09.未来の大女優
考えに考えた末、ミソギはポケットからスマホを取り出した。『***』と打たれたアドレスを探しだし、電話を掛ける。
3コール目くらいで、お目当ての人物が着信に応じた。
『君は今日、泊まりで仕事ではなかったかね?』
「何でも知っているんですね、三舟さん。あの、ちょっと相談があるのですが」
『ハァ? まさか、出先で起こしたトラブルを私に処理しろなどと言ってくる訳ではないだろうな』
心底面倒臭そうな声音。ここで、用件を知っていたりしたら驚愕ものだが、流石に彼もそこまで暇では無いらしい。事情は一切知らないと見た。
そんな彼は存外と短気というか、興味を失うのが早いので前置きも何も無く、本題を切り出す。
「あのぅ、除霊処分の怪異をですね。ちょーっと保護してやりたいというか……」
『君は怪異の類が苦手ではなかったかね? 意味が分からないな。端的過ぎる』
「いやあの、カッターナイフで男性に大怪我させた、テディベアの怪異なんですよ。でも、その持ち主が可哀相で」
『憐憫か? 止めておけ、碌な事にならないぞ』
「いやまあ、私の感情はどうだっていいんです。出来るのか、出来ないのか。それが全てでしょう?」
三舟には気持ち的な相談をしているのではない。手を組んでいる、という状態において自分の手助けをしてくれるのか否かが全てだ。ただし、無茶を言っているという自覚はある。出来ないと言われれば素直に従うつもりだ。
電話の相手は押し殺したように笑っている。それが不気味だったが、程なくして問いへの答えが返ってきた。
『出来るか出来ないか、と問われれば出来ると答えるだろう。そうだな……その人形は紛失した事にしろ。怪異と言うのだから、自力歩行くらい出来るはずだ』
「紛失?」
『それと、君の周囲を色々と調べられるのは困るのでね。知り合いの伝手で、ペナルティが発生しないように注意する。私が君の為に手を尽くすのはそこまでだ。ただし、忘れるな。君のやっている事は普通に仕事へ従事している除霊師がやらかした場合、まず間違い無くペナルティを受ける案件。それなりに疑問を抱かれるはずだ』
「あ、ありがとうございます。それって、持ち主の手元にぬいぐるみは残らないって事ですか?」
『そうなるな』
――それは、どうなのだろうか。麻央に聞いてみるしかないが、除霊処分orどこかで生存ならば、後者を選ぶとしか思えない。
「――分かりました。それで相談してみます、追って連絡しますね。有り難うございました」
『ミソギ……君は戻ったら私とじっくり話し合うべき事があるな。では』
不穏な一言と共にプチッと通話が終了した。背に変な汗が伝う。何か無理難題を言うというか、苦言を呈してきそうな空気に早くもうんざりとした心持ちだ。
しかし、そこはそれ。兎にも角にも麻央の方を振り替える。一応はドアの外に誰も居ない事を確認し、今し方の会話を彼女へと伝えた。
「麻央ちゃん、あのね、テディの事だけど。君の手元には残らないけれど、一応生存させてあげられる道があるよ。……どうしようか?」
強張った顔をした麻央は一瞬だけ何かを言い淀むと、うんうん、と首を縦に振る。それは肯定の意を雄弁に物語っていた。
「テディが無事なら、それで」
「分かった」
ミソギはテディベアを拾い上げ、窓を開けた。麻央の胡乱げな視線が背に突き刺さる中、外に見える茂みへ隠れるようにぬいぐるみを放る。これで、後は回収すれば成功だろう。
問題は――敷嶋をどう言いくるめるか、だが。凛子は紛失に関して小言を漏らすだけだろうが、彼は違う。敷嶋は警察の中の警察という空気感がある。
三舟に首尾の程を伝えようとした、まさにその瞬間だった。
ドアがやや乱暴にノックされ、返事をする間も無く敷嶋が転がり込んで来たのは。今まさに一番会いたくない相手の存在に、ミソギは素直に息を呑んだ。
「しっ、敷嶋さん……!?」
動揺するミソギを余所に、意外にも気丈に口を開いたのは麻央だった。こちらの立場を理解出来るお利口な子供なのだろう。開いた窓をすぐに怪訝そうに見つめた警察官へと、果敢にも状況を説明する。
「け、警察のおじさんごめんなさい、テディが逃げちゃった……!」
「は!? ミソギ、てめぇちゃんと見てろ、つっただろ!」
――いや言ってないです……。
滅多な事はするなよ、と言われたが。狼狽えてどう答えるべきか悩んでいると、更に麻央が言いつのる。彼女、将来は大女優になれるのではないだろうか。
「テディが可哀相で……。お姉さんは悪くないんです!」
「……お前が怪異を逃がしたって事か」
一瞬だけ凄まじく恐ろしい表情を浮かべた敷嶋だったが、溜息を一つ吐いて首を振った。その後はいつも通りの仏頂面に戻る。
「――仕方ねぇ。日が昇ったらテディベアは探す。でだ、ミソギ。事件が解決した。お前は明日の朝一で帰れ」
「あ、はい」
解決した、という事は麻央の部屋に呪具を設置した人間が見つかったのだろう。しかし、そこは詮索せずにおいた。
――多分、敷嶋の予想が大当たりで執事の篠田なのだろう。