第1話

04.


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 門を潜り、街へ入ってみると爽やかな風が吹き抜けた。磯の匂いは何故か全くしないし、建物は全て出来たばかりのようにきれいな外装のまま。とても潮風に晒されているとは思えない程に整備されている。
 そして――何より、人が多い。サークリスでは人とすれ違わない時間帯だってあるというのに、この街でそんな様子は微塵も想像する事が出来ないだろう。
 また、歩行者通路と通路の真ん中に水路が通っている。それは毛細血管のように幾つにも枝分かれし、そして絶えず流れ続けているようだ。ここでようやく街が全体的に斜めである理由が判明した。水を流す為だ。
 そして至る所にある濾過器。水を濾過し、タンクに溜めている様が涼しげで良い。しかも驚くべき事に「ご自由にお飲み下さい」、とまで書かれているではないか。水飲み放題なのか、この街。そりゃ誰でも住みたいと言い出すに決まっている。
 完全に浮かれた観光客の体をなしていた私は、不意に依頼でここへ来た事を思い出した。そうだそうだ、まずはこの小包を早く届けなくては。依頼人が刺殺されてしまう。
 鞄の中に綺麗に折りたたんで仕舞っていた住所の紙を取り出す。5年連続住みたい国1位の貫禄は、この場面でも遺憾なく発揮された。
 ――この街、区画の番号がこれ以上ない程大きく明記されている上、どこそこを曲がればどこへ出られる、という簡易説明まで付いている。誰だこんなシステムを考えついたのは。ありがとうございます、と声高に叫びたい。
 標識の通りに進めばすぐに観光者向け区画へたどり着いた。ざっと見たところ、アイテムショップから宿、旅道具専門店まで旅人向けの店がずらりと並んでいる。
 その中から、宿屋「止まり木」を探していると、存外すぐにその宿は見つかった。宿が正面に一つ、右隣にも建っている商戦区だ。それにしたって宿屋が密集し過ぎていると思うが。

「お邪魔しまーす……人、多いなあ……」

 ギルドでするように挨拶をして入ったが、振り返ったのは宿の入り口で駄弁っていた中年男性達だけだった。しかも、すぐに会話を再開してしまう。どうやらギルドとは勝手が違うようだ。
 これは勝手に宿スペースへ行って、部屋を訪ねて良いのだろうか。それとも、受付で理由を説明し、部屋へ行かなければならないのだろうか。こちとらテレポーター歴かれこれ十数年になるので、実はあまり宿を使った事が無い。どんなに遠い所でも、無理矢理日帰り旅行に出来てしまうからだ。
 ――トラブルになって目立つとマズイし、まずは受付に事情を説明した方が良いかな。サインは貰う約束だから、届け先が留守ならまた後で来ればいいわけだし。
 そうは思ったのだが、受付の混み具合を見るに、まだまだ人が掃ける気配は無い。どころか、受付を遠目に眺めるので精一杯だ。随分と繁盛していらっしゃるようで。
 少しだけ溜息を吐いた私は、客用ソファに適当に腰掛けて待つ事にした。あまりにも人がいなくならないようならば、勝手に特攻しよう。仕方無い。
 暇になってくると、途端に隣のソファテーブルに座っている男女の会話が耳に入ってきた。

「ううっ……どうするんですかぁ、これ。一昨日までは確かにあったのにぃ……」
「見つからないのならば、ここには無いのだろうさ。面倒臭いが、一応訊いておくけれど――まさか間違って、ゴミ箱に捨てた、なんてことは無いのだろう?」
「今!今、私の事面倒臭いって言いましたぁ!?人がこんなに悩んでいるって言うのに……!食事も喉を通らないんですよ!」
「そうかね。それで、どうなんだ?捨てたのか、捨てていないのか」
「捨てる訳ないでしょう!?馬鹿にしてるんですか!ブチ転がしますよ!?」
「はっはっは、情緒不安定ここに極まれり、と言ったところか」

 全然笑えない会話が隣から延々と流れて来ている。女の方はヒステリックに怒鳴ったり、かと思えばしくしくとしおらしく泣き始めたりと落ち着きが無いし、男――というか、老人の方はそれに温度差のある適当この上無い言葉を返しているだけだ。
 人目を憚らず言い争いをしている男女。少しだけ興味があったので、全く関わり合いにはなりたくないがそうっと視線だけで隣を盗み見た。
 しかし、それは結果的には失敗だったのだろう。老人の方と目が合う。それはもうバッチリと、ガッチリと。吸い込まれるようなタイミングであちらも私を見たのだろう。
 ――そして、知っている顔だったのがなお悪い。

「お?おお、君はさっき車に相乗りした仲のお嬢さんじゃないか」
「あの、それってほぼ他人では……」
「誰ですか」

 話を遮られたからだろうか。酷い隈の顔をした女性がこちらを睨め付けてくる。関係無いだろ引っ込んでろ、と間接的に言われているのがひしひしと伝わって来た。
 プラチナブロンドに金の瞳。白いシャツの上には黒いコートを羽織っている。目鼻立ちのはっきりした顔なのだが、そうであるからこそ隈がはっきりと分かってしまって痛々しい。かなり悩んでいる事が見て取れるが、これを見てなお紳士のおじさまの対応ときたら、いっそ清々しい程だ。
 ともあれ、女性の問いに何と答えるべきか迷っていると、彼女の相手に飽き飽きしていたらしい紳士がペラペラとネタを明かした。

「いや、こちらのお嬢さんは橋渡しの車で一緒になってね。おつかいだと言っていたから、ちゃんと目的は達成出来たのか心配だったのだよ」
「あなた、そんな事を気にする人間じゃないでしょう。私の話なんかどうでも良いと思っているんでしょう……!」
「どうでも良いと言うか、そろそろ飽きて来たというのが本音だよ。くどい、長い、そもそも私に関係無い、の三拍子じゃないか」

 殺伐とした会話を繰り広げる2人を尻目に、ちらと受付を伺う。全く人がいなくなる様子が無い。それを踏まえた上で、私は敢えて地雷を踏みに行った。時間潰しと言うか、何をそこまで思い悩んでいるのか逆に興味が出て来たからだ。