第1話

06.


 ***

 2時間後――
 ようやく話の弾が尽きたらしいイカルガさんは、口を閉ざすと照れたように微笑んだ。まるで儚い女性のように見えるが、2時間ノンストップで喋り続けたマシンガンウーマンである。
 そして、彼女の惚気が始まるや否や姿を消していた紳士――いや、もうコイツ紳士じゃないな。似非紳士だ、似非紳士。そんな似非紳士おじさまは彼女の話が終わると同時にふらりと姿を現した。どこかで聞いていたのだろうか。

「お嬢さんは、この街に滞在するのかね?そろそろ日が暮れてきたが」
「えっ。あ、ああ、そうなんですか……じゃあ、私そろそろお暇しますね、はい」
「そういえば、名乗っていなかったな。私はレイヴン。君とはまた会う事になりそうだから、是非とも覚えていてくれたまえ」
「はぁ……」

 正直に言ってしまえば、会いたくない。ふと我に返って彼等との会話を思い出す度にある種異様な雰囲気があったし、生物的な本能がこの人達とは関わらない方が良いと告げている。
 けれど、こちらも商売。そこは顔に出さず、私はその場において都合の良い挨拶をした。

「また会えると良いですね。帰ります、さようなら」
「うふふ、また会いましょう?あなたも最愛の人と出会えるよう、私も祈ってますね」

 まるで友達のように手を振って来るイカルガさんに手を振り返し、私は宿『止まり木』を後にした。
 宿を出て直ぐにした事は、人気のない場所を探す事だった。日が暮れかけているというのは本当で、そろそろ家に帰らなければならない。門限があるわけではないが、何だか疲れてしまって観光に割く労力も無いくらいだ。
 手頃な路地裏を発見し、自然に道を曲がる。たまにいるのだが、子供が危険な人目に付かない場所に入り込んだと思って注意しに来る大人がいるのだ。彼等は何も悪くないし、むしろ良い事をしているのだが私にとってみれば堪った物ではない。
 サークリスギルドの裏を脳内に思い浮かべる。もう何十回と行った場所なので、今更地図などは不要だ。

 ***

 景色が初めて行った非日常的空間から、日常的な空間へと切り替わる。ここはギルド裏だ。そこそこ上機嫌な私はギルドへ戻るより先に、地図帳を取り出し、グラン・シードに印を付ける。
 これはまた行きたい、という意を込めた印だ。私の中ではかなり厳しい基準になっているので、あまり印は増えていないが1年ほど書き溜めていると1日や2日では回ってしまえない程の量になった。
 次にこの場所へ行く時は、誰かと。恋人であるのが望ましいが、友人でも、或いはギルドの先輩でも構わない。一人でいるより複数人でいた方が楽しいと思える相手ならば。
 パラパラとページを捲り、増えた付箋や折られたページを眺めた私は、日が落ちてきているのを感じギルド内へと避難した。仕事を終え、片付けて家に帰らなければ。アパートの大家さんが心配してしまう。

「ただいま帰りましたよ!すっごく綺麗でした、グラン・シード――」
「ミソラ。ちょっと来て、早く」

 鼻息荒くドアを通り抜けた瞬間、コハクさんに捕まった。彼女は至って真剣な表情で手招きしている。何か不備でもあったのだろうか、肝を冷やしつつノコノコと受付へ歩み寄った私は、更にその肝を冷やした。

「これ、何だか分かるよね。アルデアは指名手配犯よ。連続殺人事件、って事になってるし今もまだ逃走中。何より、この証明写真が証拠」
「ミソラが無事で良かったよ。久しぶりに生きた心地のしない顔をしていたよ、コハクがね」

 フェリアスまで出て来て微笑んだ。ただ、彼は本当に危険な時も全く慌てない、心臓に毛が生えた御仁なので彼の雰囲気に流されるのは大変危険である。
 指名手配書。連合軍が発行する、捕まっていない凶悪事件の犯人だ。捕らえて軍へ連れて行けば規定の報酬が支払われる。
 ただし――以前にも述べたが、軍の発行する手配書は圧倒的に信用度が低い。何せ、連合軍の歴史は隠蔽と改竄の歴史。彼等は自分達の障害となる人物に対しての容赦はなく、罪をでっち上げてでも排除しようとする傾向にある。そうなってくると、この手配書も信用出来たものではない。事実、冤罪だか吹っ掛けだかで指名手配犯に『された』ギルドメンバーも何人かいるくらいだ。

「え、でも、うちは手配犯を基本的に差別しない主義ですよね?それに、あまり悪そうな人には見えないっていうか、人殺ししそうな顔には見えなかったって言うか――」
「残念ね。彼はクロよ。荷物は誰に届けたのか言ってみなさい」
「……イカルガ、さん」
「彼女も手配犯。猟奇殺人事件を数件起こしているわ。他には誰がいたの?」
「えぇっと……レイヴンさん、とかいうおじさまが……」
「彼は殺人及び死体遺棄事件の犯人。これも数件起きているし、死体が上がっていないようだからもっと数はあるかもしれないわね。もう少し人数がいるようだけれど、彼等はオルニス・ファミリーっていう犯罪組織よ。今回ばかりは疑いの余地が無い」

 ――よく生きて帰って来られたな、私。
 今日初めて出会った人のほとんどが殺人犯だという驚愕の事実。そういえば、引っ越しがどうのと言っていたが、水の国が連合国に加盟してしまったが為に住処として相応しくなくなったのだろう。
 そうだ、そういえば話をしていて何となく噛み合わない。水中と陸で話をしているような歪な感じはずっとあったのだ。ようやくその理由が分かった。彼女等は、或いはいきなり現れた私の事を警戒していたのかもしれない。

「運が悪いね、ミソラ。犯罪小組織ではあるが、彼等の躊躇いの無さは凶気だとしか思えないな。数ヶ月前の新聞では一面を飾っていたし、活動はずっと続けているようだ。何の活動なのかは知らないけれどね」
「マスター、本当に運が悪いねって思ってます?笑ってる場合じゃないですよ!」
「大丈夫大丈夫。世の中、本当にマズイ事なんて小指の先程度しか無いんだ。大抵の事は何とかなるように出来ているんだよ、ミソラ」

 同意できない言葉を並べたフェリアスさんはしかし、そこで物憂げな顔をした。

「本当ならギルドメンバーの安全を考慮して、軍の連中に通報するなり何なりした方が良いのだろうけれど、見ての通りうちはギルドだからね。ごめん、ミソラ。探られるとマズイ秘密を抱えているのは私達も同じだから、軍への相談は出来ない」
「いや、良いですよ別に……。それに、機械の国は非加盟国です。私達の通報如きで、国境跨いでここまで軍の人達が来てくれるとは思えませんし」

 ギルドは加盟国の法律で運営を禁止されている。だからこそ、その法が適用されない非加盟国でギルド経営しているのだが、通報し軍の力を仰ぐという事はその法に従わなければならないという事だ。であれば、軍への情報提供は無しと見て間違い無いだろう。ここにいるメンバーは大抵が軍による規律の外に居る人物なのだし。
 ――私は私で気をつけよう。大丈夫、最悪逃げれば何の問題もないわけだし。

「じゃあ、私そろそろ上がりますね。大家さんが心配しちゃう」
「ええ。また明日ね、ミソラ」
「はーい。お疲れ様でーす」

 オルニス・ファミリー。もう彼等と会う事はきっと無いだろう、世界は広いし。
 私は彼等の事を十二分に注意すると同時、心の安定の為にもあまり考え過ぎない事を決意して帰路についた。