2話 勝手に鳴るピアノ

06.紫門の事情


 ***

 別棟2階の空き教室にて。何故か学校へ来ていた紫門に話を聞く事になった。腕を組んだトキが苛々と人差し指で自身の肘を叩いている。

「――で、何故貴様は学校にいる。まさか、私達より除霊師歴が長いくせに、決まりを知らなかった訳じゃないだろうなッ!」
「ふふ、ちゃんと事情があるに決まっているだろう? だから、もう少し強く罵ってくれないかい? ボクのモチベーションの為にね!」

 グルルルル、と獣のような呻り声を漏らすトキ。相当に苛立っているのが伺える。ミソギが教室の端から紫門に声を掛けた。相手への配慮など忘れた、人を傷付ける事も厭わない露骨な距離の取り方に困惑を隠せない。

「紫門さん、それは良いから早く話して下さい。早く校舎から出たいんですって!」
「もう、仕方のない子だね。まあ、いい加減本題に入ろうか。ボクは相楽さんの指示に従って――南雲くんとか言ったかな。君や、他の皆にも来た相楽さんからの誤報を調べに来ていたんだ」

 ひた、と落ち着いた瞳に見つめられ一瞬だけ言葉を忘れる。まさに黙っていればただのインテリ系イケメン。口を開けば残念だが。
 紫門の核心に迫る一言に対し、南雲は眉根を寄せた。

「俺に掛かって来た、相楽さんの連絡は間違いだったって事かよ」
「間違い――というと語弊があるね。正確に言うのなら、相楽さんは君へそんな指示を『絶対に出していない』のさ」
「お、俺の事疑ってんのかよ! 流石にこんな質の悪い嘘や冗談は吐かねぇよ、馬鹿にするな!」

 落ち着いて、と紫門はあくまで冷静に諫めるようにそう言った。適当な椅子に腰掛けた彼は、その長い足を組み替える。眼鏡の奥にある双眸が考えるように一瞬だけ閉じられた。

「君一人だけが『相楽さんから連絡が来た』、と言うのなら間違いや冗談の可能性もあったのだけれどね。実際、他にも相楽さんから連絡が来て、確認の電話を支部へ入れている子達がいる。大抵の子は学校へ一人で仕事だなんてそんな事はあり得ないって言って、電話してきたんだけどね……」
「う、うっせぇな! こちとら新人なんだよ!」

 それはいい、とトキに勢いよく遮られた。あまりの剣幕に思わず口を噤む。

「貴様、相楽さんの指示が誤報であった事を分かった上で学校へ入って来たのか!? 馬鹿か? 頭の中に豆腐でも詰まっているとしか思えない愚行だな!」
「いやあ、返す言葉も無いよね。実際、ボクは相楽さんから『学校周辺の調査』を仰せつかっていたのであって、学校へ入るつもりは毛頭無かった訳だし」
「は? では何故入って来てピアノを弾いていたッ!」
「分からないんだよね。何というか、前後の記憶が酷く曖昧だ。気付いたら下駄箱に立っていたんだよ。まあ、あれだよね。そんなの――普通に興奮するじゃないかッ! もうこれは学校を探索するしかない、そうだろう!? 強制的に夜中の学校を探索させられるなんて、悪寒が止まらないよッ!」
「私は貴様のその性癖への悪寒が止まらないがな。というか、何を言っているのかまるで分からないが自分の意思でここへ入って来た訳では無いと?」
「ああ、それだけは保証するよ!」

 うわ、とミソギがドン引きした様子で紫門を見ている。

「紫門さん、じゃあどうして音楽室に居たんですか?」
「それなんだけどね。校舎に入った瞬間、ボクは見つけてしまったんだよ――別棟の存在をね! あの明らかに何かいそうな雰囲気、年季の入った床板、噂の温床になっていそうな空気――最ッ高! 確実に何かいるじゃないか! 何か絶対にいる場所に、自ら入って行くなんて気持ちいいだろう? 色んな怪異がボクという侵入者を見ているだなんて……ああ! 想像しただけで……」

 その先は言わなかったが碌な言葉では無いだろうから問題無いだろう。紫門は恍惚とした表情で熱っぽい溜息を吐き出し、自分自身をしっかりと抱きしめている。何故、上司である相楽はコイツを学校周辺の調査へ向かわせたのだろうか。理解に苦しむ。

「そんなこんなで音楽室まで辿り着いたのさ。まあ、あとはさっき言った通りだよ。妙な強制力に誘われて、ピアノを弾いていたんだ。ああ、南雲くん、気を悪くしないで欲しいけれど確かにボクは君を救出するつもりはあったんだ」
「ええ? 本当かよそれ。俺、全然関係無いミソギ先輩達に助けられたんすけど」
「その蔑むような視線、いいね。もっとキツくボクを睨んでみてくれるかい? 不良っぽいし、迫力があって良いと思うんだ」
「よくねーよッ! いい加減にしろよアンタ! 今の状況で流石に余裕過ぎんだろ!!」

 馬鹿が、とトキが舌打ちを漏らす。紫門が現れてからというもの、彼の口からは暴言が絶えない。かなり相性が悪い――否、紫門から見れば相性は良いのだろうか。何とも変わった関係性である。
 ところで、と知性を感じさせる表情に戻った紫門の視線がアカリを捉える。ミソギと共に教室の端にまで退避している、浮遊霊の彼女にだ。

「えーっと、そっちの子はどうしたのかな? 生者には見えないけれど」
「彼女はアカリちゃんです。私達は今、外へ出る為に七不思議巡りツアーをやってるんですけど、その案内をしてくれています。元女子中学生らしいですよ」
「ああ、そうだろうね。その、校則を絶妙に守っているようないないような、清楚なラインを攻めてる所とか凄くグッドだと思うよ。もっとその靴下は上げなさい。ボクはそのダサイ長さの靴下がぴっちり伸ばされている所に萌を感じる」
「キモ……」

 アカリが養豚場の豚でも見るような目でそう言った。気持ちが悪いとか以前に、通報されるレベルだ。紫門は言動に気をつけるべきである。

「それにしても、そう……。七不思議の案内ね。いや、助かるよ。ボク達はこの学校の事なんて何一つ知らないからね」
「紫門さんはこれからどうしますか?」
「当然、君達と一緒に七不思議ツアーに繰り出すよ。君達の保護者は現状、ボクだ。遠慮なく頼っておくれ。出来れば強めに命令して欲しい」

 紫門がツアーに加わった。当然の流れなのに、酷く釈然としない気持ちに南雲はぐったりと項垂れる。いつになったら帰宅出来るのだろうか。