第2話

03.


 気乗りはしなかったが剣先を向ける。そもそも、皇国の騎士剣は普通の剣より若干、刃の幅が広い。いくら腕が立つ上、男としての腕力があろうともナイフ如きで本場の騎士剣に太刀打ち出来るはずが無かった。

「――アリシア。助けは要るか?」

 不意にそんな声が耳に届いた。唇に心底愉しいと言わんばかりの笑みを浮かべたワルギリアの皮肉だ。2対1である事を男に認識させる為のものでもある。

「いい。まさか私が一般人に殺されるわけがないだろう」

 言い切り――一応は殺してしまわない注意をしながら緩やかに地を蹴る。爛々と憎しみに燃える目を細め、男もまたナイフの柄を握りしめた。
 ――一般人だ、と男に対してそう言ったが結果的に言えばそれは恐らく間違いだったのだろう。
 突き出した切っ先を男は右足を軸に反転してあっさり躱した。その程度の動きでアリシアの疾走は止まらないが予想外の動きであった事だけは確かだ。

「素人、じゃないか……!」
「軍人に喧嘩吹っ掛ける人間が素人なわけねぇだろ。俺はそこまで無謀な人間じゃねぇよッ!」

 大きな得物を持っているアリシアより、小さな得物を持つ男の方が動きが素早い。あまり自分より速い相手と闘って来なかったのは純然たる事実であり、やりにくくて仕方が無いのも事実だ。それを言い訳には出来ないが。
 ぴっ、と頬をナイフの切っ先が掠めた。液状の物質が頬を伝うのをうっすらと知覚する。
 流れた鮮血を拭う暇も無いまま、アリシアは扇状に剣を振るった。

「ぐっ……!」
「畳み掛ける!!」

 ほとんど得物の大きさの違いによる押し込みのような形で堪らず下がった男を追撃する。
 上段から下段へ。騎士剣の重み、重力に、腕力。それら全てを加味しつつ、渾身の力で剣を振り下ろす。金属のぶつかる甲高い音が響いた。そしてそれが、幕引きの合図でもある。
 男の手から弾かれたナイフが無造作に地面に転がった。

「勝負あったな」
「……トドメ刺せよ」
「馬鹿な。平和な市街地で殺人事件を起こすつもりは無い。それに、言った通りもう私は皇国兵ではないのさ。残虐非道に振る舞う義務は無い」

 チッ、と忌々しげに舌打ちした男はその場にドサリと座り込んだ。無抵抗を意味しているらしい。

「もういい、行けよ。次はこうはいかねぇからな」
「次があるのか……」

 うんざりしたように溜息を吐きつつ、壁に背を預けてことの成り行きを見守っていたワルギリアを振り返る。彼女は深々と溜息を吐きながらのろのろと壁際から離れた。

 ***

 結局、人に尋ねつつ歩き回って宿を見つけたのは正午過ぎだった。日が暮れるまで歩き続けるのではないだろうかと内心不安だったが、さすがに杞憂だったらしい。
 手早く3日分の部屋を1つだけ取ったワルギリアはこう高らかに宣言した。

「2人部屋を1つ取った。残念だが相部屋だぞ、アリシア」
「今まで1つ屋根の下で暮らしておきながら何を今更……」
「部屋は違ったろ?」
「いやそもそも、君の言い分はおかしい。男女が同じ部屋に3日滞在するならまだしも、私達はその……一応は女じゃないか」
「お前がそう思うのなら私も女なのかもしれないな」

 いまいち釈然としない言葉だったが、それはこの際聞かなかった事にしておこう。彼女は見れば分かる事から分からない事まで、とにかく自身についての情報ははっきりと述べないのだ。

「オイオイオイ、じゃれつくのもいいが、いつまで俺は黙っとけばいいんだよ」

 ブツッ、という嫌な音を混ぜた声が聞こえて我に返る。外を歩き回っている間中ちゃんと静かにしていたエーデルトラウトは不満そうだ。

「済まない。ところで、さっきの案内人を名乗る男は結局何だったんだ?」
「ああ?だから、皇国に恨みのある人間だったんだろうよ!しっかし、騎士剣にナイフとはな!ギャハハハハ!」

 少しばかり難しい顔で考察したワルギリアが事の全容を推測する。それは恐らく半分は正解であり、もう半分はただの絵空事に過ぎなかったのかもしれない。

「私服は誤魔化せても、持ってる剣の意匠は変えられないからな。それで皇国の人間だと判断したんだろうよ」
「剣の、意匠?馬鹿な、見た目は普通の剣と何ら変わり無いんだぞ」
「だが他に皇国兵だと特定出来るような物は無いぞ。かなり恨みが根深い事は確かだ。まあ、間違い無く『次』もあるだろうな?」

 クツクツ、と友人は嗤う。完全に他人事だが自分自身が人質に捕られたりする可能性を考慮していないのだろうか。一時は単独行動を控えるべきか。あの男1人程度なら簡単にあしらえるが、領の人間が結託して襲い掛かって来ようものなら大惨事である。

「そういえばアリシアよぉ。お前、領を観光するつもりじゃなかったのか?」

 考えていた事をぴたりと言い当てたのはエーデルトラウトだった。あっけらかんと言ってくれるが、おちおち外出している場合だろうか。

「確かにそうだが……。この状況で出掛けるのはな。ワルギリアも今日は疲れているだろうし、この領では大人しくしておくのが得策だろう」
「あ?別に私は置いて行って構わないよ。まあ、単独行動は控えるべきだろうな。あー、夜はゆっくり休むとして、何時間かなら同行してもいい」
「ほ、本当に平気か?」

 とても先程まで顔色を悪くしていた人間の言い分だとは思えない。友人は首を縦に振った。

「平気だろ。ちょっと人に酔っただけだって。そもそも、本来はそんなに柔じゃ――」
「オイ。話は決まったのかよ。まずは荷物を置いて来たらどうだ?」
「話の腰を折らないでくれるか、トラウト」

 見えているのかいないのかは不明だが、アリシアはジト目でラジオを睨み付けた。人の話に割り込むのはいただけない。しかし、エーデルトラウトは不気味に笑うのみだった。