23.
意味深な事を言ったコルネリアはしかし、それ以上フェイロンについて言及しはしなかった。完全に話題を切り替えるかのように、本棚に視線を戻す。
居たたまれない空気にどうしたものかと悩んでいると、不意に背後から声を掛けられた。
「こんにちは、貴方方には少し話を聞きたいのですが、今よろしいですか?」
丁寧な物腰でありながら、どこか薄暗い何かを含んだような声音。驚いて珠希は背後を振り返った。一緒にいたコルネリアもまた、僅かに眉根を寄せながらノロノロと首を動かしてそちらを見る。
立っていたのは男性だった。ダリルより年下だけど、ロイよりは年上と言ったくらいの年齢だろうか。焦げ茶の長髪を一つに束ね、白衣を着用。紫の瞳は綺麗だが、目の下に濃い隈ができており、彼の生活が心配になってくるようだ。
そんな彼は眼鏡をクイ、と片手で押し上げた。
「えーっと、私達に何か用ですか?」
「先日、召喚事故に遭われたでしょう?」
図星だったが為に珠希は口を閉ざした。男は薄ら笑みを浮かべ、一歩距離を詰める。犯罪者一歩手前くらいのスマイルに背筋が凍るような思いだ。
痺れを切らしたようにコルネリアが声を荒げる。
「それで、あたし達に何の用だよ。冷やかしならこの場で八つ裂きにされても良いんだな?」
「いえ、僕は暴力沙汰はちょっと……。申し遅れました、王属召喚師のランドルです。部下の不祥事について、被害者の貴方方に話を伺おうと思ってここまで足を運んだのですが」
「どうしてあたし達がここにいるって知ってたんだよ」
「一度城まで行ったからですよ」
そう言ってランドルは窓の外に見える城を指さした。一度、そっちまで足を運んだが自分達は図書室へ行ったと教えられ、ここまで来たのだろう。理屈としては不審な点が見当たらない。それに、端的に言えば彼は国から信頼され、人の居場所を教えて貰った事になる。まるで犯罪者予備軍のような出で立ちだが、一応は信用に値する人物なのかもしれない。
それに――ランドルという名前は何となく聞き覚えがある。神殿へ行った時、数名が口にしていたような。
「……まあいい。で?何を聞きたいんだよ」
「信じて頂けましたか。ここ数日間、僕は少し遠出をしていましてね。逆召喚を所望されるのであれば、準備を致します。どうしますか?」
「逆召喚?」
「強制送還ではなく、自然的に界へお帰り頂く為の処置です。貴方の負担も、引いては契約者の負担も減らす事が出来ます」
沈黙が流れた。口を挟んで良い話題ではない珠希としては、ハラハラと両者のやり取りを眺めるだけである。
ややあって、酷く顔をしかめたコルネリアが首を横に振る。
「良いって、あたしはまだアーティアにいたいのだから、余計な事はするな」
「何故?人間に付き従わずとも、魔族である貴方ならば自由にアーティアを闊歩出来るでしょう。召喚術の知識が無い一般人に契約を背負わせるのは、こちらとしてはリスクが高すぎます。理由も無く勝手な事をされては困りますね……」
「煩いな、あたしは人間が好きだからこうしてるんだよ!」
「へぇ……。まあ、良いでしょう。トラブルが起きた時は貴方方がどうなるか、保証は出来かねますが」
「言ってろ」
案外面倒臭がりなのか、ランドルは溜息を吐いてようやく珠希の方へ視線を移した。彼の疲れた双眸が、持っていた本に止まる。
「カルマに興味があるのですか?」
「いや別に……。あの、それより訊きたい事があるんです」
「まあ、聞きましょうか。何ですか?」
「地球についてご存知無いですか?私、そこへ帰りたいんです。どうしても!」
ランドルの動きが止まった。何か考えるように、虚ろな瞳が宙を彷徨う。ややあって、偉大な召喚師らしい彼は知りませんね、と残念極まりない言葉を吐き出した。
「聞いた事もありませんね。私では貴方の力にはなれないでしょう」
おい、と不機嫌そうな声でコルネリアが口を挟む。
「お前、『超能力』っていう力について知ってるか?」
「何ですか?それは」
「いや、あたしじゃなくて珠希が……。バンバン使っても良い力なのか知りたかったが、お前何も知らないみたいだな」
「そう言われると気になってきますね。今は使えないのですか?」
視線が集まる。珠希は無言で、手に持っていた本からパッと手を放した。重力に従い、落下するはずだった本はその場所から少しも動かない。
ほう、と虚ろだったランドルの瞳に僅かな光が宿った。興味を示しているのは一目瞭然だ。