第2話

12.


 ふわり、と冷たい風が頬を撫でた。それは冬の凍てついた空気に酷似しており、今日の朗らかな日差しの中では相応しくない冷たさだ。
 釣られるようにして、流れて来た空気の出所をを視界に入れる。
 ――雪原。
 小さな氷の庭が出来ており、目を疑った。それはフリオを中心に、今もなお雪原の領域をじわじわと広げている。

「な、何あれ……」
「魔法だよ、珠希。ロイの話を聞く限り、フリオは混血。あれだけの事が出来る以上、かなりの魔力容量を持っていると思う。あの様子だと――」

 続く言葉は、始まったフェイロンvsルーニーの二回戦が始まった事により掻き消された。彼等の勝負はまさに能力バトル系である。火の玉だの風の刃だのが飛び交い、随所随所で肉弾戦を嗜む。女子高生程度の動体視力では、数秒後に何が起こったのかを大まかに把握するので手一杯だ。
 その点を除けば、ロイ達は睨み合うばかりで派手な動きが無い。というか、片方が完全に人間だからか、何と言うか華が無い。

「ロイくん、大丈夫かな。何かあのフリオって人、強者感っていうか中ボス感あるし……」
「あ、そこはラスボスとかじゃないんだ」
「思想が定まってない感じが中ボスっぽくないですか?」
「何それ」

 成る程、とダリルは納得してくれたがイーヴァは疑問顔だった。
 何事か叫んだロイが、持っていた槍を振るった。足下にまで迫っていた氷が音と水蒸気を上げて消えていく。おお、とダリルがそれに興味を示したように嘆息した。

「あの武器、魔法武器なんだっけ、イーヴァちゃん」
「そう。今思えば、何で火炎系の魔法が良いって言っていたのか分かる。フリオ戦を想定してのオーダーだったんだね」
「何だっけ、武器に術式を仕込む錬金術?何の術式?」
「使用者の意志に応じて、槍の金属部を熱する術式。ロイには魔法の知識が全くなかったから、発動が簡単なものでなくちゃ使えなかったの」
「分かる。俺もさあ、魔法とか何とか、戦うのに頭使うのは好きじゃないんだよな。もっとこう、脊髄反射で臨むべきだと思わないかい?」
「暴力反対」
「今!?このタイミングでそんな事言っちゃうの!?」

 何の話をしているのか分からない。右から左へ会話が抜けて行く。仕方無いので、分かる話題になるまでとフェイロンの様子を伺うも、先程から止まること無くルーニーと攻防を繰り広げるばかりだ。
 ――が、こちらの勝負はフェイロンの余裕そうな表情からして、彼が優勢だろう。尤も、フェイロンは意外にもプライドが高い一面があるので無理をしている可能性も無くも無いが。

「俺の武器もイーヴァちゃん特製にしようかなあ」
「ダリル、魔法は使わないって」
「頭真っ白でも使える魔法武器、作っておくれよ、イーヴァちゃん」
「じゃあ、取り敢えず働いてよダリル」

 さすがにずっと駄弁っているダリルに辟易したのか、イーヴァが地雷の上でタップダンスを踊り始めた。思わぬ言葉が思わぬ人物から出て来たせいか、一瞬だけ無表情になるダリル。次の瞬間には、最早恒例になりつつある弱気の数々をブツブツと吐露し始めた。
 一方で、ロイはと言うと手から氷――魔法を使いつつ、要所で持っている剣を振るうというフリオの戦闘スタイルに苦戦しているようだった。イーヴァ特製、熱を帯びた槍も、実際に熱を帯びているのは刃のみ。それ以外はただの槍らしく、持ち手の部分は完全に凍り付き、使いにくそうだ。

「ロイ、結局は魔法も使えない人間が私達に力で勝る事は不可能なのさ。諦めたらどうだい?暇じゃないんだよ、こっちもね」
「暇じゃないから人類を滅亡させるって考えに至ったのか?それ止めたら、嫌でも暇になるぜ、多分な!」

 ――事態が動く。
 それまで口論に興じていたフリオが、それは無駄だと悟ったようなタイミングで。

「魔法武器なんて珍しい物をどこで仕入れたのかは知らないが、お前がそれを使っていても宝の持ち腐れ。魔法武器というのは、魔法を扱える人物にのみ真価を発揮出来るものなのだからね」

 ロイが突き出した槍の穂先を真横に躱し、そのままフリオが無防備な柄の部分を片手で掴む。その手が触れた部分から、パキパキと氷が奔った。
 ハッと目を見開いたロイが槍を引いたが、ビクともしない。奔っていた氷が、得物の使用者に到達する――より前に、顔を引き攣らせたロイが柄から手を離し、飛び退った。

「ぐっ……力は本当に強いな……!」
「当然だよ。私は氷狼の血も継いでいるのだから、人間風情に遅れを取る訳がないだろ。そら、武器は無くなったぞ」

 みしり、という嫌な音を立てて凍り付いた槍の柄が真っ二つに折れた。目を見張る程の握力だ。僅かに目を見開いたロイが、大変珍しい事に無言で舌打ち。それだけでかなり心が荒んでいる事が伺える。
 真っ二つになった槍を余所へ放ったフリオが薄い文字通り氷のような笑みを浮かべ、持っていた得物を構えた。それはそう、丸腰相手にも容赦はしない、という無言のメッセージであり、威嚇であり、脅しだ。

「ダリル、ロイを助けに――」
「分かってる!」

 うじうじといじけたモードに入っていたダリルのスイッチが切り替わる。スタートダッシュよろしく、ロイの救出に身を翻した。
 が、当然援護が入る事に気付かないフリオではない。
 徒手空拳、恐らくは槍の穂先を拾う為に踏み出したロイを遮るように――これ以上、手を煩わせたくないかのように、フリオが剣を振るう。
 振るわれた剣を間一髪、転がるようにして回避したロイはその手に折れた槍の切っ先を握りしめていた。フリオが僅かに目を見開く。再び構え直し、剣を振るっていたのでは刺し殺されると判断したフリオが体勢もそこそこに、人を払い除けるような乱暴な仕草で腕を振り回した。
 ガツン、という硬い音がした。パッ、と赤い液体が飛散するのを見て、珠希は上げかけた悲鳴を上げる事も出来ず茫然と口を開く。
 ボールのように跳ね飛ばされたロイが盛大に転がり、木に衝突して止まった。動きが無い。

「ろ、ロイくん――」
「珠希、私はロイの様子を見てくるから、そこから動かないで」

 一連の出来事が全て終わると同時、ダリルがフリオへと突っ込んで行ったので、ロイへの追撃は無かった。

「待って、イーヴァ!私も一緒に行くよ、さすがに私達の力じゃ、人を一人運ぶのは難しいし!」

 ――そもそも、ちゃんと無事なのか。
 浮かんだ疑問を無理矢理飲み下した。人ってあのくらい盛大に転がされたら、確実にどこか怪我をしているに違い無い。病院は近くにあるのか、そもそも絆創膏とか何とかを誰か持っているのか。
 ここが日本だったならグーグル先生に訊くのだが、勿論ここではそんなものは夢物語に過ぎない。