6話 開かずの間

02.行方不明者達の帰還


 ――まずい、あの腕力で頭に椅子なんて叩き付けられようものなら怪我ではすまない。どころか、最悪死ぬ可能性だって大いにある。否、躊躇い無くあんな物を振り下ろされれば頭が割れて、足下にいる階段の女のような状況になるかもしれない。
 焦りばかりが募る中、聞き覚えのある声が耳朶を打った。

「は? ンだよこの状況は!」
「ミソギ!?」

 男女の声。それが聞こえてきた瞬間、足を掴んでいた感覚が消えた。反射的にその場を飛び退いた一瞬後に、先程までトキが立っていた場所に椅子が振り下ろされる。破壊的な音と共に椅子の脚があらぬ方向へと曲がった。その惨状を見て背筋が凍る思いをする。
 男女――浅日とカミツレを視界の端に入れたトキは僅かに首を傾げた。

「貴様等、どこから出て来た?」
「開かずの間からよ。さっきまで鏡の中にいたのだけれど――あなた達が何かしてくれたのかしら? 何故か出られたわ」
「私は見ての通り、ミソギの面倒を見るので手一杯だった。お前達の事など知るか」

 だろうな、と今更現れた浅日が肩を竦める。

「紫門だろ。俺等を鏡の中から出してくれたのはよ。で、奴はどこに行った? 正直、あまり会いたくねぇが礼は言っとかないとな」
「おい。それは後回しで良い! ミソギを取り押さえる、手伝え」
「あー……、おう。分かった」

 人が何かに憑かれた場合、飛躍的に身体能力が上昇する事がある。それを浅日が知らない訳もなく、また、事情を何も知らない訳でも無いようであっさりと頷く。カミツレがその場からそっと離脱した。

「あたしは邪魔にならない所で待ってるわ」
「おい、偏型二種。ミソギに憑いている『何か』は祓えないのか? まだ校舎から脱出出来る目処は立っていない。正気に戻す事が出来れば――」
「残念だけれど、たくさんの霊が憑いているわ。1体1体祓う余裕があるのならどうにでも出来るでしょうけれど、霊符の枚数的にも現実的ではないわね。霊障センターの蛍火さんに投げた方が良いと思う」

 じり、とミソギが一歩後退る。逃げるつもりらしいが、人数が多いからか背を向ける事を躊躇しているようだ。
 油断無くジリジリと距離を詰めながら浅日が問う。

「で? 結局どーするって?」
「ミソギを取り押さえる。その霊がどの程度憑いているのか私には判断出来ないが、霊符の枚数は足りないだろう。当て身でも食らわせて縛って転がしておく他無いな」
「容赦無いよな、お前……。にしても、こういう時にこそミソギがいりゃあな。アイツの絶叫ですっきり除霊出来るってのによ。俺等が単体攻撃しか出来ないなら、アイツは全体攻撃だからな」

 ミソギは赤札の中でも数少ない「持っている霊力を排出する出力器官」を持つ人材だ。南雲ではないが、実質彼女の除霊にコストは掛からない。そうであるが故に色々な怪異事件に引っ張りだこなのだが、本人の精神面が脆すぎるのでいつか胃に穴を空けてしまう事だろう。

「行くぞ。浅日、左から回り込め」
「了解。トキ、お前しくじんなよ!」

 まずは持っている凶器である椅子から奪わなければ。右側からゆっくりとミソギに近付く。案の定、単純な行動しか取れないであろう『それ』は両側から徐々に距離を詰めて来る2人に困惑したように動きを止めた。途方に暮れているのがよく分かる。

 ミソギが一瞬だけこちらを向いた、その瞬間に浅日が駆け出す。その浅日に対応しようとしたミソギの腕を再び――今度は両腕で押さえ込む。椅子を持ち上げようとしていたミソギの手がガクンと下がった。
 今度は浅日が反対側の腕を押さえ込む。

「おっしゃ、捕まえたぜ! ま、身体能力が上がっていようと外身はミソギだからな。流石に男2人の腕力なら――うおっ!?」
「おい、馬鹿、離すなッ!」
「んな無茶な!」

 ベラベラと喋っていた浅日へ向かって、ミソギが蹴りを入れた。間一髪でそれを躱した浅日が折角拘束していた腕を手放す。
 しかし、その拍子にミソギの集中力が途切れたせいか、持っていた椅子が手から離れて廊下を滑っていった。

「ええい、大人しくしろッ! 無駄な抵抗をするな!!」
「つーか、今思ったんだがよ。これ、気絶させるとしてどうやって運ぶ? あー、特大の荷物が1つ増えるって事かよ」
「つべこべ言うな、今はそれどころではない!」
「いや俺、結構重要な話してんだけど」

 浅日、とカミツレが結構離れた所から両手をメガホン型にして有益な情報を投げつけてきた。

「憑いている霊がとっても怒っているわ! 抵抗する気満々だから、もうちょっと頑張って!」

 おう、とゲンナリした顔で浅日が頷く。しかし、正面から向かって行ってもあの力で暴れられれば不利だ。残り少ないが、霊符を使用しよう。
 懐からばっさりと霊符を取り出す。

「はぁ!? おまっ、どんだけ霊符持ってんだよ!」
「もう3分の1くらいの枚数しか無くなったがな。これを投げつけて怯ませているうちに押さえ込むぞ」
「それはいいけどよ、どうしたら受付でそんなに大量の霊符貰える訳? え、何か裏技的な? でもお前が受付嬢とフレンドリーに会話してるところは想像出来ねぇ」

 浅日の問いを無視。霊符の狙いをミソギに定める。正直、ここで霊符を使い切りたくはないが背に腹は代えられない。