時は横目で見ていたワルギリアだったが、ふと動きを止める。

「ワルギリア?どうし――」

 次の瞬間、目を剥いたワルギリアの身がブレた――ように見えた。
 目にも留まらぬ速度でフランベルジェを振り抜く。それはほぼ反射であり、経験から弾き出された完璧な受けの姿勢だったと言えるだろう。

「おい、よく見てろよ!」

 ワルギリアの足下に輝く棘のような針のような飛来物が突き刺さった。
 苛立ったような言葉の矛先はリディアの方を向いている。ここまで状況証拠が揃えばそこから答えを導く事は容易だった。

「あばばばば!?す、すいません。助かりました……!」

 鈍足だと思われていた例の蜥蜴は細かい針を飛ばす攻撃手段を持っていたのだろう。当然と言えば当然だが、実際目にするまで思い至らなかった。
 再び詠唱に戻るクティノス族の彼女はチラチラとワルギリアに視線を送っている。申し訳無いとでも思っているのだろうか。

「おーい、いつまで掛かるんだよ。もうこっちは片付いたぜ」
「何?そもそも、お前の銃弾が通らなかったから面倒な事になったんだろうが」
「俺は銃を造る職人じゃねぇんだよ。銃弾の威力まで調整出来るか!」

 呑気に片手を挙げながら帰ってくるクライドに厳しい言葉を浴びせてしまった。時間をロスした事により自分でも気付かないうちに苛々してしまったようだ。謝る気にはならないけれど。

「準備完了しました!いるでも行けます!」
「いいから早くしろ」

 ずっと魔物を見張っていてくれたらしい友人は淡々とゴーサインを出した。
 明らかに自然ではない、不自然な風が頬を撫でる。生温くもあり、同時に無機質的なそれは発生した風の渦が人工物である事を意味していた。
 反撃の機会を伺っている大きな蜥蜴に向かってリディアが吠える。いつもヘラヘラしているその顔に、今や笑みは浮かんでいない。

「行きます!」

 瞬間的に突発的に怪しく渦巻いていた風が解き放たれた。それは不可視の刃となって魔物を襲う。何者にも形を変える風は蜥蜴魔物の皮膚組織を寸断し、皮膚そのものをも斬り裂く。

「おお!やっぱ一人くらいは魔法職いてくれた方が助かるな!」
「取って付けたような言い分じゃねぇか、ギャハハハハ!!」

 素直なクライドによる賞賛の言葉はしかし、エーデルトラウトが皮肉めいた口調で牽制する。一瞬だけリディアが持つラジオを見た狙撃手は口を閉ざした。

「あの〜?」

 微妙な空気になった事を敏感に感じ取ったらしいリディアが恐る恐る口を挟んだがそれに効果は無かった。鳥の一声より、僧侶の一声。続いて口を開いたワルギリアの口調には確かに疲れが滲んでいる。

「いいから、どこかで休憩させろ。もう昼だぞ、何も食べてないだろ」
「それもそうだな。しかし、何かこの魔物達も様子がおかしかったようだし……安全に食事出来る所などあるかな?」
「知らん。取り敢えずもうここで休憩するぞ」

 それだけ言うとワルギリアは手頃な岩に腰掛けた。当然森の中に人間が腰掛けられるサイズの岩などそうゴロゴロ転がっているはずもないので、残りは地面に座る事となる。
 おいおい、とクライドが顔をしかめた。

「せめて討伐した魔物から離れようぜ。こんなんじゃ飯も喉を通らねぇよ」
「我が儘を言うな役立たず」
「あれ!?あの犬の魔物仕留めたのって俺じゃね!?」

 抗議の声を上げる狙撃手を無視した友人は深い深い息を吐いた。少しばかりお疲れの様子だ。