第1話

01.


 父の遺産の1つであるクロッカー邸。アリシア本人があまり屋敷にいないし、正体不明の居候であるワルギリアの事が露呈しない為にも人は雇っていない。最低限の掃除はしているが、それでも使われていない部屋は埃を被っている。
 そんな独り暮らしには広すぎる屋敷にスタスタと早足で入って行った友人は玄関から顔を覗かせるとフードを外しながら言った。

「おい、荷物をまとめるぞ。お前手ぶらで出る気か?」
「む、それもそうか。しかし何が必要なのだろう」

 ワルギリアの後に続いて中へ入る。これではどちらが屋敷の主なのか分かったものじゃない。
 念の為ドアに鍵を掛ける。皇国への背信行為、裏切り行為、それがどういう結果をもたらすのかはよく知っていた。皇国から逃げ出した同僚が見るも無惨な姿で帰って来た事は一度や二度じゃない。

「財布、得物の類、最低限の着替え。後は出た先で買い揃えるぞ」
「ああ。それより、君も何か持っていくものがあるんじゃないのか?」
「あるさ。すぐ取って来る」

 ひらり、と手を振ったワルギリアが今は使われていない部屋へ入っていく。見ていない間に部屋を私物化している事に関してはもう諦めた。
 財布を手に持ち、衣類を適当なバッグに詰める。
 ――と、出て行ったと思ったワルギリアが戻って来た。

「それは……ラジオ、か?」
「そうだよ。ま、普通のラジオじゃないけど」

 所々サビが目立つ古いラジオ。皇国ではほんの5年前まで魔結晶を利用したニュース放送があったのだが、今はもう無い。理由は様々だが皇国の姿が変わり秘密主義を貫くようになったからだろう。当然、ラジオを売っている店ももう無い。
 まるでドアでもノックするようにスピーカーを叩くワルギリア。

「おい、起きろ。いつまで寝てるんだ」
「……ワルギリア。ラジオ放送はもう――」

「コラ!スピーカーを叩くんじゃねぇよ、俺は繊細なラジオなんだぜ!?ンな事して俺の透明ボイスにノイズが混ざったらどうしてくれるんだよ!!」

 ――ラジオが喋った。
 茫然と今やラジオの役割をも果たせない、ただの金属の塊を見やる。一瞬何かしらの魔力回路を拾ったのかと思ったがそれにしてはワルギリアの仕打ちに的確な答えを寄越しており、まるで会話しているかのようだ。

「お、お?そっちのダセェ甲冑は皇国の騎士サマじゃね?ギャハハハハ!よぉ、居候してんぜ、ねえちゃん!」
「おい、ワルギリア。この鉄の塊、叩き割って構わないか?というか、これは何なんだ」

 眉間に皺が寄る。こんな無礼なラジオは初めて見た上、居候であると吐露している事からかなり前から屋敷に置いてあったのだと知る。そういえば、ワルギリアを拾った時こんなものを持っていたような気がしないでもない。
 持ち手の所をむんず、と掴み目の高さまで持って行ってまじまじと観察する。絶えず笑い声を吐き出す『透明ボイス』は酷く耳障りだった。ノイズ云々ではなく、酒場で大笑いする酔っ払いの笑い声にそっくりだったからかもしれない。

「これは本当に喋っているのか?録音ではなく?」
「エーデルトラウト」
「は?」
「そいつの名前。ラジオなんて呼んだら怒られるから気を付けろよ、アリシア」

 ――聞きたいのはそんな事じゃ無い。
 そう思ったが、ラジオ――エーデルトラウトが「よろしくな、絶対に落とすんじゃねぇぞ」、などと生意気に宣ったので諸々の不満は結局溜息にしかならなかった。

「――で、アリシア。準備は終わったか?」
「ああ。皇国兵に見つかる前にさっさと出よう」

 玄関の方へ踵を返す。
 瞬間、見計らったかのようなタイミングで今まさに向かおうとしていた玄関から破壊音が響いた。ぎょっとして足を止める。

「遅かったみてぇだなぁ!どーするよ。逃げるか、戦うか」
「くっ……!仕方無い、裏口から――」
「残念だけど、手遅れみたいだ」

 キッチンの隣のドアから外へ出ようと提案したところでワルギリアがやけに静かな声でそう言った。彼女の言葉通り、ドアを蹴破らんばかりの勢いで甲冑を着た――つまり、皇国兵が乗り込んでくる。その格好を見てアリシアは目を眇めた。
 ――彼等はただの兵士であり、騎士兵ではない。
 そうだとしたら舐められたものだが、この時ばかりは感謝しなければならないだろう。さすがに同僚レベルの騎士が乗り込んで来ようものなら激戦は避けられない。

「ワルギリア!やはりこれは君が持っていてくれ、デリケートな機械なんだろう!?」
「渡すのは構わないけど、私も参戦しようと思ってたんだけどさ」
「いい、そこで待っていてくれ!腐っても騎士兵、この程度の兵士には負けないさ」

 ワルギリアの申し出を断る。彼女は確かに腕は立つのだが、如何せん体力が無い。それはもう絶望的な程に。逃げている時に体力が尽きてしまっては元も子もないのだから、もうソファに腰掛けて待っていてくれるくらい余裕でいてもらいたい。