第1話

02.


「カニ……猫ちゃん……」

 自分の寝言のような声で意識が浮上した。いびきを掻いた時、そのいびきに驚いて起きてしまう現象の亜種だろう。
 ――……わー、空が綺麗だなぁ。
 一番に覚えたのはそんな感想だった。空が綺麗。木々に囲まれた隙間から顔を覗かせる蒼。天気が良い日の遠足みたいなノリになれそうだ。

「起きた。大丈夫?」

 ぬっ、と空の間に人の頭が割り込んで来た。ギョッとして悲鳴を上げかけるも、それが自分と同じくらいの歳の少女である事を認識し、失礼千万な悲鳴を呑み込む。
 というか、彼女は日本人か?
 焦げ茶の軽くウェイブの掛かった長髪。同じ色の瞳。しかし、くっきりした顔のパーツは日本人とは思えない。何だか某魔法映画なんかでよく着られている真っ黒な物々しいローブまで着ているし、これはもしかして映画の撮影現場に紛れ込んでしまったのだろうか。
 いや、あのスタジオは基本的にローカルな番組を放送する為のものだし、映画を撮る場所なんて無いはずだ。
 ゆっくりと起き上がる。
 記憶にあるままの制服姿だし、あれだけ走行中の車と熱い抱擁を交わしたはずなのに、怪我をした様子は無い。高性能な麻酔で意識を保ったまま、痛みだけを感じない、なんてSF展開じゃない限り、怪我はしていないだろう。

「大丈夫?意識ははっきりしている?」
「あ、うん。大丈夫……あの、助けて貰ったみたいで。ありがとうございます」

 本音を言うと救急車を呼んで欲しかった。人が倒れているわけだし。普通は映画の撮影現場(仮)には連れて来ないだろう。
 少女はやや首を傾げると、背後に身体を向けた。

「受け答えがおかしい。頭を強く打っているかも」
「いやいやいや!大丈夫、ちゃんと理解して、会話してる!」

 少女が向いた方に自然と顔を向けて、そして珠希は絶句した。
 そこにはわんさかいるではないか、少女より奇抜な格好をした3人組が。何だか角の生えた、和と中を足したような格好のコスプレ男。然るべき所以外でのコスプレは警察に捕まるから気をつけろ。
 一見すると普通だが、背中に身の丈より長い、槍のようなアイテムを背負った少年。彼は先程の少女と同じくらいの歳だろうか。取り敢えずその長槍は職質の対象になりそうだが、まあ彼は歳が歳だし学園祭の準備で、とか何とか言えば上手い事躱せそうだ。
 そして最後に中年男性。コイツはどう見てもアウトだ。鋼のブーツにまず日本どころか世界的に見てもあり得ない鉄の胸当て。背にはやはり某狩りゲーくらいでしか見た事の無い巨大な剣を背負っている。見た感じ本物に見えなくも無い力作だが、そうであるが故に職質からの警察署直行は免れないだろう。
 ――頼む!映画の撮影現場であってくれ!じゃないと起き抜けに110番のお世話になってしまう!
 一縷の希望を胸に、受験の面接で顔が引き攣ってるけど、と言われた素敵スマイルを貼り着け、なるべく角が立たないように尋ねる。

「えー……何だか邪魔してすいませんでした。これ、映画の撮影中?」
「それは何?」

 ――……いや違う!禁じ手、『これは夢だ!』そう思おう!
 むしろ「何を言ってるんだろう」、とでも言いたげな目に見つめられる。仕方無いし、これが現実だとは認められないので夢を視てるって事を前提にしよう。俄然楽しくなってきた、と思ったけどやっぱり何も楽しく無い。

「あと、私達はあなたを助けていない。あなたは――いつからなのかは分からないけれど、最初からここに倒れていたよ。私達は丁度通り掛かったの」
「え!?今いるここに?」
「そう、だと思うけれど」

 事故のショックで訳の分からない夢を視ている、これで整合性を取ろう。
 そう思い込もうとしているのに、頬を撫でるリアルな温い風とか、夢の中なのに対峙している相手の顔がハッキリし過ぎているとか、そもそも明晰夢を視るタイプじゃないとか、怒濤の現実が押し寄せて来ている。

