第3話

01.


 ――まるでピクニックでもしているようだ、と緊張感の欠片も無い空気を吸いながらアリシア=クロッカーは心中で呟いた。
 旅に新しくクライドが加わり、何か一悶着あるものかと思っていたがそんな事は一切起こらず杞憂に終わった。彼は存外常識人でワルギリアの神経を逆撫でする事も無いし、ラジオとは整備士と整備される側という関係なので良好な友好関係を築いている。

「ああ、何だか眠くなってくるな」
「眠ってもいいが、ここで寝ちまうと日が暮れるまでにリデルまでたどり着け無いぜ!ギャハハハハ!!」
「リデル領って事は港を目指してんのか?魔道国にでも行くつもりなのかよ」

 アトナリア聖王国・リデル領。
 広い王国内において、唯一ヴァレンディア魔道国へ渡る船を出す領だ。

「そうだ。皇国の追っ手から一時的にでも逃げ切る為にはあの陸の孤島が一番だからな」

 クライドの問い掛けに応じたのはワルギリアだった。少しばかり暖かすぎるせいか、ローブが煩わしくなったらしい彼女はその腕に黒いローブを掛けている。物々しいローブが無いせいか、何だか物足りなさを感じるのは気のせいじゃないだろう。

「魔道国は厳正なカースト制度の国だからな。それに、物理的に皇国から一番遠い。今の所安全なのはあの国だけなのさ」
「そりゃいいが……なぁ、ワルギリアよ。いつまでこの鉄の塊を俺に持たせておくつもりだ?」
「エーデルトラウトだ。お前に案外そのオッサンが懐いてるみたいだから」
「――とか言いつつ、荷物をクライドに押し付けているだろう?ワルギリア」

 あのラジオは案外重い。ジト目で友人を見やるも、彼女は巧みにその視線を躱した。逃げ足の速さには舌を巻きざるを得ない。

「ギャハハハハ!悪いな、整備士!けどよぅ、ぶっちゃけラジオなんざそんなに重くねぇだろ?」
「気分が重くなってくるだろ。こんな鉄臭い荷物持たされると」
「違いねぇ!ギャッハハハハハハ」

 ――何て喧しい連中なんだ!
 女性が割っては入れない、独特の空気に小さく舌打ちする。そういえば皇国勤めの時もこんな空気になった事が何度かあった。騎士職と言えば男性の方が多いので当然と言えば当然なのだが。
 そういえばよぉ、と不意にクライドが不思議そうな声を出した。一同の視線が狙撃手へと集まる。

「あんたのワルギリアって名前、随分だな。何か由来でもあるのか?」
「さぁ?どうなんだよ、アリシア」
「いや、なんでアリシア……?」

 クライドへと集まった視線が今度はアリシアへと集まった。

「何故って、彼女に名前を付けたのは私だ」
「ああ成る程、拾ったのはお前だもんな――っていやいや、何言ってんの?犬猫じゃねぇんだから!」
「ノリツッコミか、なかなか高度な技術を持っているなクライド」

 以前にも述べた通り、彼女――ワルギリアは見て分かる事から分からない事まで、とにかく自分の事を語らない。それは名前も同様である。
 初めて出会った時、まず最初のコミュニーションとして彼女にお名前を聞いた事には聞いたのだが、当然答えは無かった。
 ――「好きに呼んでいい」、ある種一番困る返事を受けて本当に好きな名前で呼んだのだ。

「いや、最初はちょっと前に読んでいた小説の登場人物から引っ張ってきたんだ。だが今ではワルギリア自身が私にとっての勝利の女神――」
「お前、頭の中お花畑なんじぇねぇの!ギャハハハハハハ!!」
「う、うるさいぞトラウト!!」

 クライドに生暖かい目を向けられる。

「あー、あんた意外とポエマーなのな……」
「違う!そもそも、ワルギリアが――」
「1年一緒にいて名前も知らないとか……」
「あああああ!黙れ!!」

 腰の愛剣に手を掛ける。途端、クライドの顔色が変わった。先程まで笑いを堪えていたせいか、やや赤かった顔は今や蒼白に。
 待て落ち着け、と呟きながらも狙撃手が後退る。

「問答無用!」
「ちょ、仲間内で何てことを――」

 なぁ、とこの騒動のある意味元凶である友人が気の抜けた声を上げた。その視線は仲間同士の喧嘩を素通りし、行く先の道を見据えている。

「今日の夕飯、どうなってんの?干し肉しかないのなら、そこに丁度良い夕飯があるんだけど」

 ワルギリアが指さした先。そこには一時は見たく無いな、と思っていた角兎の姿があった。ただしサイズは通常通り、普通の兎より角の分大きく見える小動物である。
 急遽表れた夕食により、一度巻き起こった争いが鎮火。代わりに今日ある食料が脳裏に過ぎる。ワルギリアの懸念通り、干し肉と言う名の携帯食しか無いのは事実だ。ならば、ここで狩りでもすべきだろう。所詮は新鮮な肉の方が何倍も美味い。

「よーし、一時休戦だな!ぶっちゃけウサギなんざ今は見たくなかったが、夕飯だと思えばモチベーション保てるぜ!」
「いや、言う程モチベーション下がってないだろお前。ノリノリじゃないか」

 焼くか煮るか、と案外楽しげに思案しているクライド。意外とグルメ思考なのだろうか。とてもそうは見えないのだが。

「よしっ!昼食の確保を優先する、全員持ち場につけ!下手に傷は付けるなよ、調理に支障が出る」
「仕切ってんじゃねぇよ」
「不参加で」

 つい以前の――まだ師団長であった時代の仕切り癖が出てしまうが、渋々従ったのはクライドのみだった。短く参加しない事を表明したワルギリアは昼食を捕獲する為の邪魔にならない所へと下がってしまう。
 ふざけんな、とクライドが首から提げたラジオを揺らしながら憤慨した。

「オイオイ、あんた昼飯要らねぇのか!?逃げられたらガッカリするだろうが手伝えよ!!」
「いいけど、領へ入るのが1日ズレるぞ。ウサギ狩りなんざやったら私なんてすぐに疲れる」

 おい、とワルギリアに絡むクライドを牽制した。彼女がこういった類の作業に参加しないのは今に始まった事じゃない。それに彼女がひどく疲れやすい体質をしているのは事実だ。そんな友人を無理に動かすつもりは毛頭無い。
 本気かよ、と舌打ちしたクライドが銃を構えた――

「待て、銃は駄目だ。弾丸を取り出すのが面倒だろ?」
「あ?心配するなってマジック弾だよ」
「魔力関係の力が使えるのか、クライド」
「・・・俺が使ってるわけじゃなくて、職人が造った弾なら魔力に精通してない人間だって使えるんだよ。だから弾の効果であり、俺個人の力じゃねぇ」

 そう言ってクライドは警戒しているウサギの眉間に銃口を合わせた。