第2話

06.


 ***

 1時間程経っただろうか。空はずっと暗いままなので何時なのかは時計を見なければ分からないが、体感的にはそのくらいが経ったように感じる。

「ら、ラルフさん!今……今、何時ですか?」
「ん?丁度、昼時だな。おおよそ正午くらいか。何か食べるか、ミソラ?」
「あっ、いや、別にお腹が減ってるわけじゃ……ないです、はい」

 霧は相変わらず濃い。今の所、それが何かの障害になっているわけではないが、モンスターが唐突に飛び出して来たりするので注意が必要だ。
 はいはい、とアレクシアさんが手を叩く。

「ほら、新手が来たわよ。アレを片付けたら昼ご飯の事を考えましょ」

 ゆらゆらと近付いて来る人影をアレクシアさんが指さすので、自然とそちらに視線が行く。あれ、と言葉を発したのはエーベルハルトさんだった。

「1体?はぐれゾンビとかいう奴でしょうか、お気の毒様です」

 ぶんっ、と実に重そうな大剣を振り上げる。その風圧だけで霧でも何でも切り裂けそうな鋭利さ。ぐっと腰を落としたエーベルハルトさんが格好の標的であるゾンビに狙いを定めた瞬間だった。ラルフさんが、ちょっと待て、と慌てたようにそう言ったのは。

「……どうか致しましたか」
「いやあれ、人間じゃないだろうか。存外しっかり歩いているように見えるが……」
「ゾンビだって二本足でしっかり歩いているでしょうに」
「意志を以て歩いているように見えると言っているんだ。一応声を掛けてみるか……他ギルドの構成員かもしれない。――おい、俺の言葉が理解出来るならそこで止まれ!」

 ラルフさんの言葉に応えるように、人影はピタリとその動きを止めた。ほらな、と言わんばかりの顔をするラルフさんに対し、エーベルハルトさんが苦虫を噛み潰したような顔をする。危うく殺人事件が勃発するところだったからだろう。

「1日に2回もゾンビに間違われたのは初めてです……もう動いても構いませんかね……?」
「あっ!モルフィさんだ!」
「ええ、ええ……主催者のモルフィです……」

 ぬっ、と霧の間を縫って姿を現したのはモルフィさんだった。相変わらずの顔色で、これなら至近距離でもゾンビと間違えそうだなとすら思う。
 そんな主催者の登場に対し、眉根を寄せて怪訝そうな顔をしたのはエーベルハルトさんだ。

「何故、主催者の貴方がここへ?安全圏内でジッとしていた方が良いのでは?」
「いえいえ……腕に覚えがある、とまでは言いませんがアンデッド系モンスターに囲まれても逃げ果せる自信はありますよ……お気になさらず」
「お散歩ですか?気楽なものですね」
「まあ……そうですねえ。散歩です。ここは私の土地ですし」

 笑顔で毒を吐くエーベルハルトさん。ハラハラと見守っていると、その流れを断ち切るようにアレクシアさんが口を挟んだ。

「終了時刻は何時でしたっけ?すいません、時間の感覚が狂って来てしまって」
「ここへ来られた方はよくそう仰いますよ……終了時刻は午後1時です。そうですねぇ……後1時間と少しです」
「了解しました」
「では……私はもう少し、散歩を続けますよ。皆さんも怪我にはお気を付けて――」

 言いながらモルフィさんが更に墓地の奥へ行こうとしたその時だった。霧の中に一際大きな影が映り込む。それは一応人型をしているが、人間のサイズではない何かだ。

「待ってッ!」
「動くなアレクシア!」

 ギョッとした顔で主催者を助けに行こうと一歩足を踏み出したアレクシアさんの肩を掴んで引き戻したラルフさんがモルフィさんに駆け寄る。その一連の動作は私が呆気にとられている間、瞬きの一瞬だった。
 立ち止まったモルフィさんの襟首を掴んだラルフさんがその場から退かすように引き倒す。先程までモルフィさんが立っていた場所に鋭い刃――巨大な鎌の切っ先が突き刺さった。
 結構深く地面に突き刺さったその凶悪な得物が直ぐさま地面から引き抜かれ、体勢を崩したラルフさんへ向けられる。

