13.
領主が去った後、盛大な溜息を吐いたアリシアは天井を仰ぎ、今し方起こった事について思考を巡らせる。色々突発的且つ迅速に全てが終わったわけだが――
「あの巨大な魔物を斃したのは貴方達だったのか!」
茶を出す機会を伺っていたらしい店の男の声で我に返る。そちらへ視線を向ければ結局は出し損なった茶菓子をトレーに乗せ、茫然とした顔をする妙齢の男。彼は気安げに歩み寄って来ると出すはずだった茶菓子を目の前に置いた。
「いやいや、助かったよ。本当は領主様に出すつもりだったが、食べておくれ。それなりに高級な菓子だから」
「はぁ、どうも……」
「クライドの奴と親しげにしていたからね、悪い人達じゃないとは思っていたよ」
「普通に旅の人間なんだが・・・」
先程の領主の言葉を聞いていればこの言葉が嘘っぱちである事は明白だが、とにかく一般人相手に自分が皇国兵である事を認識させるのは本意ではなかった。
そういえば、人助けなんて久しぶりにしたかもしれない。
そういうつもりは無かったし、こちらも必死だったので忘れていたが。
皇国にいた頃と言えば討伐任務の連続。しかも、相手は人間。人を助けるのではなく、虐げるのが仕事だった。
――が、こうやって周りの人間に多少なりとも感謝されて思い出した事もある。
本来、アリシア=クロッカーという人間は人助け、或いは皇国民の為に働く事を良しとしていたのではなかったか。いつの間にか真逆の任務にばかり赴いていたが。
僅かに口の端を吊り上げる。
遠い昔、まだただの兵士だった頃に忘れて来てしまったもの。
それをやっと拾い上げたのだと実感して。
***
「――チッ。あーあ……」
意味の無い奇声を上げながら、大通りを避けて自宅へ向かう。今日の自分の行動はどう顧みても異常だったと実感しながら。
2階建て3階建て、壁に囲まれた小さな空を見上げる。体感的には10センチ程度にしか見えない空は深い藍色に染まりつつある。
何やかんやで賑やかだったからか、もう今は自分一人しか住んでいない集合住宅の一室へ戻るのは気が引けた。祭の後の余韻にも似た物寂しさが脳裏を支配している。柄にもなく親友の事を思い出したからだろう。
感傷に浸っていたクライドは正面から来る人間の足音で現実へ帰ってきた。道がとても細い。気を付けなければぶつかってしまうだろう――
「……あ?アンタは――」
「さっきぶり」
肩口辺りまで伸びた鳶色の髪と同じ色の瞳。中性的な顔と声。分厚い真っ黒のローブ。しかし彼女は今そのフードを一切取り払っていた。古ぼけた『ラジオ』が無機質な光を放っている。
そんな彼女の名前は、確か。
「――ワルギリア……!」
どきり、と心臓が軋んだ音を立てる。凍り付いた息を吐きながらクライドは顔をしかめ1歩だけ後退った。
ずっと前に、ワルギリアと呼ばれた彼女には出会っていたような気がする。
気がするだけで恐らくは出会った事など無いのだろうが。
一番初め、彼女等に出会った時はそうだった。どこかで会った事があるような、誰かに似ているようなモヤモヤした感覚。それは既視感と言うのかもしれない。だから無視した。
二度目、魔物と対峙した際にもう一度出会った時。
覚えた既視感に対する明確な答えを得た。
――そうだワルギリアは、あの日撃ち落とされ、盛大に羽を撒き散らしながら墜落死した親友にそっくりである、と。
思いついてからすぐに馬鹿馬鹿しいと思った。だってそもそも親友は男だ。それに顔そのものはまったく似ていない。見れば見る程別人だ。別人なのに、何故だろう。何か錯覚しているとしか思えない脳の思考を上手く制御出来ない。夢を見ているような心地と言えばそれが近いだろう。
端的に言ってしまえば気味が悪かった。
だから基本的に彼女とは率先して会話しなかったし、フードの下を見るなんて以ての外だ。
「――アンタ、それ、態とか……?」
