3話 反転する駅

05.302号室の彼女と氷雨


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 どんよりとした空気。真っ白で清潔感に溢れるはずの病室なのに薄ら寒さすら覚える。多分、『何か』居るのだろう。だからといってどうにかしてやろうとは、思えないが。

 霊障センター、302号室。
 氷雨は花瓶に挿す為の小さな花束を持って、樋川結芽の病室を訪れていた。最早、慣れた手つきで萎れた花を捨て、新しい花を花瓶に挿す。

 ちら、と氷雨は結芽の様子を伺う。
 見舞い客が来ていると言うのに、ベッドから起き上がること無く虚ろな目で天井を見上げていた。彼女はこちらから話し掛けても反応しない事も多い。霊障の程度ではなく、恐らく自分に興味がないからだろうと氷雨は推測しているが。

 ベッドサイドに積まれた外部向けカルテ。それを手にとって大きな茶封筒に入れる。既に送り先が書かれた宛名を何とは無しに見つめていると、珍しい事に結芽が話し掛けて来た。

「ミソギさんは、もうここには来ないの?」
「え」

 無機質な声。矛盾しているようだが、酷く夢心地にも見える。
 ともあれ、問いに答えようと思考を巡らせた。

「……いや、そもそも。何でお前、ミソギの事を知っているんだ……?」

 異動して来て、最初の頃はよく『ミソギさん』の話を彼女はしていたと記憶している。雨宮の病室は301号室だったので、隣の病室という事で仲良くしてくれているのだろうと勝手にそう思っていた。
 しかし、実際に相楽の率いるツバキ組に異動して来て理解した事がある。

 まず、ミソギは隣の病室の人間に心を砕けるような究極的な善人ではない事。これは彼女の事を実際に関わった同僚に聞いたり、『アメノミヤ奇譚』の一件ですぐに分かった。彼女はそういうタイプではない。
 そして更に言ってしまえば、ミソギは隣の病室にいる患者――樋川結芽の事を欠片も知らなかった。この間、センターで同じエレベーターに乗り合わせた時にそれとなく鎌掛けてみたが、全く無反応だったのを覚えている。

 勝手に結芽が病院で作った友達だと思っていたが、どうも違うようだ。友達というか――最早、見ず知らずの、他人。
 薄ら寒い何かを感じていると、問いに対し結芽が答えた。無機質さが失せ、代わりにふわふわと心ここにあらずといった笑みを浮かべている。

「ミソギさんはね、ほとんど毎日、隣の人のお見舞いに来るの。色んな話をしているのよ、私、ベッドを壁際に移動して貰ったの……」
「それは……盗み聞きした情報、って事か……?」
「ううん。ミソギさんのお話はとっても面白いのよ。きっと私に話し掛けていたに違い無いわ」

 ――そんなわけあるか……!!
 流石にゾッとして息を呑む。しかも、彼女がイメージしているミソギ像というのは全くミソギその人とは別物だ。

「おい……ミソギはそういう人間じゃないぞ、多分……」

 しかし、氷雨の忠告は華麗にスルーされた。

「隣の彼女、退院してしまったのね。もう、ミソギさんはセンターに来ない……。ああでも、蛍火とかいう人に会いに来るかも……いいえ、ミソギさんとアイツはそういう仲じゃないものね」
「雨宮が退院した事で、ミソギがセンターに来なくなる事は理解してるんだな……」
「……うふふ。ミソギさんも、何か起きて入院すればいいのに。この、3階のフロアに、ね」

 危うい、確実に本気の一言に氷雨は目を逸らした。
 彼女は3階の住人。雨宮は奇跡的に神的怪異が消滅したので退院するに至ったが、このフロアに居る住人は原則として退院する見込みが無い。
 恐らく、樋川結芽もまた、この病室から出ること無く一生を終える可能性が高いのだろう。

 ***

「あー、今日もミソギ先輩いねぇのかよー」

 支部の会議室、机に突っ伏した南雲は気怠そうな声を上げた。上げた声音に対し、すぐに反応がある。

「おや、南雲くん。私とじゃ不満かな?」
「雨宮、南雲はミソギとトキにべったり懐いているんだ。寂しいんだろうさ」

 ――雨宮と十束。
 演劇部だったという彼女は悪戯っぽい笑みを、その隣に座った彼は微笑ましい笑みを浮かべている。ベクトルはかなり違うが、彼女等は多分、似た者同士なのだと思う。

「トキせんぱーい、先輩も、ミソギ先輩居なくて寂しいっすよね」
「というか、胃が痛い。何をしでかすか分からないところがな。既にテディベアの一件も……」

 顔をしかめたトキは大変珍しい事に深い溜息を吐くと、胃の辺りを押さえた。憎まれ口を叩きはしたが、普通にミソギの事を心配しているらしい。面白い光景を見れたので南雲もまたニヤニヤと嗤った。

 それでさ、と呆れた顔をした相楽が言葉を紡ぐ。

「会議、始めても良いか? 何つーか、雨宮が加わったら多少落ち着くと思ってたんだよなあ、おっさん。まさか逆効果とはなあ、たまげたぜ」