「げっ、それ死ぬわよラルフ!」

 起き上がったアレクシアさんが叫び、それと平行してギフト技能を展開するも、間に合いそうにない――

「アレクシアさん、俺が対処します。貴方はモンスターの方を」

 エーベルハルトさんの声がした、と思えば彼はいつの間にかモンスターの真横から滑り込むように割って入った。持っていた大剣を振り下ろす。それは大鎌の刃に程近い柄の部分に当たった。甲高い金属音と共に、大釜の切っ先は先程より深く地面に突き刺さる。
 ふわり、と熱い空気が頬を撫でた。私の隣に立っていたアレクシアさんが手の平サイズの火球を4、5個放ったからだ。

「う、うわっ……なんですかアレ……!?」

 着弾し爆ぜた火球はしかし、見えない壁のようなものに阻まれ、モンスターに傷一つ付ける事は叶わなかった。が、爆風により少しだけ良好になった視界のおかげでモンスターの全容が明らかになる。
 骨格は恐らく人間のもの――否、人間の骨格だろう。標本のように理路整然と並んだ骨達はかさかさに乾燥して酷く脆そうだ。肉も何も着いていないその腕の先には黒い鎌を持っている。大鎌と腕の骨に絡まった金色のチェーンがモノクロの中でとても鮮やかに輝いてた。目玉も唇も無い。ただしその頭にはやはり金色の王冠が鎮座しており、鎌を持っていない方の手には金の杯を逆さにし、人差し指と中指の間に挟んでいる。
 見上げる程の大きさのモンスターを前に、アレクシアさんが茫然と呟いた。

「こ、これ……スケルトンロードじゃない!冗談じゃないわよ、こんなのいるなんて聞いてないわ!」
「えっ、何ですかスケルトンロードって!?」
「スケルトンの王様よ、王様!上位スケルトン!」

 ――私にはよく分からないが、モンスターの上位種らしい。
 取り敢えず、モルフィさんを逃がした方が良いだろう。
 立ち上がり、スーツに付いた埃を払っているモルフィさんの背へ、声を掛ける。そのスケルトンロードが何だか知らないが、私の逃げ足に勝る程では無いだろう。

「モルフィさん、安全な場所まで――」
「ミソラさん!」
「ひっ!?な、何ですかエーベルハルトさん……!?」

 言葉を遮るように強く名前を呼ばれ、言い掛けた言葉を呑み込む。続いて、エーベルハルトさんはモルフィさんに対しこう言い放った。

「スケルトンロードの足止めまでは確実に致しましょう。その間に貴方はどこへなり逃げて下さい。モンスター程度には捕まらないのでしょう?」
「……ええ、すいません。失礼します……」

 モルフィさんは存外落ち着いた様子で霧の中に上手く溶け消えて行った。実に鮮やかな逃走劇だが、それは私達という囮の上で成り立っている。
 一人で帰して良かったのか、そういう意を込めてエーベルハルトさんを見るも、彼は険しい顔をしてスケルトンロードに向き直ってしまった。そうこうしているうちに、深く突き刺さった鎌を引き抜いた上位スケルトンが緩慢な動きで私達を見る。ところで眼球が見当たらないが、本当に周囲は見えているのだろうか。

「エーベルハルト!これはどうする、討伐するのか!?」
「我々の手に負えなければ、ミソラさんに逃がして貰えば良いだけの事です。まあ、王冠とチェーン、杯は金ですしかなり高値で売れますよ。頑張って行きましょうか」
「はぁ!?正気!?」

 ぎょっとした様子のアレクシアさんにやはり爽やかな笑みを手向けたエーベルハルトさんは当然のようにええ、と頷く。

「正気ですよ、勿論。張りのない依頼に張りが出て来てやる気もばっちりですとも!」

 よく分からない、言葉なのか何なのかをブツブツと唱え始めたスケルトンロード。その詠唱のようなものを中断させるべく、エーベルハルトさんが地を蹴る。そこに迷いは無いし、最早足止めではない気迫すらある。