第6話

07.


 少し前に、スライムとエンカウントしたがカルマの形状といい、不安定な動きといい、正直それにそっくりだ。よって、恐怖という感情がなかなか湧き上がって来ない。これが本当に災厄をもたらすと噂のカルマなのだろうか。
 小瓶から溢れて来た時はどうしたものかと焦ったが、幸いここにはコルネリアもフェイロンもいる。自分一人ではない事が余計に感覚を鈍らせているようだ。

「イーヴァ、あれどうするの?」
「どうしようも無いね」

 彼女にしては珍しく、酷く苦々しい顔をして首を横に振る。

「え、なんで?」
「カルマはとても耐久力に優れた生物。私達如きが疎らに使う魔法ではダメージをほとんど与えられないし、あれに素手で触れるのは無謀だと思う」
「ま、マジか……。え? 魔法耐久があって、物理的には触れないから無理って攻略法無くない?」
「時間が経って自然とどこかへ消えてくれるのを待つしかないかな」
「逃げようよ!」

 敵に背を向ける事に何ら抵抗がないのでそう言ってみるも、イーヴァは相変わらずの険しい顔で庇うように前に立っているフェイロンに視線を移すのみだ。彼に何かあるのかと思われたが、彼女の視線は臨戦態勢に入っている面々に向けられている。

「フェイロン達が時間を稼いでくれている間に、私達は神殿の外に出よう。ロイとダリルがいるはず」
「勝てないのに戦う感じ?」
「逃げ切る方が難しいから、適当に相手をして時間経過を待つしかない」

 ――あれ、そんなに強いのか?
 言っちゃ何だが、とても災厄を起こしうる存在には思えない。もっと大きいかと思えば、サイズそのものは自分と同じくらいだ。つまり女子高生程度のサイズ感しか無い。こんなものに苦戦するビジョンがあまり浮かばないのだが。

 しかし、そんな認識はすぐに塗り替えられる事となる。
 一番に動いたのはランドルだった。フェイロンとコルネリアは長生きなので生でカルマの猛威を見た事があるのだろう。なかなか動かなかったが、人間であるランドルは違った。
 素早く例のカードを取り出し、別世界へ繋がるゲートを喚び出す。その中から勢いよく黒い犬のようなものが飛び出て来た。とはいえ、その身体は凄まじい熱でも帯びているのかはっきりと勢いよく湯気が上がっている。また、体躯に赤いヒビが見えた。赤く輝くそれはまるで溶岩のようである。

 喚び出されたそれは術者の意思に応え、床を蹴る。木製だった床に黒い焦げ痕がくっきりと刻まれた。滑るように疾走し、カルマに噛み付く。
 悲鳴が上がった。
 カルマのものではない。攻撃した召喚獣のだ。すぐにカルマから離れ、床をのたうち回ったそれはよくよく見れば攻撃した口の部分が爛れ、腐り落ちている。

「ヒッ……!?」

 凄惨な光景に息を呑んだ。ぎょっとした様子のランドルが持っていたカードを破り捨てる。ゲートと共に苦しんでいた召喚獣も最初からいなかったかのように消え失せた。おい、とコルネリアがジト目で術者を見やる。

「可哀相な事するなよ。カルマに物理攻撃とか即死特攻かって」
「いえ、まさか本当にカルマだとは……。よく似た別の魔物か何かかと」
「おう、年長者の言う事はよく聞けよ。カルマには独特の空気があるんだよ、見間違えるはずがない」

 2人が警戒を解かず話をしている間に、フェイロンが手の平大の術式を展開する。それはカルマの足下に移動し、発動。床ごとカルマを氷付けにした。
 が、ものの数秒で嫌な音と匂いと共に氷が溶け出し、すぐにそれが自由を取り戻す。その様子を見ていたフェイロンが肩を竦めた。

「うむ、お手上げよな」
「逃げるか……。つっても、砂漠なんだよね。ここ。遮る物が何も無いのはちょっと、逃亡には向かないか」
「間の悪い時に」
「珠希が言ってた例の小瓶。栓を閉めれば良いんじゃない?」
「まあ、そこから出て来たのであれば、その線もあり得るが……。カルマの横を通り抜ける必要があるな」

 会話が一瞬途切れたのを見計らって、珠希は口を挟んだ。

「わ、私、瓶の栓くらいなら閉められるよ」
「うん? それは横を通り抜け――」

 フェイロンの言葉が途切れた。目を見開いた彼がカルマに背を向けてこちらへ走って来る。一瞬の出来事に何が起きたのかすぐには判断出来なかった。
 フェイロンに襟首を掴まれたかと思えばもの凄い力で引っ張られ、視界が回転。気付けば神殿の入り口に突っ立っていたのだ。先程まで自分が立っていた場所に物質量を無視した長さで伸びた群青色のそれが突き刺さっている。アメーバみたいにカルマから伸びて来た触手のようなものだ。

「主が狙われておるなあ……。言葉を理解しているのか、それとも最初に小瓶を触った者に狙いを定めているのか……」