第2話

10.


 クライド先導の元、泊まっていた宿へ戻る。何故彼がどの宿に泊まっていたのかを知っていたのかはこの際気付かなかったふりをしよう。
 当然のように自室へ戻ろうとするワルギリア。その思惑を断ち切るかのようにクライドはロビーの手頃なソファに腰を掛けた。まだ帰さないぞ、という確固たる意志のようなものさえ感じる。

「おい、おい……ワルギリア。クライドの奴がこっちを見ているぞ」
「知らん。もう部屋へ帰って休みたい」
「だが……」

「おい!コソコソ話してねぇで、いいから座れ。訊きたい事が山ほどあるんだよ!」

 ――だろうなぁ、と心中では狙撃手に賛同し渋々ながらもクライドの正面に座る。友人は迷ったように足を止めたが態とらしい溜息と共にアリシアの隣に腰掛けた。ずっと持っていたラジオは行儀良く膝に乗せている。

「疲れているんだ、手短に頼むぞ」
「その口でよく言えたもんだなてめぇ……。まあいい、で?結局あんた等は何でこの領に来たんだ?」

 ちらり、と横目でワルギリアを伺う。事情が事情なだけに安易に他人に事の次第を説明してもいいものか。ただ、助けられたのも事実。そして一時的にとはいえ命を狙われていた事さえも、事実。
 視線を受けた友人はローブを深く被り直しながら一言だけ呟いた。
 ――曰く、「好きにしろ」と。
 私はこの件に一切関与しない、言外にそう伝えられ頭を抱える。当然彼女にも関わりのある話なのでそう突き放されるのは予想外だったのだ。

「あー……っと、質問に質問を返すようで悪いが、それを訊いてお前はどうするつもりだ?場合によっては事情について黙秘する姿勢を取る」
「別に。特に理由はねぇよ。俺は初め、あんた等が皇国からの密偵か何かだと思ってた。見ての通り、ファーニヴァルは皇国と隣接してる場所だからな。前にそういう輩が入って来なかったわけでもない」
「それは領民であるお前が気にするような事じゃないだろう」
「そうかもしれないが、うちの領主はあんなんだ。何か起きない限りは動かないだろうよ。先代の時はもっとマトモだったんだがな……。で、あんた等を付け狙っていたわけだ。けどな、あの――アーロンつったか?あのクティノスが皇国の関係者だとして、襲われてたあんた等はどう考えたって皇国と敵対してるわけだろ」
「まあ、それについては分かり易すぎる方程式ではあるな……」
「歯切れが悪くなってきたな。ま、そういうわけでどんな事情があるのか訊いてみたくなったってわけさ。別に話したくねぇのならそれで構わないが」

 どうするよ、と楽しげに問い掛けてくる狙撃手は特に何かを企んでいるわけではなさそうだ。そもそも、「皇国は敵である」と定義している以上、あのアーロンと名乗った男に彼が肩入れする事は無いだろう。これもまた至極単純な計算式である。

「――分かった。話そう、私達の事情を」

 その真摯さに打たれたのかもしれないし、或いは誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。ややあってアリシアが出した答えはこの旅に至るまでの経緯を話す、というものだった。

「へぇ。自分で言っといてなんだが、本当に話してくれるとは思わなかったぜ」
「うるさい、黙って聞け。……まず前提として、私は皇国の騎士団に所属していた。そうだな、2年前に師団長になったから……18の時には騎士だったはずだ」
「あんた中々エリート臭い経歴持ってんだな」
「スキルが優秀だったせいでもある。一概に私の実力だとは言えないだろう。家柄の問題もまぁ、あると言えばあるわけだし。……話を戻そう。それまで私は皇国がやる事に何の疑問も抱かず、日々任務をこなして過ごしていた」

 ――そう。本当に何の疑問も抱いた事は無かった。
 価値観、と言うより一種の洗脳にも似た何かなのかもしれない。人間の世界は与えられる情報量によって決まる。

「ただし、兆候はあったな。あれだ……飛行禁止の命が発布された時」
「……ああ」

 ぴくり、と一瞬だけクライドが身動ぎしたが構わず続ける。と言うのも3年前に発布されたこの命令は世界を震撼させ、「皇国が何かおかしい」と認識させるに至った大事件でもあるのだ。
 当時の様相を知る者はこう語る。
 ――「血の雨が降った」、と。
 鳥が空を飛ぶように。クティノス族の集落があったアトランティス皇国ではそのくらいの頻度で鳥型のクティノス族が空を飛んでいた。それを命令発布と同時に撃ち落としたのだ。そりゃあ血の雨も降る。ついでに銃声がパレードか何かのようにずっと鳴り響いていた事だけは、当時のアリシアでも知っている事だ。

「理由は今を以て不明だ。師団長である私や、それ以外の人間にも恐らくは知らされていないだろう。ただ、あの時私は初めて今の皇国が『異常なのではないか』と、そう思ったんだ」
「……だろうな。外部の人間でさえそう思うくらいだ」
「そんな折、そうだな1年になるかな、もう。ワルギリアを拾った」
「ああ、そっちの――って、いやいや!まるで犬猫みてぇに人間拾ってんじゃねぇよ!」
「屋敷の前で倒れていたので。たが、彼女の出現は確かに私の人生観を変えたぞ。体力が無いと言い張る割に色々な場所へ行った事があるようだったし、ワルギリアに出会えたからこそ私は外の世界に興味を持ったと言ってもいい」

 もし――もし、あの時彼女を不審者として上役に突き出していたとしたら。或いは何も知らない無知のまま、騎士業に専念していたのかもしれない。考えたくもないが、あったかもしれない未来でもある。無知とは幸せだ。行動の責任を払わなくていいのだから。

「一応、皇国の帝都へ案内すると言ったんだがな。何故か頑なに皇国内へ入り込むのを嫌がったので最初は仕方無く――回復するまで、とか何とかそんな条件を付けて屋敷で匿う事にしたんだ」
「あの頃からお前は重度のお人好しだったよ」

 ここで初めてワルギリアが口を挟んだ。腕を組んで俯いてはいるが起きているらしい。続けて出て来た言葉には戦慄せざるを得なかったが。

「まあ、あのまま無理矢理迷子扱いで帝都に連れて行かれるようだったら、今頃お前はここにいなかっただろうが」
「えーっと、ゴメン。あんた等、ホントに友達?」

 クライドが困惑した顔でそう呟いたが黙殺した。応えたら負けだ。