4話 体育館のボール

04.南雲カウンセラー


「ふん、馬鹿め。そのボールは私にも見えているぞ」

 鼻で嗤ったトキが飛来したボールを叩き落とした。結構な音がしたし、見た目に反して脳筋じみた行動に目を白黒させる。予想外に運動神経は悪く無いようだ。
 ぼんやりとその光景を見ていると、苛々とトキが舌打ちした。

「さっきからぼうっとするな! 暇なら、これを隅に配置して来い!」
「えあっ!? え、あ、はい。行って来ます……」

 背後からボールに強襲されないか緊張しながらも、盛り塩を指定の位置に運ぶ。トキの方は何をしているかと言えば、周囲を警戒しながら睨み付けていた。ボールがふわりと浮いた方向へ寸分違わず霊符を投げつける。
 その霊符は周囲にいる大人しくしていた亡霊をも溶かし崩しているが、恐らく霊感値がかなり低いラインに位置している彼には視えていないのだろう。

 指示通り、残りの盛り塩を配置し終えた。こちらの不穏な動きに霊達が心なしか戸惑っているように視える。

「お、終わりましたけど」
「そうか。出るぞ。シャッターが開いていなければ……また来る」

 トキの爆弾発言に霊達がどよめく。攻撃的だったし、同情は出来ないのだがあちらも何人か仲間が除霊されているし、仕方のない事だろう。
 スタスタと足早に体育館を出て行くトキの背に疑問を投げ掛ける。

「なあ! ……じゃなくて、あのー、シャッター。上がってなかったらどうするんすか?」
「体育館にいる霊とやらを片っ端から除霊する」
「そ、そっすか。というか、簡易結界張っただけじゃないすか。シャッター、上がってるとは思えないんですけど」
「体育館からシャッターまで距離がある。であれば、あのシャッターを動かす為のラインがあるはずだ。それを寸断するという意味合いがあった」
「あー、ああ、成る程ね……」

 自分達が本棟へ戻れないようにシャッターが下りていたように、そのシャッターを下ろす為のライン、それを結界を張る事で途切れさせたのか。やった事は霊達が自分達にした事と同じだ。

「何か……その、頭良いんすね」
「当然だ。情報量はそのまま自身の命に直結する。知っておくべき事は、記憶しておくべきだ」

 遠回しに叱られているようで、南雲は肩を竦めた。
 先程まで同じくらいの歳だし舐め腐っていたが、彼には彼の考えがあり、そして戦力になり得るだけの力量がある。ただ悪戯に苛立ち、怒号を上げている訳ではないのだ。

「あの、俺、割とアンタに失礼な態度取ったし、適当な事言ったけどやっぱり撤回します」
「撤回するだと? 無かった事にするくらいなら、最初から言わない事だな」
「はい、尤もっす……」

 そんな事はどうでもいいが、とトキが足を止めた。珍しく自分に訊きたい事があるようで、南雲もまた狼狽えたようにその足を止める。

「え、何? 何すか?」
「体育館へ着く前。お前は私の共感性がどうの、と言っていたな」
「え!? あ、あー、言ってましたけど……」
「それも撤回するのか? 私が気に食わなかったから出た、口から出任せだと」

 その他はどうでもいいが、一部にはフォーカスした発言。つまり、今までの言葉全体ではなく、それそのものだけが気になっているという事だ。
 あの時、口にした言葉は交じり気の無い本心だと言えるだろう。というか、別にトキその人を気に食わないと思った事は無い。人付き合いに苦戦しそうな人だとは思ったが。

「や、それは別に――出任せでは、ないっすね。あの、気にしてるんだったら悪いんすけど。いやでも、トキ先輩は別にンな事気にしないでしょ? 俺もいちいちそういう事気にしないし。みんな違ってみんないい! ね?」
「貴様の持論には興味が無いな。しかし、私の態度がアレの神経を逆撫でしているのなら話は別だ」
「ミソギ先輩の事っすか?」

 返事は無いがきっとそうなのだろう。思い出したようにトキが歩みを再開する。

「ミソギ先輩はトキ先輩と連み過ぎて食傷気味なんじゃないっすかね。だって先輩、いっつもあんな調子なんでしょ?」
「あんな調子?」
「こう、アレっすよ、アレ。割と無神経な一言を言っちゃったり、落ち込んでる人間に頑張れって言っちゃう感じの」
「……それの何が悪い」
「四六時中一緒にいるんでしょ? いっつも一緒にいる人から『しっかりしろ』とか、『頑張れ』、とか横で言い続けられたら鬱陶しいじゃないすか。特に、ミソギ先輩は今ナーバスな気持ちなんですから。そりゃ嫌がられますって!」

 気分が沈み込んでいる人間に「頑張れ」は禁句だ。その力が無いから落ち込んでいるのであって、その人物はその状況から抜け出すべく心中で葛藤している。それを無視して「頑張れ」だなんて、むしろやる気を無くしてしまう事だろう。
 胡乱げなトキの視線と目が合う。心にある種の罪悪感を持つ人間は、こういうあまり事を大事にしない言い方をしても気にしてしまうものなのだが、やはりというか、彼にその兆候は見られない。ただし、話を聞くという姿勢はある。

「先輩の言っている事は恐らく一から十まで完全に正しい、所謂、正論ってやつです。正しすぎて言い返せないくらいには正しいんだと思います。だけどでも、正論は決して人の心は救いませんからね。正しいという価値しかねぇっす」