08.
いまいち纏まらない会話にワルギリアが口を挟んだ。
「――まあ落ち着けよ。おい、元案内人。お前は何しに来たんだ?」
「……クライドだ。別に、何をしに来たわけじゃねぇよ。物見遊山だ。そしたらあんた等がくたばってるから忠告しに来たんだよ」
案内人――クライドはそう言うとそっぽを向いた。忠告とは言うが、どうも安全圏まで運んでくれるつもりらしいし、今回は奇襲目的じゃない事だけは明白だ。
しかし、物見遊山だと彼は言ったがここは見物にはあまり向かない場所だと思われる。
「この危険な場所で物見遊山か。なかなか愉快な趣味してるな、お前」
「うるせぇ……。ったく、皇国兵ならさっさとここから逃げ出せよ。早く歩け、そろそろあの兎が復活するぞ」
その必要は無くなった、とワルギリアが巨大な魔物の方へ向き直る。ハァ、とクライドが眉根を寄せた。ふ、と友人は嗤う。
「アリシアを下ろして、あと3分魔物の気を引いていろ。このまま奴を斃すぞ」
「いや、こっちの姉ちゃんまだ戦わせる気かよ。肋骨折れてる、つってんだろ」
くっくっく、と底意地の悪い、それでいて心底愉しそうに彼女は笑う、嗤う。綺麗な顔をしているのだから余計にタチが悪い。
「随分前から私達の会話聞いてたんだな?」
「う……いや、違っ……!」
「いいから早く下ろせ。お前の照れてる顔なんか見たって吐き気がするだけだ」
「酷すぎるだろ!」
ワルギリアが引ったくるようにして腕を首から外す。当然、アリシアはそのまま自然落下して石畳に再び打ち付けられた。
「痛いッ!私は怪我人だと言っただろう、ワルギリア!」
「悪い」
「雑過ぎるだろ!!」
いまいち気持ちのこもっていない謝罪を受けてクライドが叫んだ。案外愉快な人間なのかもしれない。
ワルギリアが脇の辺りで屈む。フランベルジェをローブの下にしまい、肋骨が密集している辺りに手を翳す。何をしようとしているのか分かっているアリシアとは裏腹に、一応は時間稼ぎをしてやろうとしていたクライドが疑問符を浮かべる。
「あ?何するつもりだ?」
「治療」
破裂音。こちらを伺いながらも魔物に対して注意は払っていたようだ。
そうこうしているうちに、淡い緑色をした光がワルギリアの手から溢れる。それを見てクライドがぎょっとした顔をした。
「はぁっ!?いやお前、ヒーラーのジョブ持ってたのかよ!」
「何を言っているんだ。ワルギリアの本職はヒーラーだぞ」
「ず、随分とガチムチなヒーラーだな……」
ワルギリアが剣をしまった辺りを見て、クライドが呟いた。確かに彼の言う通り珍しい組み合わせではある。
「――よし、こんなもんだろ。ちょっと体力が足りなくて雑な部分もあるから、終わったら病院行けよ。アリシア」
「あ、ああ……戦闘中にまた折れない事を祈っているよ」
「ちょ……大丈夫かよ、オイ……」
気を取り直して、とアリシアは伸びをする。彼女の言う通り少し違和感があるが、まあ戦うのに支障は無いだろう。どうやら狙撃手らしいクライドが手伝ってくれるようだから戦略の幅も広がっている。
「……何か知らねぇが、とりあえず俺がやつの動きを止める。銃弾なんざ通らねぇからな。あとはあんたが走って行ってそれで喉を突けば終わりだろ」
「ああ、承知した。手を抜いたら許さないからな!」
「抜かねぇよ!」
愛剣を握りしめる。チャンスは1回だ。これ以上、ワルギリアが誰かの傷を癒す事は無いだろう。ただでさえ体力が無い、などとそれとなく釘を刺されているのだ。見れば、友人は疲れた顔で民家の壁に背を預けている。
「――行くぞ!」
おう、と応えたクライドが新しく銃弾を装填したそれを角兎の鼻っ柱に向かって放つ。乾いた音を背に聞きながらアリシアは疾走を開始した。数歩進む度に嫌な違和感が全身を駆け巡るが気にしている暇は無い。
身体の弱い部分を的確に銃弾によって抉られ、少量の血液を撒き散らしながら兎は咆吼する。あれは鳴く生き物なのかと思ったが所詮は魔物。普通の兎ではないのだから何でもありなのだろう。
銃弾に気を取られている魔物の前足を躱し、懐へ潜り込む。先程はモグラ叩きの要領で、近付けば瞬く間に押し潰されていただろうが生憎と魔物はアリシアの接近に気付いていない。
「クライド!右を向かせてくれ!!」
「任せろ!」
なだらかな坂道のように伸びた前足に飛び乗る。目指すは首もと。
足を這い上がってくる不審人物に気付いたのか、魔物が素早くこちらを一瞥する。手の平ほどもある眼球と目が合った気がして悪寒が奔った。
――瞬間、狙い澄ましたように2発目の銃弾がその手の平サイズの眼球を掠る。あまり脳が大きくない生き物である兎はその刹那、完全にアリシアの存在を忘れた。
隙を見逃すこと無く、指示通り右を向いて首筋を晒した巨大な魔物に愛剣を突き立てる。鈍い感触と、相手をした事の無いような歪な感触。ぶちぶち、と血管を引き裂く感触を確かに感じ取り、直ぐさま突き立てた剣を抜いた。
うっかりワインの樽を粉砕したかのように、黒に近い赤が視界を覆う。それはつまり、即席で立てた作戦とも呼べない作戦が成功した事を意味していた。