第3話

08.


「――で、主は主で何か持っているな」

 イーヴァを見送っていると少しだけ顔をしかめたフェイロンがそう言った。え、どうしたの、と蚊帳の外のダリルが目を白黒させる。
 珠希はと言うと恐らくは魔法使用未遂事件の事を言っているとすぐに分かったので、大人しく肩を竦めた。自分が魔法なぞ使えるとは思えないが、イーヴァを見ていて不安になるのも事実。あり得ないが、もし万が一魔法を無意識下で使用していたのならば魔力とやらが底を突いてブッ倒れる可能性が有る。
 ゆっくりと珠希の周囲を歩き回るフェイロンは目を眇めたり、逆に見開いたりしながら考え込んでいる。
 と、その手が額に触れる。親が子の熱を測る時にそうするように。

「んー……。具合はどうだ?気怠くはないか?」
「何か小児科にいる気分だけど、別に普通かなあ。強いて言うなら、運動したから疲れた」
「運動?いつそんなものをしたと言うのだ。まさか、あのコソコソと移動しようとして失敗したアレの事を言っているのかね」
「……そうだけど?」

 まあまあ、とダリルが宥める。

「体力が無い珠希ちゃんにしてはかなり頑張ったよ。この後、ルーナまで戻れるのかが心配だけど」
「ダリルさんって時々全然フォローにならない事言いますよね。ジェネレーションギャップ?」
「と、歳の話は止めてよ!!」

 解決しない問題に僅かな苛立ちを滲ませたフェイロンは刺々しい息を肺から絞り出した。300歳でありながら自ら若輩を名乗る彼だが、確かにやや短気なところがある気もする。しかし人間の観点でものを言っていいのか否か。

「魔法の類、では……無さそうだなあ。とはいえ、俺の専門は武術。知らぬ魔法なのかもしれぬし、断言は出来んが」
「フェイロン、珠希ちゃんの生死が懸かってるよこの問題。もし、魔法だったらどうするんだい?」
「俺に言われてもな。ただ、魔力容量は以前神殿で測った通りだ。つまり、ドラゴンの魔法を片手間に防げる結界を展開し続けていれば、3日と保たず死に至るであろうな。体調が悪くなるようであれば、こう……当て身でも食らわせて、無理矢理にでも結界への魔力供給を絶つしかあるまいよ」
「乱暴だなあ。でも安心して、珠希ちゃん。俺、そういうの上手いから」

 ――何にも安心出来ない!
 そう心中で叫んだものの、文句を言えた状態ではないので引き攣った笑みを浮かべつつも「ありがとうございます」、とだけ述べておいた。
 そうこうしているうちに、イーヴァとロイが帰ってくる。血塗れの麻袋を持っている事については見ないふりをした。

「ロイの武器作製の目処が立った――そっちはどう?珠希は大丈夫そう?」
「それが何とも言えぬのだよ。家に帰すのも目的の一つだろうが、もう一度神殿なりに行き、魔力が正常に循環しているのか調べる事を強く勧めるぞ」
「分かった。珠希、具合が悪くなったらすぐに言ってね」

 具合が悪いか訊かれ続けると、むしろ具合が悪くなる原理。これに誰か名前を付けてくれ。
 自らの体調を顧み過ぎて、今が正常な状態なのか判断が付かない。どのくらい具合が悪くなったら報せれば良いのか、ギリギリまで我慢すべきなのか。

「私の事ばかり気にしてるみたいだけど、ダリルさんは大丈夫なんです?」
「俺?俺は平気だよ。ただ、フェイロンには出血を止めてもらっただけだから……あ!イーヴァちゃん、救急箱持ってるって言ってなかったっけ?」
「持ってる、出すからちょっと待って」

 と、そこでイーヴァの動きがぴたりと止まった。釜を出した時に使った文字の書かれた用紙。それが似ている別の用紙なのか、あの用紙なのかは分からないが、彼女はそれをフェイロンに手渡した。

「ごめん、魔力を使いたくない。よろしく」
「良いのか、倉庫の鍵を俺に開けさせて。中の物が無くなっておるかもしれんぞ?」
「盗られるようなものは持っていないし、お貴族様が庶民の道具なんて盗むとは思えないから大丈夫」
「うむうむ、よく分かっておるではないか!」

 何故か上機嫌に鼻を鳴らしたフェイロンが慣れた手つきで、イーヴァが大釜を取り出した時のように救急箱を取り出す。やはり何度見ても手品だという感想しか湧かない光景だ。

「ほれ、誰ぞ、手当てが出来る者はおらんのか?」
「ダリル、俺が縫おうか!?裁縫は得意じゃないけどさ!」

 救急箱から針とミシン糸を取り出したロイが楽しそうにそう言うも、ダリルは顔を青ざめさせ首を横に振った。

「いい!いいから触らないで!大体、素人が人の肌を縫うとか無茶が過ぎるだろ!」

 大きめの絆創膏を取り出したダリルは怪我した方の袖を捲り上げ、腕を見ている。片手で絆創膏を貼るのは難しそうだが、その凄惨な傷跡に圧倒されてしまい、終ぞ手伝いを申し出る事は出来なかった。
 代わり、ロイがその作業を手伝っているとイーヴァが事も無げにサラッと告げる。

「次の目的地は王都。珠希の世界情報と、後その体質について神殿で訊かないと」

 え、と声を上げてダリルが振り返った為、「動くなよ!」とロイが抗議の声を上げた。そんな言葉も耳には届かなかったのか、ダリルが悲痛な声で訴える。

「王都……本当に行くんだなあ……行きたくないなあ……」
「ごめんね、ダリル」
「心が籠もってないんだよなあ」

 大変申し訳ない気分で一杯だが、力一杯行きたくないことを主張してくるわけでもないので、珠希はダリルに対して深々と頭を下げた。