2日目

9.



 立っていられず、蹲れば再びフェリクスに腕を引かれた。親友はいまいち容赦が無い。

「ちょっと〜、立ってよ。ここから離れないと〜」
「そうだぜ、アイリス。後で授業サボってもチクらないでいてやるから、今は動け!」
「気持ち悪い・・・」
「分かってるって、そんなの〜。アイリス、ああいうの絶対に無理だと思ってたし〜」
「じゃあ何で行かせたんだよ」

 困惑するイザイアを無視。再びフェリクスが強く腕を引く。
 しかし、その力はハンスの「まずいな」、の一言で緩んだ。少しだけ顔を上げてみれば、クラスメイトの彼はあらぬ方向を見ている。

「どうかしたのかよ」
「教師、だろうね。あれは。こっちに来てるけど」
「はぁ!?やっべ、俺は逃げるぜ!」
「僕も。来年の成績に響くからね」

 こうして、ハンスとイザイアが離脱。意外にもフェリクスはその場から動かなかった。どうやら、アイリスを動かすのは諦めたらしく、いつの間にか一緒に屈んでいる。
 ――その親友の表情を盗み見て、今度こそアイリスは息が止まる思いを経験した。
 彼は笑顔だった。いつもと寸分違わぬ輝く笑顔。悪戯っ子を連想させる、少々意地悪な笑みであったものの、それは日常的に拝んでいる彼の一つの表情である。
 けれど、今はそんなに面白い場面だっただろうか?いくら赤の他人とはいえ、そんな死体を見せつけられてもうちょっと神妙そうな顔をするべきでは?あのハンスでさえ、胡散臭い笑顔じゃなかったというのに。

「どーう?アイリス。少しは危機感持った〜?」
「・・・うん」

 ――あんたに対してね。
 その言葉は胸の内に仕舞い込んだ。ああ、気持ちが悪い。今少しでも動いたら胃の中の物が逆流しそうだ。

「おい、お前達、ここで何をしている!」

 叱咤するような声。「見つかっちゃったね〜」、と呑気な事を言うフェリクスはやっぱり逃げなかったようだ。嬉しいが、嬉しくない。3日前だったら喜んでいたのかも。
 視界に黒い靴が入る。ゆっくりと視線を上げていけば、そこにいたのは教師、エルバートだった。運が悪い事にどちらの担任でもない。

「あ〜、先生!丁度良かった」
「・・・?」

 わざとらしい声を上げて立ち上がるフェリクス。かなり白々しいと言うか、警戒を煽るような演技の下手くそさだ。何をするつもりかは知らないが。

「アイリスが〜、具合悪いって言うんで、保健室まで送って行きます〜」
「具合が悪い?・・・いや待て」

 なら仕方ない、と言い掛けたエルバートの顔が険しく歪む。その視線の先には風を受けてはためく、シャールカの部屋のカーテン。窓は閉じられていたはずなのだから、それが風を受けて揺れているのはおかしな光景である。
 ――なんて下手くそなフォローなんだ。しかもかなり動作が白々しいし。
 友人の大雑把な性格に初めて難を感じた。

「お前達、あれの中を覗いたな?」
「・・・えへへ〜」
「お前は平気かもしれないが、彼女には苦痛だと考えなかったのか?」

 エルバートは部屋を見た事より、そちらの方に呆れているようだった。しかし、フェリクスの笑顔は崩れない。それどころか、真意の見えない笑みを一層深くしただけだった。

「君もだ。朝から、そういう行為は禁止だと担任に聞かなかったのか?非常識が過ぎるぞ、お前達は」

 上からガミガミ叱りつけてくるエルバート。しかし、その言葉はまさに右から左に流れていっており、ほとんど聞いていなかった。気持ちが悪い、具合悪い。それが今のアイリスの全てだった。