05.トキと紅茶と十束
***
ミソギに呼び出された南雲が支部に辿り着いたのは夕方頃だった。道が混んでいたのと、バスの時間が合わなかった為だが、優しい先輩方はそのへんを特に言及しない。優しいというか、何か裏がありそうなレベルである。
どことなく違和感を覚えていた南雲だったが、支部の中に入ってその違和感はむくむくと膨らんでいった。
いつも静かな支部内が、かなりざわついている。
「貴様、何故私の紅茶に砂糖を入れたッ!? 答えろ!!」
「何故って、甘いのが好きだと言っていなかったか?」
「紅茶はストレート派だッ!! というか、人の飲み物に勝手に物を入れるな、非常識だぞ!?」
「確かに言われてみればそんな気もするが、もう少し静かに話さないか?」
「話を変えるな!!」
――何か下らねー事で喧嘩してんな。小学生かよ……。
聞こえて来た言葉の数々に抱いた感想はそれでしかなかったが、一体どんな連中が幼稚な喧嘩を繰り広げているのか。純粋な好奇心から、騒ぎの渦中を野次馬しに行く。
「あ、トキ先輩……」
立ち上がり、対面にしている相手に食って掛かっていたのは他でもないトキその人だった。久しぶりに見る、心の底から機嫌の悪そうな態度の数々に戦慄すら覚える。そんな彼の周囲には、いつも一緒にいるミソギの姿は無かった。代わりに、仲がよろしくないと評判の十束が居座っている。
――えええ……。行きたくねぇなあ。もしかして俺、ミソギ先輩に面倒事を押し付けられた?
しかし、トキに絡むのは『豚男』の怪異以来だ。そんなに日数は経っていないものの、一緒に仕事ができるのなら心強い。何より、今晩の仕事は一人でこなさなくていい。
尤も、すでに引き受けてしまった以上、今更「やっぱり帰ります」とは口が裂けても言えないのだが。
「と、トキせんぱーい……。俺、来ましたけど、何手伝えばいいんすかね?」
恐る恐る遠巻きに声を掛ける。パッと顔を輝かせたのは、トキではなく今まさに喧嘩真っ只中の十束だった。
「助かった! 南雲、お前も何とか言ってくれ。流石に周囲に迷惑だと!」
「アンタ、俺が来た瞬間に何酷な事頼んできてんの? 残念だけど、俺はトキ先輩の味方だからな!」
「ああ、そういえばそうだったな! いつもトキが世話になっている!」
「別に先輩はアンタの息子とかじゃねーし!!」
――調子を狂わされる。
トキが毛嫌いしているから、というのが根幹ではあるものの、十束その人とは恐らく人柄的に自分とは相容れない。それは、出会った当初から今までずっと続いている漠然とした確信だ。
一瞬だけトリップした思考を引き戻すように、「おい」、とトキが呻り声ともつかない低い声を上げた。
「十束、今来たコイツに現状を説明しろ。いいな!」
「ああ、分かったよ。紅茶も、これで新しいのを買い直して来るといい」
「要らん! 私を馬鹿にするのも大概にしろ!!」
紅茶の入ったカップを片手に持ったトキが苛々とロビーを出て行く。新しく飲み物を買いに行くのか、或いは頭を冷やす為に席を立ったのか。
十束は要領よく、そしてテンポもよく現状を説明してくれた。トキやミソギと一緒に仕事をしている時とは違って、話がなし崩し的に進んで行く。けれど、それと同時に本当にただ助っ人に呼ばれただけなのだと物足りない気もするのだ。
何と言うか、結果だけを押し付けられて過程が無い。人が足りないから補充されているような、自分でなければ別の誰かを呼ぶような。そんなだから、いまいち十束その人に愛着が湧かない。
そういう訳で。出て来た言葉も、我ながら敵意に溢れ可愛げのないそれだと思ってしまった。
「何で俺がアンタの為に徹夜しなきゃなんないんだよ」
「ああ、すまないな! だが、そうは言ってもいつもお前は手伝ってくれるし……それとは別に、俺はお前に感謝する事がたくさんあるぞ!」
「テキトーな事言うの止めて貰っていいすか。アンタがどうなろうと知ったこっちゃ無いし、俺はミソギ先輩に頼まれて、トキ先輩の為に頑張るんだから」
「ありがとう! お前は本当に優しいな!」
「俺はアンタのそういう所が嫌いだっての!!」
肩で息をしながら、電話を掛けて来たミソギの心中を思い浮かべる。あの人、多分トキ以上に十束の事を苦手に思っているのだと思う。絶妙に自然に彼との仕事を避ける癖があるのだ。同期だと言っていたし、軋轢があるのは確かだが、ミソギやトキと会った当初の事を思うと迂闊に口に出して訊けないのが現状である。
「あ、先輩帰って来た……」
姿勢正しく手ぶらで歩いて来るトキの姿を認め、緊張が解けるように南雲は心底大きく息を吐き出した。
「うーん、飲み物は良かったのだろうか。弁償しようと思ったんだがな」
「アンタさぁ、もっと俺みたいにエアー読もうぜ。く・う・き! 分かる? あの人に物を弁償するなんて嘗めた事言ったら、そりゃ怒るに決まってんじゃん」
「そうか? だが、俺のせいで飲み物が駄目になってしまったし、当然じゃないか?」
「つかさあ、そもそも砂糖入れなきゃ良かったんじゃね?」
「それだ!」
――それだ、じゃねーよ!
そう思いはしたが、ごっそりと体力を削られたようで口にする事は無かった。心のどこかで、彼との不毛なやり取りを続ける事に疑問を感じていたのかもしれない。