02.
***
「何を見ていたんだ、コハク」
呼び止める間も無く出て行ったミソラを見送った後。フェリアスはそう訊ねた。
「さっきの依頼人――アルデア、って人。この人、指名手配犯だ」
「あれ、そうだったか」
「ミソラも馬鹿じゃないから、危ない事があればすぐに戻って来るとは思うけれど、軍の動きからして手配犯がギルドに恒常的にいるのは良く無い」
「居着くとは限らないだろう」
「限らない。けれど、その可能性がゼロってわけでもない。あと、ミソラは案外お人好しよ。また次の依頼も受けるなんて言い出したら、付け込まれそう」
「そうだね。だって運送料って、決して安くはない料金だし。あれを安いと断言出来る辺り、また利用しようと思うのは当然かもしれないね」
そこはギルドマスターとして、ちゃんと見守っておこう、とそう言ったフェリアス。だが、コハクの憂い顔は消えそうになかった。
***
ギルドの裏手まで回ってきた私は大きなバックから地図帳を取り出した。かなり分厚い。トースト2枚分くらいの厚さがある。これはフェリアスさんに譲って貰ったものだが、相当高価だと伺えるので働いて返そうと思っている。
ともあれ、この地図帳には迷宮を除く地域全ての詳細な地図が詰め込まれているのだ。他者にとってはただの地図でも、私にとっては旅の道標のようなもの。
ギフトによる技能、『瞬間移動』。定義は「行った事がある場所」または「どこあるか正確に分かっている場所」である。即ち、私の脳内でこの辺にあると断定出来ればそこへ移動する事が出来るのだが、その為には地理情報は必須。そこでフェリアスさんがこの地図帳を引っ張り出して来てくれたわけである。
「えー……水の国のぉ……グラン・シードにある――」
住所と照らし併せながらページを捲る。21ページ。
水の国と言えば5年連続住みたい国1位を獲得した猛者。連合国に加盟してしまった為、脛に傷のある連中には地雷国となってしまったが、それでもなお衰えない人気にはいっそ感服する。
「あ、グラン・シード首都かあ。少し遠い所に着地しよう……」
首都、という事は王政である水の国の王城があるという事になる。であれば警備は強固で間違い無く、連合国に加盟しているのだから、当然その警備は軍が請け負っている事だろう。連合軍といえば個人的には要注意集団だ。便利技能を持っている者なら誰しも警戒しはするだろうが、とにかく悪い事そのものはしていないのに指名手配犯にされたり、持っている技能が危険だからと殺害された人間もいる。
ただ、連合国に入って犯罪者を抑制出来るという側面もある。善には一方で悪を伴うが、その逆も然り。どこかで得する人間がいれば、その影で損をする人間もいるのと同じだ。
ともあれ、届け先は宿らしい。引っ越し中なので当然と言えば当然か。あまり歩きたくはないが、街中にいきなりポンと移動すると人の目に触れる可能性が高くなるし、仕方無い。たまには歩かないと。
「あー、上手く入り込めたら少しくらい観光してもいいかなあ」
ボヤきながら地図の位置を意識しつつ、技能を使用する。場所はグラン・シードに繋がる橋の近く、人気が無い場所。そういえば旅人向けの地区って――
瞬間、吸い込む空気が変わった。
頭がくらりとするような磯の匂い。絶えず響く波と高い所から落ちる水の音。喧騒に次ぐ喧騒はいっそ騒がしいを通り越して永続的に続く音楽のようだ。
そっと周囲を見回す。一番に見えるのは暗く深い海と巨大な都市。ただし、周囲に人気はない。何か小さな建物の裏に出たようだ。このサイズからして――トイレだろうか。ゆっくりと、なるべく平静を装って道なりに進む。すぐに人が行き交う道路のような場所に到着した。
グラン・シードと隣街を繋ぐ1本の大橋。そう長いものではないだろう、と舐めきって移動したがその考えを改めなければならない。
「うわっ……どうしよ、車なんて高価な物、持ってないよ私!」
人が通る道がまず無い。言外に、人が歩きで橋を渡るのは無理ですよ、と言われているのが分かる。緩く進む車から出されるガスが磯の匂いと混じって噎せ返る程だ。これでは車を持つブルジョワ層以外、街に入れないのではないだろうか。
周囲を見回す。私のように徒歩で立ち往生しているらしい人々が何人かいるが、その顔に私のような焦りは見られない。そりゃそうだ、彼等彼女等はある程度この惨状を調べた上で来ているのであって、私のように行き当たりばったり荷物お届けツアーではないのだろう。
――が、やはり5年連続住みたい国1位。
キキッ、と小さな音を立てて車が止まった。運転席から制服のようなものを着た男が降りて来る。何だ何だ?
「橋渡しやってるよ、お嬢ちゃん。乗って行かないかい?」
「橋渡し、ですか?」
「あ、もしかして水の国初めてかー。うんうん、おつかいか何かかな?」
「……まあ、そんな感じです。それで、橋渡しって?」
へへっ、と楽しそうに笑った男は親指で自らが乗って来た車を指すと言った。
「見ての通りさ。車なんてもん、持ってる奴の方が少ないしグラン・シードにゃ車を駐める場所なんて馬鹿にならない程金をふんだくられる。だから俺達が橋を渡れない、徒歩の奴等を向こう岸まで送ってやるのさ。こっちも商売だから金を取るが――ま、タダより高いもんはねぇ。この世の真理さね」
「へぇ、成る程。それはまあ、画期的ですね」
「だろ?何か、水の国って最近移住者が増えて国民管理に困ってるみたいだから、お嬢ちゃんも油断すんなよ。財布は直ぐに擦られる」
「すられる!?な、何かイメージと違ってきたなぁ。えーっと、どうしよ……ちなみに、片道おいくらですか?」
「あん?1000ルニだよ」
「安いような高いような……」
「出たり入ったりする奴なんて1日に何千、何万っているからなあ。ま、元は取れてるんだろ」
何故か運転手が他人事のようにそう言うが、さてどうしたものか。正直、極限まで節約するのであれば危ない橋を渡り、グラン・シード内部に移動した方が良い。ただ、それには相応の危険が伴うし何より――折角他国へ来たのだ。車になんて乗った事も無いし、車初体験で乗ってみたい気もする。いや、乗りたい。ブルジョワの気分を味わってみたい。
「の、乗ります。あの、車初めてなんですけど大丈夫ですか?」
「随分田舎から来たっぽさがあるよなあ、嬢ちゃん。車が初めてだから大丈夫か、とか初めて聞かれたぜ。まあ、強いて言うなら大人しく座っててくれりゃ何にも問題無いけど。あ、たまに酔ったとか言って具合悪そうにしてる奴いるな、そういや」
「え、えぇっ!?」
「三半規管が強い奴は大丈夫だって」
「あ、なら平気かも」
「三半規管の件で何を悟ったんだよ」