1話 飛ぶ生首

01.昔話だよ、南雲くん!


 複合型怪異、『供花の館』を無事討伐したミソギは束の間の休みを得て、霊障センターに足を運んでいた。今日は仕事でも何でも無くオフなので、トキには声を掛けていない。彼はここが苦手なのだ。
 重そうな鞄を持ったミソギは向かい側の椅子に座っている男性――蛍火に訊ねる。

「どうですか? 私、大丈夫そうですか?」
「ああうん。少し赤くなっているけれど、放っておけばすぐに消えるよ」

 手首と、顔面の半分。『供花の館』の主である『キョウカさん』によって施された霊障だ。彼女が成仏したと同時に黒みは消えたが、赤くなっていたのでセンターに来たのだった。
 念入りに調べてくれた蛍火が問題無いと言うので、問題無いのだろうが。

 ありがとうございます、そう言ってミソギは椅子から立ち上がった。まだ診療を必要とする患者がいるからか、蛍火は椅子に腰掛けたままである。

「ミソギちゃん、これからどうするんだい?」
「勿論、雨宮のお見舞いに行きます。今日、休みですし」
「そう……。僕は一時忙しいから、気にせずゆっくりして行ってね。トキくんは?」
「来てませんよ。この間来たばかりだし、誘っても来ないと思って。特に声も掛けていません」
「君等の関係性って割と謎だよね。まあいいや、それじゃあ、ごゆっくり」
「はーい」

 鞄を肩に掛け直し、診療室を後にする。待合室には数名の患者と思わしき同業者達がいた。一様に暗い顔をしているが、ここに来る大抵の者はそういう感じだ。自分だって、寝たきりの友人の見舞いと自身の診療に来たのであって、楽しさなど皆無である。

 最早見慣れた光景に感情が動くはずもなく、エレベーターのボタンを押す。すでに1階に置いたままになっていたエレベーターに乗り込み、3階のボタンを押した。
 ぼんやりとエレベーターの振動を感じながら、ずり落ちてきた鞄を背負い直す。少し欲張り過ぎたのか、とにかく鞄が重い。本とは紙の束なので仕方ないと言えば仕方無いが。

 3階に辿り着いた。雨宮の病室は301号室なのだが、必ずフロア毎にある受付の前を通る事になる。顔を覚えられているので、働いている看護師達が笑顔で手を振って来た。それに曖昧な笑みを浮かべて応じる。

「雨宮ー、お見舞いにきたよー」

 起きているはずもないが、一応声を掛けて病室へ。3年も眠っている彼女は当然ながら個室だ。
 重い鞄を適当な椅子の上に投げ出し、花瓶の水を替える。
 昨日来たばかりなので、差した花はまだ瑞々しさを帯びていた。

 雨宮の顔を覗き混む。静かに閉じられた目蓋はぴくりとも動かない。呼吸する為に上下している胸を見て、ようやく生きているのだと感じ取れる程だ。
 色素の薄いさらりとした髪、青白い肌。顔色の悪いその様を見ていると、『供花の館』での人形達を少しだけ思い出した。このまま、本当に死んでしまうのではないかという漠然とした不安が背筋を駆け抜ける。

 しかし、努めて冷静にミソギは新しく持って来た椅子に腰掛け、鞄の中から借りて来た資料を取り出した。これはセンターへ来る前に図書室へ寄って借りて来たものだ。4、5冊程あるそれは文庫本より2回り程大きなサイズである。
 表紙が黄ばんで茶色くなったそれを開く。民俗学的な資料だ。
 ――端的に言って、あまり面白くなさそう。

 文字を読むのが瞬間的に嫌になってしまった気分を紛らわすように、ミソギは聞こえているはずもない雨宮へと言葉を投げ掛ける。

「今日は何の話をしようかなあ……。トキと十束が喧嘩しているのは毎回の事だし、鵜久森姐さんとお店に行った話はもうしたし、ミコちゃんの予知能力がメッチャ当たる話ももうしたし……」

 目次のページを飛ばし、本文へ。目が痛くなってくる小さな文字だ。

「――そうだ。南雲と出会った時の話にしよっと。アイツ、話題には事欠かないしね!」

 ***

「――俺の話? 何でいきなり。何企んでんだよ、アンタ」

 折角の休みだというのに、南雲の機嫌は最底辺を彷徨っていた。
 何せ、『折角の』休みだと言うのに提出物の不備で支部へ足を運ばなければならなかったからだ。バスは20分に1本しかないので、家を出る瞬間から換算すれば、すでに1時間も外出している事になる。今日はゲームでもして1日家で過ごそうと思っていたのに。

 そして更に悲しい事に、支部へ足を運んだ挙げ句、同じく休みであったはずの十束に出会してしまった。彼は別件でここへ来ていたようだが、休みの日によくやる事だ。全く感心しないけれど。

 自分を捕まえた十束は苦笑している。
 その仕方ないなあ、といった体の態度が神経を逆撫でする事にきっと彼は気付いていないのだろう。

「いや、トキやミソギの事はある程度知っているが、お前の事は考えてみるとよく知らないと思ってな。今日は休みだろうし、少し話をしようと思って」
「へー。俺、家帰ってゲームするんで。じゃ!」
「まあ、待て待て。昼はまだだろう? ファミレスにでも行かないか。奢るぞ?」
「いやいいっすよ、別に。俺もお給料貰ってるし。つか、俺の話を聞いてどうするつもりなのか、つってんだよ。正直に答えな!」

 何故か照れたように笑った十束は、ようやく口を割る。

「いやな、お前達が連みだした頃、ミソギが落ち込んでいただろう? まあ、トキの奴も平常の状態とは言い難かったが……。あの時のミソギが持ち直したのは、多分お前のその明るさのお陰だと思っている」
「はぁ、そっすか」
「俺もあの時は一杯一杯で、アイツ等の事を気に掛ける余裕は無かったからな。前にも言ったが、俺はその件に関して個人的にお前には感謝しているんだ。だからこそ、当時の話を聞きたいと思っている」
「ふぅん、何で?」
「3年経ってるからなあ……。今までなあなあで誤魔化していたが、そろそろ俺も前に進まなければ。『供花の館』の一件で、特にそう思った。俺達が言い争う事で、周囲に迷惑が掛かる。どうにかこの蟠りを解消してしまいたいが、恐らく俺が面と向かって声を掛けてもまた喧嘩になると思ったんだ」

 言わんとする事は分かった。
 溜息を吐いた南雲は静かに椅子から立ち上がる。

「やっぱり駄目だろうか?」
「ハァ? 何言ってんのアンタ。ファミレスで奢ってくれるんでしょ? まさか、俺がこの何にも無い所で長々と話をすると思ってるわけ?」
「……! そうか、すまない。有り難う!」