第2話

07.


 ***

 魔方陣・魔法書のコーナーにいたイーヴァは、この静かな空間に似付かわしくない、パタパタという足音でふと手を止めた。特に深くは考えず、足音の方に目を向ける。

「あ、イーヴァ。やっと見つけた」
「どうしたの、珠希」

 つい最近、旅に同行するようになった世界単位の迷子、珠希。細かい事は深く考えない性分らしく、家に帰れないという不安こそあるものの、必要以上に落ち込んだりはしていないようだ。
 イーヴァの問いに対し、珠希は肩を竦めてこう答えた。

「フェイロンに場所を聞いて来た。暇になっちゃったから、探してる本があるなら手伝うよ」
「ごめん、もう終わった……」

 気まずい沈黙。こういう時、何と声を掛けていいのか分からず、暫し逡巡するも先に新しい話題を見つけてきたのは珠希の方だった。

「その持ってる本は何の本?」
「これ?これは、魔法関係の本だよ」
「へぇ。錬金術について調べてるのかと思った」
「それはすぐに終わったの。マイナーな術だから、研究が進んでいないみたいで似たような論文ばかり。これはロイの武器加工の参考に出来ると思ったからキープしてた」
「魔法なのに、武器加工?」
「そう。ド素人でも使える魔方陣を武器に組み込む事で、戦術の幅を広げて欲しいっていうオーダーを受けているから」

 ロイは事、強さに関しては彼らしくない必死さを持っている。それを咎めるつもりもなければ、逆に心から応援するつもりも無い。こちらは錬金術師として仲間のオーダーに応えるだけである。
 しかし、案の定魔法のない世界からやって来たらしい珠希にはあまり馴染みのある話ではなかったらしい。ふうん、と薄い返事を頂いてしまった。

「まあでも、文献が無いっていうのには同意かなあ。私も、現代社会におけるファンタジーノベルの重要性、って論文書いた事あるけど、7割私の感想になったからね。文献が無くて」
「それはただの感想文なんじゃ……」
「そういえばさ、イーヴァは錬金術師なんだよね?金の延べ棒作ってよ、金の延べ棒!」
「金と同価値のアイテムを持っていないから無理。鉄の延べ棒なら作れると思うけれど」
「じゃあそれでいいや!錬金術ってどんな感じ?ボーンとしてバババーンって感じ?」
「何を言っているのか分からないよ」

 最近は錬金術に触る機会もあまりなかったし、腕が鈍らないように、たまには術を使ってみようかな。
 珠希のお願いにイーヴァは小さく頷いた。

「ここでは出来ないから、外に出よう。珠希」
「おー!面白そう!」
「そんなに面白いものではないけれど」

 ***

 外へ出ても人らしい人には会わなかった。この大書廊全体が人気の少ない、神聖な場所と化しているのは最早言うまでもないだろう。
 ――案外地味。
 錬金術を見せろと言ってきた人物が次に言う言葉ベスト3位内に入る言葉である。が、錬金術を見せろ、と言うという事は即ち多少なりとも錬金術に興味があるのであり、その期待が過多であった事を如実に表すので一概に不快だとは言えないのが実情だ。
 端的に言えば、珠希は間違い無く「案外地味」、を平気で言うタイプだと見た。歯に物を着せぬ、というか正直な娘だからだ。歳が確実に200歳以上離れているフェイロンに対してもあの態度。プライドの高い有角族なら間違い無く腹を立てていることだろう。

「ねぇ、錬金術とか何とかでイメージする大きな釜とかは?使わないの?」
「使う。けど、持ち歩けないから、いつもは魔法で倉庫に入れてるの」
「おおっ!ファンタジー!」

 ――外国から来た友人に、地域の特色を説明している時の気分。
 珠希のオーバーリアクションに一瞬だけ手を止めたイーヴァはしかし、何事も無かったかのようにローブの大きなポケットから正方形の紙片を取り出した。
 その紙片の中心を点として、円が描かれており、その中にはゴチャゴチャとした幾何学模様が描かれている。これこそが魔方陣なのだが、一体これを作成した人達は何を思ってこの模様に力があると思ったのだろう。
 印刷物であるそれを十分な広さのある地面に置く。ついでに、水平であるかどうかも一応確認した。液体を扱うので凸凹した場所ではやりにくい。
 諸々を確認した上で、イーヴァは置いた魔方陣を指2本で押さえ付けた。ややあって、四辺が金色の輝きを帯びる。
 無事発動した事を確認し、立ち上がって大釜を喚び出す場所を作った。瞬きの刹那には先程まで魔方陣の紙片が置かれていた場所に人なんて一人くらいすっぽりと入れるくらいの巨大な釜が出現する。

「何これ便利!えー、いいなあ。これがあったら、毎日重い教科書を持ち運ばなくて住むじゃん!まあ、教科書なんて常にロッカーの中に入れちゃってるけどね!ちなみに、これは召喚術?」
「これは魔法。任意の場所に収納している物を喚び出す事が出来る。この魔法は2つでセットだから、対応するもう一つの魔方陣の上にある物しか喚び出せない事になってるよ」
「へぇー。私にも使えるかな」
「使えると思う。魔力量が少なくても、一度喚んで戻すだけなら全然平気だし。だけど、収納スペースの貸し出しは月額3000からだよ」
「所詮世の中金って事なんだね。世知辛い……」

 項垂れる珠希を余所に、釜の中を覗く。コールタール状の液体が3分の1程入ってなみなみと揺れていた。
 これでは素材液が全く足りないので、魔方陣とは逆のポケットに入っているトランプのカードのようなものを取り出す。

「次は何するの?」
「素材液が足りないから、今度は召喚術で液を足す」
「イーヴァ、使えないって言ってなかった?」
「戦闘に役立つ住人を喚び出す力は無いけれど、こういう誰でも喚び出せるのは私でも喚び出せる」
「それはもしかして、私も?」
「出来るけど、珠希は召喚術習ってないから駄目だよ」