09.善人と狂人の違い
ところでさ、とマシンガントークを披露した雨宮の話題を変える前置きに意識が引き戻される。
「十束が今どこにいるか知らないかな? 私がうっかりこんな状況になってしまったせいで、随分と気にしていると思うのだけれど」
「え?」
「いやほら、私は十束に自分を置いて行くように指示をしたからさ」
「あ、ああ……。そうだね、気にしてるんじゃないかな」
どきり、と心臓が嫌な音が立てる。彼の罪悪感を増長させたのは、自分の逃げ出すという行為だ。忙しくて深く考える時間は無かったが、先程までの忙しなさが嘘のように穏やかな時間が流れる今、3年前の出来事がぐるぐると思考を支配する。
「十束が祠から出て行った後、君達はどうしていたのかな? 無事だった? いや、無事じゃなかったのは私だけど」
「あ、あのさあ」
「うん?」
「いや、あのさ、十束の事を恨んでいる?」
「え? いやいやまさか! むしろ申し訳無いと思っているよ。俺が置いて行ったから、とか普通に考えちゃうタイプだからね、彼は。罪悪感で胃に穴が空いているんじゃないかって気が気じゃないんだよ!」
「そう……」
「ミソギ、私に何か話す事があるんじゃないの?」
「えっ」
じっと見てくる視線に堪えられず、目を逸らす。雨宮はくつくつ、といつも通りの笑顔を浮かべるのみでその心中は推し量れない。本当は何か、やましい事があるという気持ちに気付いているのだろうか。
「酷い顔色だよ。誰にも言わないから、私に話してみなって。トキみたいにすぐ頭に血を上らせたりはしないよ。隠し事とか出来ないタイプなんだよ、君は。スッと吐いちゃおう?」
「……流石に雨宮でも私の事を軽蔑すると思うな。いや、でも、黙っておくのは……人としてどうかとも、思う」
――そうだ、そうだった。私はトキや十束を気にする以前に、例の件を雨宮に謝らなければならない。
それはいたって当然の流れであり、彼女が目覚めて最初にすべき事では無かったのか。隠蔽する、隠蔽し続けるような出来事ではない。黙っておこうと思えば簡単だが、どのみち罪悪感で気が可笑しくなってしまいそうだ。
「……分かった、話す。怒らないで欲しいとか、赦して欲しいとは言わない。もういっそ罵ってくれて構わないよ」
「ネガティブだなあ。まあ、君と私は友達さ! 大抵の事では引いたりしないから、大丈夫」
その大抵の事に当たる事象だと思うのだが。
三舟の件を決して話さないように上手く話を組み立て、3年前の事件の詳細を話す。三舟の件に関しては命が関わる可能性があるので伏せた。
一連の正直自分が被害者側であったのならばドン引きするような話を聞いた雨宮の反応は実に淡泊だった。裏を返せば、慌てず騒がず平常通りという事になる。
「あ、そうだったんだね。いや、それでミソギが無事だったのなら私は構わないけれど。君のそういう若干強かでトキを最優先にする所は、研修時代から変わらないからね」
「……え、いや、それだけ?」
「これ以上何を言うって? 私は特に怒りのような感情は覚えていないさ」
「驚く程、善人だよね、雨宮。大丈夫? 私が言うのもアレだけど、それでやっていける?」
「私は誰にでも善人のように振る舞っている訳じゃないよ。見ず知らずの他人だったのなら冷静に補償を求めているね」
友達優待が豪華過ぎる。
謎の感動と、強い申し訳無さを覚えていると「だけど」という不穏な前振りが鼓膜に刺さった。
「それはトキには絶対に言わない方が良い――というか、言うな」
「え?」
「彼は悪い子ではないけれど、感情のままに君を傷付ける言葉を吐き出すかもしれないからね。そんな事でギクシャクされるのも迷惑だし、私の為を思うのなら私以外にその話をしないで欲しい。私はただ、あの時の同期が研修時のように過ごせるのなら、それでいいのさ」
「雨宮……」
――本当にそれで良いのだろうか。
自分の過失を黙ったまま、十束が雨宮に謝り倒すであろう光景を眺め続ける事は、はたして正しいと言えるのか。否、そんなものは人道に外れている。でも一方で、命令に近い形でそう言われる事で責任逃れ出来たような安堵感を覚えているのもまた、事実だ。人の心とはままならないものである。
「さあ、この話は終わりにしよう。ミソギ、まだ君にはやる事があるよね? そのぎ公園に一人で乗り込んだと言っていたけれど、立派な違反事項だよ。辻褄を合わせようか。どうも、君のバックには誰かいるようだけれど聞かないでおくね」
「……うん、ごめん、何かすっごく味方してくれているからゲロっちゃうけどさ。私、その人の事を話したら心臓が物理的に止まるかもしれないんだよね」
「危険な事に首を突っ込んでいるね……。でもまあ、取り敢えずはそのぎ公園の辻褄を合わせよう? 折角4人揃っているのに、死なれちゃ困るよ」
いいかい、と雨宮は身を乗り出して声を潜め、人差し指を立てた。内緒話をしているようなそんな気分だ。懐かしい、研修時代を思い出すようでミソギは僅かに眼を細めた。