問い掛けてみる。あれ程視線を嫌った彼女は今、何故かフードを被っていないからだ。辺りが薄暗くなってきたのでハッキリと表情は伺えなかったが、うっすら笑みを浮かべているようにも見える。
「お前さ、一緒に来る?」
それは問い掛けに対する答えではなく、まったく突拍子の無い、まるで意味の分からない問い掛けだった。訳が分からず一瞬だけ彼女の顔を覗き込む形になってしまい、舌打ちして目を逸らす。ああ、目に毒とはこの事を言うのだろう。
「何言ってんだよ。つか、疲れてんじゃねぇの?早く帰れって。アリシアが心配するぞ」
「どうかな。風呂にでも入ってるだろ今頃」
のらりくらり、暖簾に腕押し。
もう世間話は止めてしまおう。押し問答は無意味だ。彼女にはそれを受け止める気など毛頭無いのだから。
「何の話をしてんのか、もうちょっと詳しく説明しろよ。意味が分からん」
「お前は皇国の人間に憎しみなり恨みなり持っているんだろ?だから、私達と来ないか、つってんだよ。悪い話じゃないと思うよ。何せ、奴等は私達に寄って来る蛾みたいな連中だからね」
「随分な自信じゃねぇか。自分にそのくらいの価値があるってか?」
「そうさ。私達が死ぬまでアイツ等は追い掛けて来るよ、私達を。あの手この手何でも使ってさ」
クスクス、と嘲るように中性的な彼女は嗤った。ゾッとする程に他人事だが、言うまでも無く彼女自身に降り掛かった災難の話である。
チカチカ、夢を見ているように。視界が輝く。もう誤魔化せない、最早ワルギリアという人間に親友の面影を視ている。甘い毒のように脳髄に染み渡り思考を侵していく。
頭を振り、思考を無理矢理整理する。彼女が出来るだけ悩む、最高の反論を考える。とにかくこの状態はまずい。そのまま流されて気付けば首を縦に振ってしまいそうだ。
「あ、んたは!あんた等にはどんなメリットがあるんだよ、その話は!」
絞り出した言葉に真面目くさった顔でワルギリアは一つ頷いた。
「見ての通り、数の利は皇国側にあるからな。このままジリ貧で2人旅を続けるのも怠いだろ?今日の一件で1人増えると手が届く場所も増えるって分かったからな」
「……いや、俺が言う事じゃないがあんな魔物、放っておけば良かっただろ。馬鹿正直に向かって行かなくても」
ふ、とワルギリアが自嘲めいた笑みを浮かべる。そうだ、どうして彼女がいながらアリシアがあの巨大な魔物と対峙するに至ったのか。形の良い唇から、およそ理解出来ない言葉が溢れる。
「別に。私は逃げても良かったんだが、アリシアが斃すといって聞かなかったから。まあ、好きにさせておけばいいかな、と」
気付く。今まではワルギリアがアリシアという猪のリードを持っているのだと思っていた。しかし真実は真逆。ワルギリアをアリシアが導いている、という図が正しい。
「で、お前はどうするよ。クライド」
「……あ〜」
「来さえすれば復讐は気軽に出来るだろうな。ま、あんなものは建前で、本当は国に喧嘩を売るつもりも何も無いって事なら大人しく引き下がるけれど」
「……次はどこへ向かうんだよ」
「さぁ?それはアリシアに聞かないと分からないな」
――どうせ徒歩だ。集団に馴染めないようならば、さっさと引き返すのもまた一興ではないだろうか。
やる事も本当は差ほどあるわけじゃない。このまま無気力に生きて行くのも人生を無駄に浪費しているようで気が滅入るし、ちょっとだけ。少しだけなら同行してもいいのではないだろうか。
「――ッチ。ああ分かった。同行するぜ。ただし、俺の目的にそぐわないようだったり、あんた等との旅がちっとも楽しくなかったら途中で消えるかもな」
「そうか。じゃあまずは1度宿へ戻るぞ。アリシアに事の説明をしないと」
「ハァ!?ふっざけんな、今あの宿から引き上げて来たばっかりだぞ!?また戻れってのかよ!!」
「黙って歩け。ぶっちゃけ私も疲れてる」
「そりゃそうだろうよ・・・」