第3話

05.


 鳶色の短髪にどこか猛禽類を思わせる金色の双眸。柔らかな少女の面影を持っている彼女の両脚はしかし、やはり猛禽類を思わせる鋭いかぎ爪が惜しげ無く晒されている。ベルトで床を傷付けないよう加工された靴を履いているようだが、晒されているその爪で引っ掻かれれば大怪我は免れないだろう。
 そんなクライドが凝視する先にいた彼女はこちらを見るや否や声を掛けてきた。狙撃手の視線が鬱陶しすぎて苦情を言いに来たのかもしれない――

「あの〜、依頼、受けるんですよね?」
「あ、ああ。そうだが……君は?」

 肯定の意を表明すると彼女は少し躊躇うように目を伏せた。何か言いたい事があるのは明白である。

「その、私、リディアって言います。あ、見ての通りクティノスの鳥です、鳥!」
「そうか。えぇっと、それで私達に何か用か?」

 クライドの表情を盗み見る。彼は難しい顔をしてリディアと名乗る彼女を見つめていた。大方、例の親友とやらを思い出して渋い気分にでもなったのだろう。
 対するリディアは言いにくそうに口を開けたり閉じたりしている。やはり、クライドの視線が不愉快だったのだろう。

「あの、アホな事を言っているとは思うんですけど……。その依頼、私も同行させていただけませんか?見ての通り、ちょっと不自由な事になっていて、ですね……」

 察してくれ、と言わんばかりに人間の形を模した両腕をパタパタと振る。そう、ここはまだアトナリア聖王国。飛行禁止などという馬鹿げた法令を出した帝国はお隣さんだ。用心するのであれば、ここでも空を高く飛ばない方が賢明だろう。
 ――しかし、こちらも金は入り用だ。果たして旅の仲間でもない彼女に分け前を提供出来る程収入があるのか。宿だって何日も泊まればそれだけ宿泊費が掛かる。その倍は今回の任務で稼がなければならない。

「あーっと、まあ、いいんじゃね?」

 歯切れ悪く了承の言葉を吐き出したのはクライドだった。そんな彼を睨み付ける。この狙撃手もまた、ワルギリアと同じく善意で人助けを提案するような人物ではないからだ。
 どういうつもりだ、そう問い掛ける前にクライドは勝手にベラベラと喋り始めた。その様子そのものが違和感しかない。

「まぁ、ほら、何か困ってるみたいだし。あの一番上の依頼こなせば問題ねぇだろ。だから、ほら、ワルギリアの奴に上手く説明する方法を教えてくれ」
「――お前それは善意で言っているのか?」
「……悪いかよ」

 リディアを見つめる彼の視線。それに込められているのは『哀れみ』、なのだろう。一つ溜息を吐く。どう見たって困って立ち往生している人間に対して断りの言葉を考えるより、宿で待っている友人を説得する言葉を考える方が気が楽だ。

「分かった。ワルギリアにもそう伝える。ただ、我々も金が必要でね。あまり多くの分け前は無いかもしれないが……」
「あ、ありがとうございます!ああよかった、今日も小魚の干物1匹なんていう可哀相な夜ご飯にならなくて……」

 ――食べ物に困窮するレベルで金が無いのか……。
 小さな呟きはその場にいた人間の心を冷たくした。断らなくて良かった、心中でほっと安堵の息を吐く。「知らねぇぞ」、と呟くラジオの声は黙殺した。

 ***

 結局、その日はワルギリアに会う事が無いまま、翌日を迎えた。色々すれ違った結果なのだが、話がある時にこれだから頭が痛い。
 よって非常に不本意ではあるが出掛ける前の段階まで彼女にリディアの事を伝えられないでいた。

「あー、ワルギリア。その、ちょっと話があるんだが」
「めぼしい依頼は無かったか?」
「そうじゃないんだ」

 目の前に並んでいるトーストしか見ていなかったワルギリアの視線がようやくこちらを捉える。朝の食堂は人が少なく、密会するには打って付けだ。
 努めて神妙な顔をするアリシアの隣にはこれまた神妙な顔をしたクライドが座っている。エーデルトラウトが余計な事を言わないか心配したが、それも今の所は杞憂ですんでいるようだった。

「その、だな、今回の依頼に一人部外者が加わる事になった。すまない、昨日の内には伝えておこうと思っていたんだが……」
「へぇ。足を引っ張らなければ何でもいいさ。で、分け前はどーなってんの?」
「報酬を参加者分で割る」

 そうか、と呟いた友人はそれ以降ゲストへの関心が失せたのか文句を言う事も無ければ話題に上る事も無かった。
 リディアとの待ち合わせ場所はここだ。宿の場所を教えたところ、もういっそここで合流しようという話になった。もう暫くすれば姿を見せる事だろう――

「おはようございます!良い朝ですね」

 溌剌とした口調で不意に思案していた人物が姿を見せた。のろのろと顔を上げたワルギリアが彼女を視界に入れ、そして訝しげな顔をする。そういえばクティノス族だとは説明していなかったような。
 そんなリディアをクライドが手招きして呼び寄せる。

「お前、朝飯食ったのか?」
「はい。今日の朝ご飯はマンゴーのドライフルーツです」

 奮発したんですよ、と嬉しそうに語るリディア。可哀相になってきたのでトーストを一枚献上した。依頼中に倒れられても困る。
 適当な椅子に腰掛けたリディア。与えたトーストに齧り付こうとした彼女はしかし、ワルギリアに気付いてその手をはたと止めた。そういえばワルギリアの紹介をしていなかったと鳥類によく似た彼女に簡素な紹介をする。本人は朝ご飯に夢中でリディアなど眼中にも入っていなかったからだ。

「ああ、リディア。そっちはワルギリア。見ての通り、私達の仲間だ」
「え?ああ……ええ?あの、そのフード、ちょっと取ってみてくれませんか?」

 まったく脈絡の無いようなリディアの発言に目を剥く。フードネタは色々地雷だし、ここは食堂だ。ワルギリアがその指示に従うとは思えない。
 案の定、焦ったクライドがやんわりと諫め始めた。

「リディア。いいか、アイツのフードは一種のステータスみたいなもんで……そうだ!あのフードを被ってないと、奴はちょっと情緒不安定だから……」
「適当な設定を作るな。人目に付くのが嫌なだけだ」
「えー、じゃあ隙間から顔を覗き込んでいいですか?」

 ――神をも恐れぬ所行。
 まさにその言葉がピッタリだ。知らないとは罪深い事なのだとアリシアは学んだ。

「その、リディア。ワルギリアがどうかしたのか?」

 強行を止めさせようとそう声を掛ければ彼女は首を傾げた。自分でもよく分かっていないようである。

「その、あれですよね。綺麗な顔だなと」
「彼女は女性だ。たまに勘違いされるようだが」

 その言葉を受けたリディアは不思議そうな顔で、やはり首を傾げていた。当事者の一人であるワルギリアはふん、と行儀悪く鼻を鳴らす。

「いいから早く食え。出掛けるのが遅くなるだろ」

 今日はあまり気が立っていないらしい。リディアの無礼を非難すること無く食事を再開する友人を見て漠然とそう思った。