2話 アメノミヤ奇譚・中

12.お腹から声を出そうよ、氷雨さん!


 ***

 考えるべき事がたくさんある。
 氷雨に先頭を歩かせている道が分からないとぼやいていたが、今の所道なり、地図通りに歩いているようだ。
 一方で、十束自身はミソギと共に最後尾を歩いていた。様子のおかしい人間が、凶悪な斧を所持しているので気が気じゃない。いきなり斬り付けて来ないかと緊張が絶えないせいで肩が凝ってきた。

 手が離せない状況であるにも関わらず、スマホの画面が光を放つ。見れば、自分が送ったメッセージを見たであろう南雲からの返信が来ていた。ミソギに細心の注意を払いつつ、アプリを開く。
 引っ掛かりも無くスムーズに開いたアプリの画面。3年前からこんな風に電波が強化されていたならば。取り留めのない思考が一瞬だけ脳裏を過ぎる。

『南雲:先輩にアプリ触ったか聞いてくれって、トキ先輩が』

 質問の意図は分かるが、それに彼女が答えられるだろうか。

「ミソギ、お前アプリは触ったか?」
「…………」

 ノーコメント。イエスorノーの質問にさえ答えてくれなくなった。しかし、ミソギのポケットからはスマホの角が覗いている。無理矢理奪い取ってしまえばいいのではないだろうか。
 悪しき考えに取り憑かれつつも、アプリのコメントをスワイプする。迷い込んだという赤札は自分達が公園へ来てからこっち、まるで反応が無くなってしまった。
 それにしても。

「雨宮の口調に似てる気がするんだよなあ」
「アプリの赤札さんですか?」
「ああ。似てないか? 雨宮に」

 ちら、とこちらを振り返ったミコは曖昧に頭を振った。

「何とも言えないですねえ……。私、3年前はもっともーっと子供でしたしっ!」
「それもそうか」

 なあ、と一番前を歩いていた氷雨が消え入るような声を発した。あまりにも声が小さかったので、一瞬だけ対応に遅れる。

「え? 今、何か言ったか? すまない、よく聞こえなかったんだが」
「そうか……」
「声ちっさ! 氷雨さん、腹から声出していきましょうっ!」
「悪い……。いや、さっきから女のような人影がチラチラ見えるんだが」
「いや早く言ってくれ、そういう重要な事は!」

 複数型怪異のお出ましらしい。今回のメンバーに女性はミコと、ついでにミソギしかいないので『女のような人影』と言ったら怪異でしかあり得ない。
 案の定、氷雨が指さした先には長い髪から水を滴らせ覚束無くあるく2体の怪異がゆらゆらと揺れている。

「反対方向へ逃げよ、うっ!?」

 こちらも覚束無い印象が拭えないミソギの手首を掴んだ、その時だった。何の脈絡も無く、同僚が斧を振り回したのは。とはいえ、ベースは所詮ミソギ。力の無いフルスイングを事も無く躱した十束は慌てて彼女から距離を取る。

「み、ミソギさーん……。あわわ、ど、どうしますか、十束さん!」
「やむを得ないな、どうにかミソギを誘導しつつ怪異をまくしかないだろう。とはいえ、ミコ、君を付き合わせる訳にはいかない。氷雨と一緒に遠くへ逃げてくれ。イベント広場で落ち合おう!」

 ミソギとの距離と、怪異との距離を目算する。恐らくミソギの方が怪異より速く動くはずだ。ほんの少し、ミソギをこの場に置いて行けば済む話ではないかと考えはしたが、それは苦い思い出と共に首を振って否定する。今はそれで良いが、こういう選択は後で必ず後悔するものだ。

「よしっ、こっちだミソギ!」

 まずはミコと氷雨の退路を開ける為、彼女を退かさなければならない。現状は怪異とミソギに挟まれている状態だからだ。
 しかし、ミソギを退かすという発想は根本であるミソギが全くの反対方向へ駆け出した為におじゃんとなった。身を翻し、元来た道を少しだけ戻った同期はそのまま茂みへ入り道無き道を駆け抜けて行く。

 追うべきか考えたが、ミコの言葉で踏み留まった。

「待って下さい、十束さん! わたし達も逃げないとっ!」
「えっ、だがミソギが……大事な仲間だろう?」
「あなたは違うんですか? 何だか目的があるような足取りでしたし、大事にはならない気がしますっ!」

 それでもなお、追うべきか否か逡巡していると氷雨の低い上に小さい声が耳を打つ。

「怪異が向かって来てるが……」
「こっちですよっ、十束さん! 氷雨さんも、背中押して下さい」
「え、俺が?」

 ミソギの姿はもう見えない。仕方なく、十束はミコの指示に従った。このままではミソギ以前に、あの足が遅いコモンズ達に追い付かれる。

 少し走れば、すぐに怪異達をまく事が出来た。彼女等の脅威はその数と唐突な出現、そして無尽蔵の体力だ。如何に速く走れる生き物もガス欠という難点を抱えているし、ここは謂わば箱庭。外へ出る為の退路は基本的に使えなくなっている。今すぐに獲物を追い詰める必要は無いのだ。

「ううっ、走るのって疲れますね」
「ミコ、ランニングから始めるのはどうだ? 除霊師は意外と体力を使う職業だぞ」
「でもでもっ! 私より氷雨さんの方が悲惨な状況ですけどっ!」

 見れば、氷雨は肩で息をし、がっくりと座り込んでいる。体力なさ過ぎじゃないか。というか、成人男性のそれを遥かに劣っている気さえする。走らせてはいけなかったのだろうか。
 疑問には思ったものの、本人が何か言う訳でも無いので休憩がてらアプリを開いてみた。先程、ミソギの事に関する返事を打っていなかったからだが、世にも珍しい青い吹き出しに気付いて手を止める。

『蛍火:一旦全員集合しよう。イベント広場にいるよ』

「あれ、蛍火さんも来てるのか?」
「うーん、わたしはそんな話し、聞いてませんっ!」

 ともあれ、蛍火の指示通り一度集まった方が良さそうだ。状況が色々変わって来ている事だし。