第8話

01.


 滞在2日目。
 珠希はランドルに呼び出され、外へ行く為に廊下をのんびりと歩いていた。魔法のレッスンをするとの事らしい。
 ――のだが。

「ヤバ、これ迷ってるわ……」

 この複雑な構造の塔。下へ行けばいい事は分かっているのだが、如何せん下へ行く為の階段が見つからない。しかも調子に乗って鼻歌なんぞ歌いながら階段を下りた為、今が何階なのかも分からない。
 何で階段が螺旋式に設計されていないのか、はたまた何故一人で外へ行こうと思ってしまったのか。数十分前の自分に尋ねてみたい心境に駆られたが後の祭りである。

「あ」

 そこに一筋の光明――フェイロンの背中を発見した。同じ進行方向だったらしく、珠希には背を向けている。急いで声を掛けようとしたが、間の悪い事に部屋の一つへと入って行ってしまった。
 自分達が借りている部屋は皆同じ並びにあるので、あの部屋はフェイロンの自室ではない。
 用事があるのだろうが、これ以上塔を彷徨うのもランドルを待たせ過ぎてしまうので階段の場所だけでも教えて貰おう。このままでは要らない部屋に勝手に入って大目玉を食らいかねない。

 足取り軽やかにフェイロンの後を追う。幸い、彼が入って行った部屋のドアは僅かに隙間が空いていた。特にそういうつもりは無かったが、話し掛けて良いタイミングを計る為にその隙間から中の様子を伺う。
 ――あ、これ今、ゼッタイに話し掛けられないやつだ!!
 隙間から見えたのはフェイロンの後ろ姿、そしてリンレイの横顔だった。彼女は煙管の煙をくゆらせながら、外を眺めている。

 それにしても、絢爛豪華という言葉が似合う有角族重鎮2人には似付かわしくない、ただの客間だ。両者が共に赤っぽい服を着ているせいか浮いて見える。

「リンレイ様、虚の件で伺いたい事があり、参りました」
「うむ、そう畏まらずとも良い。それで、要件とは?」
「封具の作成書についてで御座います。本当に見つからないので?」
「見つからぬ。妾はあの場に有角族以外の客人がおったから口を噤んだのではなく、事実を事実として語った。妾も作成書の行方を今探しておるが、あの書物一冊を見つけるのは難しかろうよ」

 そうですか、とゲンナリとした溜息を吐き出すフェイロン。何のことだか分からないが、仕事の話らしい。邪魔しちゃ悪い気しかしない。

「……リンレイ様、珠希はアグリアの大気を吸い込んでも平気だというのは真実なのですよね?」
「それは事実だ。というか、それはそなたと2人の時に話して聞かせたであろ」
「俄には信じ難い話でしたので」
「そなたは妾の言う事をすぐに疑って掛かるなあ……。年長者の言う事は素直に聞くべきであるぞ」
「信用とは日々の積み重ねですよ。貴方様もご存知の通り」

 不自然に会話が途切れる。どうしよう、引き返すタイミングを完全に見失った。真剣な話をしているらしいので割って入る事も出来ない。が、ここで動けば見咎められる、そんな根拠も無い確信があった。
 ところで、と不意にリンレイが正面を向く。目が合った。

「珠希はそなたに用事があるのではないか?」
「……?」

 ――見つかった!
 そう思ってドアから身体を離すより早く、フェイロンが振り返る。非常に怪訝そうな顔だったが、珠希を見つけた途端に呆れ顔へと変わった。盛大な溜息を吐いた彼がドアる。

「何をしておる。何ぞ、用事か? それともお遣いか? よく俺がここに居ると分かったな――」
「いや、用事っていうか……その、迷った。下へ行く為にはどこへ行けばいいの?」
「間抜け。では、リンレイ様。俺は珠希のアホを外まで送り届けて参ります」

 クツクツと嗤ったリンレイがひらり、手を振った。優美なその動きに目が留まったのも束の間、フェイロンに強く背を押されて強制的に前を向かされる。背後で恭しくお辞儀した彼は後ろ手にドアを閉めた。

「何故一人で出歩いていた。出口が分からぬのであれば、案内人に声を掛けるなりすれば良かったものを」
「階段下りて行くだけだし、ぶっちゃけ自分一人でどうにかなると思ってたんだよ!」
「はァ? まあよい、それより外に何の用だ。散歩なぞという下らぬ理由で単独行動には出てくれるなよ、面倒事が増える」
「違うよ! ランドルさんと、何故か魔法のレッスンだよ!」
「魔法? 才能の欠片も無さそうだが……正気か?」
「それはランドルさんに聞いてよ。あ、でも、リンレイ様からの指示だって言ってたよ」

 フェイロンの足が止まった。再びあの怪訝そうな、疑うような目をしている。

「リンレイ様が? ……何故?」
「え、さあ?」
「……まあよい。そうであるのならば、慢心せず励めよ」

 はあい、と適当この上無い返事をしたところで、ようやく下りの階段を発見。ホッと胸をなで下ろした。この塔、どうしてこんな謎構造をしているのだろうか。