第6話

09.


 それを茫然と見送っていると、不意に珠希は自分が何か冷たくて小さな物を握りしめている事に気付いた。全く記憶に無いそれを確かめるべく、手を開いてみる。

「ふわっ!?」
「何ぞ、奇声を上げるな」

 フェイロンはそう言ったが、手の中のそれを確認した途端、眉間に皺を寄せた。酷く珍妙で奇怪なものを見たようにだ。
 ゆっくりと隙間から差し込む日光にそれを翳す。
 先程は濃紺色の液体で満たされていたその小瓶を。
 中身が空っぽになってしまった小瓶は光を受けてキラキラと控え目な光を撒き散らしている。首や手に提げる為だろうか、小さな紐が付いているのが伺えた。

「うわ、どうすんだよそれ」

 カルマを見送ったコルネリアが近付いて来てそう呟いた。どうするも何も、こんな不気味な物を持ち運ぶつもりはない。
 そっともとの場所に小瓶を戻す。

「それをいつの間に持ち出したの、珠希」

 イーヴァがやや不安そうにそう訊ねた。記憶に無いので首を横に振る。

「いや、分かんないけど気付いたら手に持ってた」
「不気味だね」
「本当にね。どうしよう、捨てたと思ったら憑いて来てたら」
「マイナスの発想だけは豊かだよね」

 日本人形の怖い話を思い出して一人で身を震わせていたらイーヴァに呆れた表情でそう言われた。
 と、不意に複数の足音が鼓膜を叩く。

「おい、無事だったか!?」

 珍しい事に、心底焦ったと言わんばかりの口調で内部へ飛び込んで来たのはダリルだった。やや遅れて疲れた様子のロイも現れる。

「何だか得体の知れない生き物が出て行ったのを見た……けど、無事みたいだね」
「まあ、俺等よりフェイロンやコルネリアの方がいざとなったら頼りにはなりそうだよな!」
「いやロイ、俺、一応護衛って名目だから……。依頼人より長生きしちゃ駄目だろ。仕事柄的に」
「そうだな!」

 例の得体の知れない魔物、とやらがカルマだったとは露にも思っていないらしく男2人はいつも通り、ある種通常運転だった。場の空気との乖離を生み出しているが、それにも気付いていない模様。
 イーヴァが起きた事を手短に説明した。ダリルの半眼が見開かれる。シュールな光景に内心で笑ってしまった。

「うわっ、人がいない時に限ってそういう事が起こるなあ」
「ダリルはいてもあまり意味が無かったかもしれない。珠希曰く、『賞味期限が過ぎた挽肉』になってしまうらしいから」
「例えがエグい! というか、俺と珠希ちゃんを一緒にしないでくれよ。まさか、素手で触れるなんて素人みたいな事はしないって」

「私の悪口はそこまでにして下さいよ!」

 それはいいのですが、とランドルが口を挟む。今明らかにそういうタイミングではなかっただろうに、空気を物ともせず召喚師は言葉を紡いだ。

「これからの事ですが、一度ギレットに寄って貰って良いですか?」
「ギレット? 何故」

 リオナ神殿へ行く、と言った時のように難しい顔をしたイーヴァが強く訊ねる。その調子に肩を竦めたランドルは首を横に振った。

「カルマとの遭遇報告を、賢者様にしなければなりません。伝令を飛ばすという手もありますが、事が事ですし、どの道呼ばれる事でしょう」
「え、お前一人で行けばよく無い?」
「……冷たい事を仰いますね、コルネリアさん」

 何であたし達まで、と誰に憚ること無くあっさり言ってのけた魔族に視線が集まる。主に非難の視線が。
 そして、そんなランドルの目論見は当然の如く珠希とロイにも向けられた。

「あの方ならば、珠希さんの現状について的確なお言葉を下さるかもしれませんよ。それに、ロイさんが捜している魔族とやらも占いの力で居場所を明らかにして下さるかもしれません。行って損は無いと思いますが」
「それは妙案であるがな、何故そう賢者とやらに拘る。主と賢者の間にある接点が分からぬ以上、おいそれと我々が着いて行く訳にはいくまいよ」
「フェイロンさん、貴方のお知り合いではないですか? 彼女、有角族のようですが」
「何?」
「僕と賢者様は王都を介して繋がっていますので、他人ではありません。融通の効く方ですし、多少客が増えたところで文句は言わないでしょう」

 胡乱げな視線が交錯する。客観的に見て、イーヴァとコルネリアは言う通りにしたくはないようだ。一方で、ダリルはその場の流れに身を任せるつもりだし、ロイとフェイロンは案外ランドルの意見に乗り気のように感じる。
 そうして、いつもどうするべきかのお鉢は自分に回って来るのだ。

「珠希、あなたはどうしたい?」
「えー、いや、どうもこうも……。その賢者様って言うのが私の事を知っているのかもしれないのなら、行きたいかなあ」
「だよな! 俺も、例の誘拐犯達について知りたいし、行こうぜ!」

 分かった、と頷いたイーヴァは次の目的地を明確にギレットとした。その前に、とフェイロンが念を押すように訊ねる。

「ランドル、主は賢者を有角族とそう言ったが――言うまでも無く、三部族ある。名を教えよ。場合によっては、俺は他所で待機しよう」
「いえ、お知り合いですって。リンレイ様ですよ、知っている方でしょう?」

 その名前に一体何の意味があったのか。フェイロンは若干憂鬱そうな溜息を吐き出した。