第2話

02.


「ちょ、オイ、待てって!」
「そうだ、ワルギリア。もう少し休憩した方が良い」
「いや、そうじゃねぇよ!」

 店を後にしようとしたワルギリアを何故か案内人の男と一緒に止める。どうしてこうなったのかは分からないが、また外へ繰り出して宿を探すのが骨だという事はアリシアでさえ理解していた。
 男が焦ったように言葉を紡ぐ。銀貨1枚、それを貰う為にここへ案内したわけではないらしい。

「ここまで来てまだ自力で歩き回る気か!?銀貨1枚でどこへでも案内してやる、つってんだから乗って来いよ!!」
「貴様、ワルギリアの心配ではなく金の心配か!」
「そりゃそうだろ、今出会った人間の何を心配しろってんだ……」

 はぁ、と友人は盛大な溜息を吐いた。付き合っていられない、と言わんばかりのニュアンスが多分に含まれている。
 しかし、ワルギリアの体力と相談してもこのまま宿を求めてさ迷うのは危険だと思われる。そもそも3日間野宿生活だったのだ。当然この3日間の疲れは蓄積されているはず。無駄に動き回っている場合では無い事は一目瞭然だ。

「おい、貴様!早くどこでもいいから宿へ案内しろ。これでどこにでも連れて行ってくれるんだろう?」
「お、あんたは話が分かる人間みたいだな。勿論、チップの分はちゃんと働くさ」

 男の手に銀貨を押し付ける。これ以上ワルギリアが文句を言う前にさっさと案内させてしまえばいいのだ。彼女は所詮体力の尽きたか弱い女性である。
 ここまで事が運んでしまえば物臭な友人は溜息を吐いて口を閉ざした。何をそんなに嫌がったのかは不明だが、これで宿へ行く事が出来る。
 男が1枚のチップを懐に入れ、もう1枚を親指で弾きながら先程のカウンターに顔を覗かせる。レジに立っていた女性店員に1枚の銀貨を投げ渡した。

「世話掛けたな。何にも頼んでねぇが、休憩場所の礼だ。また頼むぜ」

 「じゃああんた等はこっちだ」、そう言って案内人は意気揚々と歩き出した。この領がどのようなルールで動いているのかうっすらと理解し始める。それがどうも、アリシアの常識とまったく掛け離れているであろう事も。

「そーいやあんた等、どこから来たんだ?旅人なんだろ」

 先を歩きながら案内人がそう問い掛けて来た。一瞬、皇国から来たと言い掛けたものの帯剣しているのであまり良い印象を持たれない気がして寸前で呑み込む。代わりに皇国近隣に点在している小さな村の名前を伝えた。

「へぇ。最近旅始めたばっかなのか。いいねぇ、俺もどっか旅行行きたいぜ」
「悪いが連れの具合が良くない。これ以上は歩きたくないんだ」
「分かってるって。そちらさんは魔法使いか何かかい?随分と物々しいローブじゃねぇか」

 ――ワルギリアの答えは無い。
 そんな気力も出ない程に疲れ切っているのか、もしかすると態度からしてこの男の軽薄な振る舞いが気に入らないのかもしれない。案内して貰っている手前、そのような事は言えないのだが。
 きゅ、とフードの端を掴んだ友人は案内人の問い掛けを突っぱねるようにそれを引き下げた。

「……疲れているみたいだ。すまないな」
「いやぁ、気にすんなって。何か嫌われてるみたいだしな?」

 ケタケタと笑った案内人が唐突に狭い道へ曲がった。慌てて後に続く。

「おい。路地か?別に表を歩いてくれて構わないんだが」
「近道なんだよ、近道。地元民にどーんと任せとけって。それに、そっちのお嬢さんも人酔いしたのかもしれないだろ」
「彼女をお嬢さん扱いするのは止めろ。寒気がする」

 げしっ、と踵を踏みつけられた。さすがに失礼が過ぎたらしいし、どうも友人は疲れ切って話す気力が無いわけではないようだ。
 痛いだろう、と口にしようとしてその頭が案内人の男の背に衝突した。謝りつつ足を止める。

「ここは・・・空き地か?道でも間違えたか。貴様、地元民だと散々――」

 ひゅっ、と視界の端で鋭利な刃物が翻るのをアリシアは確かに捉えた。

「う、わっ!?」

 今まで血の滲むような鍛錬を積んで来た身体はほとんど反射で唐突に振り回された凶器を回避していた。幸いにもそれは戦闘向きとはいえただのナイフであり、大袈裟に数歩下がればそれだけで刃は鼻先を掠めもしなかった。
 2撃目が来る――
 崩れた体勢を立て直しながら愛用の剣を鞘から引き抜く。がぎんっ、という手応え。案外重い。衝撃が脳の髄にまで響くようだ。
 転がるようにして距離を取る。

「な、何のつもりだ!?」

 ワルギリアの安否を確認しながら――今まで、にこやかに自分達を案内していた男に問い掛ける。友人はと言うとまるで最初からこうなる事を知っていたかのようにさっさと安全圏へと退避していた。
 男と視線が交錯する。少し前まではどこにでもいる、金を稼ぐのに必死な男だったのだが今では明らかにそうじゃなかった。
 覇気の無い双眸。澱が溜まりに溜まったような、まるで底の見えない井戸の中を覗き込んだ時の様な不安を覚える虚ろな瞳。それはストレジヌの住人達が浮かべていた絶望の色によく似ている。ただし、1つだけ――決定的に違うのだとしたら、それは。

「あんた等、皇国兵だろ?」

 ――恨み辛み、憎しみに嫌悪、殺意。
 全ての負の感情を詰め込んだかのような、吐き気を催すような殺気だ。久しく向けられていなかった『一般人ではない人間』の闘気が緩やかに全身を刺激する。
 凶悪なナイフのブレード、その切っ先が真っ直ぐに向けられる。構えは緩やかに、しかし油断している様子は微塵も無い。完膚無きまでに叩きのめし、確実に息の根を止める。男からはそういった類の気概が感じられた。

「この領へは何をしに来た?まさか、皇国の外にはテメェ等を恨んでいない人間がいるとでも?」

 目を眇める。淡々とした口調についさっきまで聞いていた楽しげな抑揚は無い。余程、公国兵に恨みがあると見える。
 ――が。

「悪いが、私はもう皇国の兵ではない。他を当たってくれ」
「引けるわけねぇよな?あんたもここに来るまでに罪の無い一般人を散々殺して来たんだろうが。引退していようが知らないな。それに、あんたの言葉が信用に足るのかどうかも別問題だ」
「……だろうな。だが、素直に貴様に殺されるわけにはいかない。私の背には友人がいる。むざむざ殺されてやるわけにはいかないのだよ」
「けっ、随分余裕じゃねぇか。俺には負けないって?」

 何を言っても神経を逆撫でしてしまう。これは説得を試みても無駄だろう。