06.踊り場の鏡
階段をゆっくりと上る。余談になってしまうのだが、実は階段の上り下りが苦手だ。足が絡まる感覚というか、何だか上手く足を運べない。それを知ってか知らずか、隣に並んでいる浅日もまたのんびりと階段を上っていた。
「そういや、ここでの救援がルームに上がってたな。今どーなってんだよ」
「あたしにアプリを確認しろって言ってるの? でも、そういえばどうなったのかしら。あたし達も出られないし、あの煩い赤札の子も出られなくなっているのかも。どこかで拾った方が良いわね」
「おう、そうだろ? 俺も会話見てたが、多分新入りだぞ。あの挙動不審っぷりといい」
アプリを開く。ルーム作成者である赤札は定期的に浮上しては書き込みをしているようで、今も丁度吹き出しが追加されたところだった。
「あら? 何だか、あたし達ではない赤札と合流したみたいな事を言っているけど」
「はあ? じゃあ俺等以外にも誰かいるって事かよ」
「だから、学校の探索をしろなんて無茶な仕事が来たんじゃない? あたし達の他にも仲間がいるって事でしょう?」
「なるほどな。初めから俺等だけの仕事じゃねぇって事か。それならそうと言えばいいのに」
「……それもそうね」
何かが噛み合っていない。固まってしまった歯車を、無理矢理に動かそうとしているかのような歪さだ。しかし、裏を返せば無理矢理にでも理由付けが出来る状況でもある。相楽を信用したい気持ちと、他組合にいた時の記憶が思考を目まぐるしく動かす。
「――わっ!」
「んあ? ああ、鏡か。俺が前に通ってた中学校にもあったな、踊り場の大鏡。これって何の為にあんだろうな」
人の全身が写せる大きな鏡。それは自分の家に置いてある全面鏡よりもずっと大きい。昼間にそれを見掛けても何とも思わないのだが、夜の学校でこれはかなり不気味だ。
引き摺り込まれてしまいそうな危うささえ覚える。
しかし無鉄砲の気がある浅日は笑みさえ浮かべてトコトコとそれへ近付いて行った。スマホの明かりを鏡へと向ける。
「デカイ鏡だな、しかし」
「そうね。ほら、早く行くわよ」
「ん? ちょっと待て、後ろから何か――」
鏡を覗き込んでいた浅日が眉根を寄せた。それが鏡に写っていたが、彼が指摘する後ろが気になって振り返る。何も無い。
業を煮やしたカミツレは、先に進むべく浅日を鏡から引き離そうとその肩に手を置いた。
「ねぇ、ちょっと、いい加減にして。行くわよ。遊んでる場合じゃないったら」
「いや、鏡に写ってるだろ。コイツ絶対にヤバイ――ちょ、そこ退け、カミツレ!」
「きゃっ!?」
鏡から手が伸びて来た、と思えば浅日に肩口を思い切り押されて尻餅を着く。その拍子に、周辺を照らしてくれていたスマホが、踊り場の端まで弾き飛ばされて滑って行った。一瞬とはいえ真っ暗になり、思わずスマホを回収する。
「……え? あ、浅日?」
抗議の声を上げようと相方の姿を捜すが、彼は忽然と消えてしまっていた。階段を猛スピードで下りて行ったのかとも考えたが、階段に人影は無い。
――否、本当は原因を解っている。
この大鏡だ。これから手が伸びて来た後から、浅日が消えた。であれば、この鏡が原因である事は明白。
スマホのライトで鏡を照らそうと腕を動かす。動かす――
「う、うううう……」
しかし、意に反して腕は動かなかった。硬直した身体は『やるべき事』を放棄して、別の行動を取り始める。
本能的な恐怖に従い、スマホを持った手は危険な大鏡ではなく、階段を下りる為に段差を照らし出した。最初は躊躇いがちに、しかし徐々に小走りになっていき、あんなに苦手だった階段を駆け下りる。
1階まで全力で駆け下りると、人の話し声が聞こえた。カミツレは、最早躊躇い無くそちらへ足を向け走り出した――
***
「あたし、最低だわ。あの場で浅日を救出しなきゃいけなかったのに、逃げ出したの……! いつも助けて貰ってた、いつだってあたしの事心配してくれてたのに!」
話を終えたカミツレはその場に座り込んだ。悔恨の念と、自責の念、様々な感情が綯い交ぜになって震える声はいっそ痛々しい程である。
紫門が呟く。
「恐らく、相楽さんの電話は南雲くんと同じく誤報だね。君は2人で1組だったからこそ引っ掛かったけれど。一応、ルームの白札がまとめ記事を作っていたようだけれど、この様子だと読んでないかな?」
「……はい、読んでいません」
「気に止むことはないよ。ボクも仕事の前にまとめの記事なんて読んでられないしね。あと2人この学校にいるんだけど、浅日くんの方が深刻だ。大鏡に行ってみようか。幸い、こっちにはミソギちゃんがいるわけだし」
「すいません、あたしの力が足りず……」
「いや、君は悪くないよ。1人で向かって行かなくて、むしろ正解だ。怪異と戦うのは白札の役割ではないさ」
そう言って紳士然とした笑みを浮かべた紫門。カミツレは微かに安堵の表情を見せ、ミソギはゾッとしたような表情をした。付き合いの長さと信頼の重さを如実に物語っていると言えるだろう。