序章





 領土取り、という名目に位置付けられる戦。この軍に所属してからおよそ7度目である。それほどまでにこの国はまだ国として完成していない。所詮、大陸の一角を切り取り、いまだ無名の知であるこの場所を制して、そうして『この大陸の一角』の王となるのが関の山だろう。
 どこか悲観的に事を解釈していた軍師、雨久花明月は小さな溜息を吐いた。

「黎命殿。戦況は、厳しいかと」

 自軍の大将である鳳黎命にそう告げれば、彼は傲慢に豪快に笑った。むしろ、お前の方が何を言っているのだ、と言わんばかりである。

「気にする事は無い。所詮は烏合の衆、雑魚の戯れ、羽虫の集いよ。名のある軍師も、名のある将もいない。いるのは我等にあだなす東雲朋来のみではないか」
「ですが」
「我が軍にはお前という軍師がいる。誇れ、明月よ。お前は最上の駒を使って献策する事の赦された、この世でもっとも幸福な軍師だ」
「貴方の仰る事はいちいち大仰過ぎます。僕にはそういう大役は・・・その、向いていないと思います、はい」

 圧倒的な兵力差を前にそういう剛胆な事が言えるのは結構だ。人を乗せるのが上手いのも、今に始まった事では無い。
 盛大な溜息が今にも喉から漏れそうになった時、それを見計らってか或いはただの偶然か、ぽんと肩に手を置かれ、跳ね上がるように後ろを見る。
 ――神楽木透栖、そして飯桐斎火。
 同僚である彼等は度々、精神面が異様に弱い軍師に構ってくれるのだがそれはこういう厳しい状況でも変わらないらしい。斎火が人の良い笑みを浮かべて会話に加わる。

「まぁたお前落ち込んでんのか、明月。なーんでやる前からそんなに落ち込めるのかね!うん!俺にはちっと分かんねーな!」

 そうだな、と呆れたように追随するのは透栖。彼はちょっと人当たりがキツい部分があるものの、慣れてしまえばどうという事は無い人物である。ちなみに、明月の中では軍で一番の苦労人という位置づけだ。

「もう少し自信を持ってもらわねば困る。軍の士気に関わる・・・というか、俺の仕事が増える。頼むぞ、明月。ふりでもいいから、もっと胸を張ってくれ」
「えっ。いや・・・悪かったよ」

 軍師の指示に自信が無いと、兵は動揺する。そんな動揺した兵を落ち着けて来た後なのだろう透栖は疲れ切っていた。だが今から戦である。誰とも交戦していないのに、彼は疲労困憊だった。

「そういや、聞きました?黎命殿」

 絶妙な場面で話を変えた斎火。何だか怪談でも始めそうな雰囲気に黎命が反応する。面白そうだな聞いてやるから話せ、みたいな。

「東雲の姫君の話ですよ。仙女だとか、実は神の子だとか、方々色々な噂がありますぜ」
「ほう?興味深い話だな」

 ――そろそろ進軍始めたいのですが。
 完全に言う機会を逃した明月は代わりにその噂話にこっそり耳を傾ける。斎火が言う噂は情報として耳に入っているが、彼自身が『東雲の姫君』について信じていなかったので、他の将達はどうなのだろうという好奇心である。
 くだらん、と話を一蹴したのは言わずともがな、透栖である。彼は怪談の類が実は心底苦手であるため、こうして『そういう』話を始めると妨害工作として合いの手を入れ始めるのだ。

「興味無いのか、透栖。別に怪談じゃないぜ?塔の中に幽閉されてるお嬢さんの話だっつの」
「ふん。お前の作り話じゃないのか、なぁ、明月」
「そこで僕に話を振りますか。では、真面目な話をしましょう。仙女だとか神の子だとかはともかくとして、東雲朋来に娘がおり、それを塔に幽閉しているというのは事実です」
「ふむ。して、他には?」

 主に促され、一瞬躊躇った明月はしかし、少々馬鹿にしたように頭を振った。

「その塔の中から出ないはずの姫君が、外で起きた事を察知したり、どこぞでの災害を予知したり、そんな根も葉もない噂ですよ。正体の分からないものには背びれ尾びれの付いた噂が勝手に先走るものです。あまり、期待しない方がよろしいかと」
「鬱陶しい噂だ。士気が下がるのも困りものだから、内密にしておけよ。・・・そこでにやにや嗤っているお前もだ、黎命」

 話が丁度終わったところで、黎命の息子である鳳霧氷がやって来た。手には凶悪な得物を持っている。明月を非難じみた目で一瞥した霧氷が膝を突き報告する。

「そろそろ進軍を開始します、いいですね、父よ」
「承知した。行くぞッ!」

 おおおおっ、という兵士達の声が上がり、進軍を開始すべく砦の門が開く。呆気ない程一瞬で、圧倒的兵力差の数上から鑑みるに絶望的な戦が幕を開ける。