7話 ――さん

04.メリット、デメリット


 一瞬の間、その後アカリがぽつりと呟いた。

「――南雲さんって、案外優しい所あるよね」

 どの辺に優しさがあったというのか。思い返してみたが、具体的な何かは思い浮かばなかった。それを問おうにも、呪詛を吐き出していたアカリはすでに消滅して黒い霊符の残滓のようなものがふわりと漂っているだけだ。

「黒霊符って初めて使ったけど……なんか、もう二度と使わなくて良いかなって」

 ぐったりと溜息を吐いたミソギは額を押さえている。それについては全面的に同意だが――

「ミソギ先輩、無事だったんすね! 俺、てっきりこのまま離脱かと」
「うーん、まあ、私もそのへんはよく分かんない。色々あったみたいだけどさ」
「というか、さっきの真っ黒霊符、何だったんすか? あんなん、俺も初めて見ましたけど」

 あれは、と説明を引き継いだのはトキだった。彼は未だにアカリが先程まで立っていた場所をぼんやりと眺めている。

「機関における最終手段だ。3人の青札除霊師によって三日三晩祈祷する事で作成される。ほぼ確実にあらゆる怪異を強制的に消滅させる事が出来る霊具だ」
「ええっ!? 超便利じゃねぇすか、それ! 何で今まで勿体振って使わなかったんすか?」
「使用するのに本部での許可がいる。相楽さんがその許可を取ってくれていたが、使用許可そのものが下りたのは今さっきの話だ」
「うん? さっき使用許可が下りたってんなら、現物がここにあるのっておかしくね?」
「……お前それ、他言するなよ。紫門が持って来ていた、こっそりと」

 概ね理解した。使用許可を取りに行っている間に、すでに相楽は紫門に黒い霊符を持たせていたのだ。こういったやり方は露呈すれば問題になってマスコミに打ち上げられたりと碌な事にならない。黙っておくのが利口なやり方なのだろう。

「にしたって、そんな秘密兵器があるのならとっとと使わせろって話ですよね」
「便利な道具には相応のデメリットがある」
「え? 何か危ない事でもあるんすか」

 トキは口を閉ざしてしまったが、代わりに肩を竦めたミソギが意味深な言葉の解説をしてくれた。

「私の絶叫はカウントされていないみたいだけど、どういう事情であれ強制消滅させた怪異っていうのは呪詛返しっていう仕返しをしてくる事があるんだよね。まあ、ものにもよるし、『――さん』程度なら、死なないくらいの大怪我が良い所かな」
「は!? それってアンタ等やばくない?」
「ヤバイよ。けどまあ、仕方ないよね。私が叫んでもアカリちゃん消えなかったし」
「というか、それを紫門さんが当然のように使おうとしてたのも信じられねぇわ」
「紫門さんは今まで何度か黒霊符使ってるし、入院もしてるけど――ほら、あの人、マゾだから。『何かが仕返ししてくる』っていう状況で興奮して、結果的には呪詛返しを緩和してるって話だよ」
「マジパネェっす紫門さん」

 それに、とミソギは冗談めかした言い方から一変した真剣な口調で独り言のように呟いた。その視線は下の階へ続く階段へ向けられている。

「あまり言わないけど、紫門さんは割といい人だから。今日の面子はみんなあの人より年下だったし、責任とかあったんだと思うよ。私達が黒霊符を使う事にも反対してたしね。でも頭を強打してる人を動かす訳にはいかないし、浅日くんに頼んで拘束して貰ってから来たけど」

 調子に乗るから紫門さんには内緒ね、とミソギが悪戯っぽく笑う。念押ししなくても、恐らく自分の口から彼に直接賛美の言葉を吐き出す事は無い。何をされるか分かったものじゃないからだ。
 南雲、とトキに呼ばれて顔をそちらへ向ける。

「体育館での話だが」
「え? 今!?」
「概ね解決した」
「へっ、あ、良かったっすね。元は仲良しなんだからそんなもんだろとは思ってましたけど!」

 何となく照れくさい気分でちらっとトキの様子を伺う。学校へ通っていた時もそうだったが、相談を聞くより、自分の助言で事態が好転した後に言われる感謝の言葉の方が反応に困る。嬉しいのは嬉しいのだが、それを全面に現す訳にもいかないジレンマというか。
 しかしそれは、同級生。または上級生か下級生。あくまで学校という共同体内での話。今日のこれはそれらとは一線を画した破壊力があったと思う。

 目が合ったトキが薄く目を眇める。
 ほんの一瞬。瞬きしていたら見逃していたであろう、1シーン。
 確かにその口角が吊り上がり、ぞっとする程に綺麗な笑みを浮かべるのを、見た。
 息が止まる。すかさず差し込まれた言葉に、今度は心臓が止まるかと思った。

「感謝する。お前に出会えてよかった」

 飾り気も惜しみもない言葉は、それだけで価値がある。シンプルな一言はそれが本心である事を物語っているようだ。
 いや、考えれば分かる事だ。彼は嘘を吐けない。
 即ち口にする言葉は全て事実。
 トキの言葉には何物にも代えられない価値と、重みがある。

「えっ、あ、はい……!」

 それだけやっと答えて、そして遠巻きにこちらを見ているミソギを視界に入れた。彼女の視線もまた、トキに釘付けだが恐らく自分は校舎内で初めて彼等に会った時から大きな勘違いをしていたのだろう。
 トキが、ミソギに執着しているのだと勝手に思っていた。
 事実は恐らく、逆。
 南雲自身はミソギへ感情移入する事が出来る。ミソギは人並みの感情を持ち、人間らしく、女性らしい性格をしているからだ。それは自分も同じ。だから共感出来る。であれば、今、トキに対して瞬間的に覚えた感情もミソギその人と共感出来るだろう。

 今起きた出来事の中、血迷った考えが一瞬だけ過ぎった。
 ――もう一度、あの笑みと言葉を貰えるのなら。
 彼の為に何でも出来る気がする。

 まさに飴と鞭。先程、彼等と再会した時に空気が柔らかくなったと思ったが何の事は無い。自分のアドバイスを元に行動したトキの一言で、ミソギの鬱憤が全て昇華されたのだろう。
 素晴らしい事のはずなのに、何故か嫌な悪寒が止まらない。信じられない程に美しい化け物をリアルで目にしてしまったような錯覚。放置しておくと大変な事になってしまいかねない危うさ。

「あの、何かよく知らねぇけど! 俺の事、マジで呼んで下さいよ!!」
「だから、そう言っているだろうが」
「アッハイ」