「ちなみに、ここはどこなのかな……?」
「ここはカモミール村の付近だな。行き倒れかと思ったが、変わった格好をしておる。どこの大陸か、から説明した方が良いか?」

 ――このコスプレ角男、滅茶苦茶キャラ自然だな。
 心中で舌を巻いた。どことなく優美な動きといい、違和感はばりばりあるのに浮いた感じの無い話し方。まるで日常会話をこの口調でこなしているかのような自然さだ。

「いや、それよりマジでどこだよここ!」
「迷子なの?」

 少女がそう尋ねてくるが、それは返事するのに困る。何せ、一番新しい記憶は迷子になる可能性皆無の記憶だし、そもそもカモミール村って名前からして完全に日本じゃない。『鴨実依瑠』と書いてカモミールなんて読むとか?無理があり過ぎる。
 以上を加味した上で、項垂れた珠希は半ばヤケになって頷いた。

「そうでーす、家から5つ目のバス停付近で迷子になる馬鹿な奴は私でーす」
「……?迷子なんだね。どこから来たか分かる?」
「日本、そう、日本から来たんだよ!もっと詳しく住所を説明した方が良い?」
「ごめん、日本がどこなのか分からない」

 情緒が不安定過ぎるせいか、かなり遠巻きに視られているのが分かる。例えるならばそう、動物園の檻の中で暴れ回っているゴリラを遠巻きにしちゃう感じ。うわあ、みたいな。
 まあ待て、とクツクツ嗤いながら角男が手を叩いた。

「そもそも主はどの世界から来たのだ?見た所人間のようだが、如何せん場所が特殊過ぎるように感じる。アーティア出身では無いのかもしれぬ」
「世界!?いや、世界つっても……地球?」
「うむ、全く知らんな。はっはっは、誇れや誇れ、お主は稀に見る世界単位での迷子だぞ」
「世界単位で迷子とか無駄に壮大!ちっとも帰れる気がしないや!」

 いきなり外国に飛ばされたと思った時点で帰れるという希望を見失いかけていたというのに、この角男が言う通り本当にそんな壮大な話になっているのなら、無事帰宅出来る望みが欠片もかんじられない。
 一応確認するけどさ、と人が落ち込んでいるのを余所にお遣いで買う物をチェックするようなノリで少年が尋ねて来た。悲壮感漂う相手のその軽いテンションで声を掛ける勇気だけは賞賛したい。

「えーっと、今いるここがアーティアで、グランディア、アグリア、フリードリスって世界があるわけだけど、この中に出身地は無いって事か?」
「どこ!?片仮名ワカラナイ……」
「そっかー。じゃあ俺にはお手上げだな!俺、アーティアのこのミランノ大陸から出た事無いし!」

 聞いた事の無い大陸名出て来たぞコレ。おかしいな、地理の点数はそこはかとなく悪いけれど、大陸名というサービス問題は全問正解するタイプなのに。
 まあまあ、とそれまでことの成り行きを見ていた中年男性が少年を宥める、

「何だか迷子とかいうレベルを超越しちゃってるけどさ、彼女。きっと帰りたい気持ちはあるんだろうからあまり不安になるよな事言っちゃ駄目だろ。多分今、俺達を見て文化の違いとか何とかに戸惑ってるんだって。そう、職場で入って来た後輩がみんなキラキラした別次元の人種だったのを確認した時の俺みたいにさ……いやホント、あの時なんて向こうがブランドもののハンカチだとしたら、俺なんて牛乳拭いた後の雑巾みたいな場違い感だったからね……雑巾売り場にブランドハンカチが並ぶっていう……」
「長いし、ダリルの話聞いてる方が気が滅入ってくると思うぞ!」

 どうやら迷子の少女を慰めていたらしい中年男性だったが、途中で自ら発した言葉によりトラウマを刺激されたようだ。何このセルフネガティブ野郎は。

「ねぇ、私はイーヴァ。あなたはこれからどうするの?カモミールまで行くのなら、一緒に連れて行くけれど」

 夢が覚める、という可能性も無くは無いが、恐らくは無いだろうな。
 そう肌で直感する。
 少女――イーヴァが差し出して来た手に、手を重ねた。

「あーっと、お願い、します」
「そう、良かった。見ての通り、女の子いないから、うち」

 そう言って微笑んだイーヴァに思いの外強い力で手を引かれ、反動で立ち上がる。面倒を見てやるという発言からフォローの一言までの流れを鑑みても分かるが、菩薩系女子だ。